○私の大好きな人って――

 あの後、ハグルさんのお誘いは丁重にお断りさせてもらった。

 もちろん、嬉しかったし、光栄だと思った。こんな私でも、恋愛対象として好きになってくれる人が居る。その事実に、私の中にある“何か”が満たされたことは分かった。けれどハグルさんに対して、例えばメイドさんやサクラさんに抱いている「好き」と同じものを向けられるかというと、そうじゃない。というよりそもそも、私にはまだ、恋愛と言うものが何なのかが分からない。

 あれは、ナグウェ大陸でメイソンさんの話をした時だったかしら。サクラさんは恋愛にいろんな形があって、いろんな「好き」の形があると言っていた。子を成す以外にも夫婦の形はあって、好きは決して、子孫を残す本能だけでは語れない。みたいな話もした気がする。


 ――いずれにしても、私には恋愛が何なのか、分からない。


 これまでも私は、メイドさん達からたくさんの好意を貰って来た。その分……いいえ、それ以上に、私自身も好きを返してきたつもりよ。でも、もしその中に、特別な大好きがあったのだとしたら……。


 ――私の、特別に好きな人……大好きな人は、誰になるのかしら?


 時刻はお昼の3時。少しずつ傾き始めたデアがエルラの町を照らす。恋愛について考えていた私の前に、見慣れた靴が見えて来た。


「どうだった、ひぃちゃん? ハグルくんとの『お茶』は」


 時機を見計らって、お店の近くで待っていてくれたのでしょう。サクラさんが、いつもと変わらない笑顔で問いかけてくる。ハグルさんが私とのお茶を提案した時、サクラさんは明らかに何かを察した様子だった。きっと彼女は、ハグルさんの狙いと言うか目的と言うかをきちんと分かっていたのでしょう。


「……エストナールというお菓子が美味しかったわ」


 色々と言うべきか悩んで、結局。一番印象深かった出来事を話すことしか出来なかった。そんな私の返答に、サクラさんは苦笑しながら「そっか」とだけ答える。それ以上何かを追求するようなことも無い。茶色い瞳を前に向けて、ただ黙って、私の横をつかず離れずの距離で歩いてくれる。


「あとは、そうね……。もう、ハグルさんの協力は得られないって分かったくらいかしら」

「……うん。じゃあ、またどうにかしてお金を増やさないとだ」

「ええ、そうね」


 不思議と、今は賭博とばくをして楽に稼ごうなんて思えない。今回エルラに来た当初のやる気のようなものも無くて、ただただ起伏のないこの感情を持て余している。


「そだ。さっき、可愛い服売ってるお店、見つけたんだ。今から一緒に行こ?」

「うーん……」


 服屋さん、ね。正直、気分じゃない。ハグルさんに想いを伝えられるまでは、あのエストナールのお店にサクラさんを連れて行こうと思っていた。けれど、今はそんな気分でもない。というより、今すぐ宿に帰って眠りたいわ。この何とも言えない、消化不良な心を、眠って忘れ去りたい。……本当に、心って、面倒だわ。心さえ……感情さえなければ、こうして悩むこともないのに。


「ごめんなさい、サクラさん。今日は私、もう宿に帰るわ。そのまま惰眠を貪るの」


 ちょうど見覚えのある大通りに出て、宿までの経路も分かった。サクラさんには悪いけれど、今はとりあえず休もう。そう思って歩き出した私を、サクラさんが後ろから手を引いて引き留めた。


「残念だけど、ひぃちゃんに拒否権は無いんだなぁ、これが」

「え、ど、どうして……きゃっ」


 手を引いて、恐らく服屋さんを目指しているんだろうサクラさん。いつになく強引なサクラさんに、それでも私は抵抗する気力もない。肩口で揺れる茶色い髪を後ろから見ながら、ただ手を引かれるままに歩く。


「なんでって。そりゃあ、ひぃちゃんに付き添ったせいで負けた10,000n分。ひぃちゃんには、私に付き合う義務があるからです」


 私が大勝ちした鼠競争。サクラさんはなぜか、ハグルさんが言った3番のキュウチュウに賭けなかった。結果、10,000n負けて、遊ぶためのお金が尽きてしまっていた。その負け分、私には付き合う義務があるというサクラさん。だけど彼女の言い方は、まるで負けたのが私のせいだと言っているようにも聞こえる。


「私、何度も言ったわ。サクラさんも3番に賭けるべきだって」


 そう。私は何度も言った。ハグルさんではなく、ハグルさんを信じる私を信じて。そう言ったのに、サクラさんは頑として首を縦に振らなかった。そして別のキュウチュウに賭けて、負けて、それを私のせいにしている……? それって、あまりにも……。


「あまりにも、自分勝手すぎるんじゃない?」

「違います~。わたしを説得できなかったひぃちゃんにも責任があるんです~」

「なっ?! 横暴よ!」

「そう? 信頼を勝ち取れなかった自分の責任を、ひぃちゃんはわたしに押し付けるんだ?」


 そんなわけない。そう言い返そうとするけれど、起伏のない私の感情は、至極冷静に物事を分析する。その結果……。

 ――あれ? もしかして、サクラさんの言う通りだったりする?


 そんな結論に至った。確かに、信頼は日頃の自分の行ないによって勝ち取る物だわ。あの時、私を信じなかったのはサクラさんだ。けれど、私がきちんと彼女を説得できるだけの過去を積み上げていなかったから、今回のようなことが起きた……? 私のせいで、サクラさんが私を信じられなかった……? だとしたら。


「ご、ごめんなさい……」

「あ~……。これは、うん。重傷だ」


 信号待ち。謝罪する私の頭を、空いている方の手でサクラさんが撫でる。


「ま、とにかく。今はわたしに付き合って、好き勝手されること。いい?」

「……ええ」

「言っとくけど、1か月ぶりのひぃちゃんとの買い物だもん。着せ替え人形にされる覚悟はしといてね」

「分かったわ」

「ついでにひぃちゃん。今欲しい物とかある?」

「ハンバーグ」

「……ひょっとしなくても、思いのほか元気だな、この子? まぁいいか。分かった、今晩はステーキに次ぐひぃちゃんの好物、ハンバーグにしよう!」


 でもその前に。そう言ってサクラさんが立ち止まったその場所は、とある服屋さんの前だ。というよりもここ、賭博場からもほど近い場所にある、歓楽街の商店街ね。大通り沿いにある気取った服屋さんも嫌いではないけれど、こういう庶民寄りの服屋さんも嫌いじゃない。手書きの値札に、狭い通路。所狭しに並ぶ服。こういう親しみやすい服屋さんにこそ、働いたら負けTシャツみたいな掘り出し物が売っていたりするのよね。


「ここ、古着ふるぎ屋なんだ~。さっきチラって見ただけなんだけど、安い割に結構いいやつあって」


 言いながら、一足先に店先に並んでいる服を見始めるサクラさん。古着屋と言うと、誰かが大切に使った状態の良い服が、次の人に渡る場所でもある。メイドさんが作ってくれた服に勝るとも劣らない想いと、何より歴史が、きっとここに並んでいる服たちにはあるのでしょう。

 そうね、例えば……この服とか。服には作った人やお店の名前が記された「タグ」と呼ばれる小さな輪っかがあるのだけど、私が今持っている服のタグには「フリア」という名前が書かれている。作り手さんの名前は基本的に刺繍か焼き印だから、手書きのこの名前は持ち主の名前を表す物でしょうね。


 ――フリアさんはどういう経緯でこの服を手に入れて、手放すことになったのかしら。


 名前を書くということは、誰かと取り違えやすい環境……兄弟姉妹が居たり、学校に行っていたりしたのかも。兄弟姉妹が居たとしたら、年下の子が着ていてもおかしくない。だとすると、数人の人に着られて、それでも状態良く売られているということ。間違いなく、大切に使われていたのだと思う。

 他にも、これね。一見すると服本来の意匠に見えなくも無いけれど、よく見れば手縫いの跡がある。つまり、破れたり、ほつれたりしたところを誰かが補修したということ。それも、意匠とそん色ないくらい、丁寧にね。これを着ていた本人か、あるいはこの服を着ていた人を大切に思う誰かの想いが詰まっているということ。


「見て、ひぃちゃん! これ、工房・ルゥの服だよ! しかも4,000n!」

「嘘?! ルゥちゃんさんの服って、最低でも20,000nはするって聞いたけれど……。贋作がんさくなんじゃない?」


 サクラさんが見せびらかす服を、私も見に行く。工房・ルゥで働いていたこともあるから、偽物の焼き印や刺繡ししゅうならすぐに分かるわ。ってそう言えば私、どうして早く帰りたいなんて思っていたのだったかしら……? 考えようとしてみるけれど、サクラさんが強引に服を私に押し付けてくるせいでそんな暇もない。


「あ、そうそう、これ! これ、ひぃちゃんに似合うと思ったんだよね~。どう?」

「え、こんなに明るい色はちょっと……。むしろサクラさんに似合うんじゃない?」

「さすがにわたしには一回り小さいよ~。それよりまずは着てみて。似合うかどうかは、わたしが見る!」

「もう、強引なんだから……。ふふっ!」


 この後も数件お店を回って、お互いにお気に入りの服をたくさん買っていく。結果、散財することになって、宿に帰るや否やメイドさんに


「お金を増やしに来て無駄な買い物をするとは……。あなた方は阿呆ですか」


 と、どやされてしまった。だけど、メイドさんに似合うと思って2人で買った寝間着を渡したら、お説教は許してくれたわ。

 そうして、結局は。翌日から冒険者ギルドの依頼を片っ端からこなしていくことになったわ。楽して稼ごうとすると、それ以外で色々と厄介なことがある。当たり前と言えば当たり前の教訓を得て、私は汗水たらして町中を駆け回るのだった。

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