○冷静さって、大事よね……

 お金を稼ぐためにエルラの賭場とばにやって来た私とサクラさん。いくつかある遊戯ゆうぎの中でねずみ競争を選んだ私たちは、出走する灰色の鼠『キュウチュウ』の様子を確認していた。そうして地べたにしゃがみ込んでいた私とサクラさんの背後から、ふと、声がかかった。


「お、おい! あんたら、新入りか?!」


 声をかけて来たのは、10代半ばくらいの人間族の男の子。金色の髪に角ばった輪郭。目つきが悪くて、どことなく粗野な雰囲気を漂わせる。彼は壁にもたれて腕を組み、舐め腐った態度で私たちを見下ろしていた。


「そうだけど。何か用かしら?」

「ちょ、ひぃちゃん。あぁいうのは無視した方が――」


 男の子の言動に少し腹が立った私は、あえて言葉のとげを隠さずに言って立ち上がる。私も決して目つきは良くない。そんな私が睨んだからでしょう。男の子は「お、おう……」なんて言いながら、たじろいでいる。けれど、すぐにまた、余裕な態度を見せてきて……。


「いや、俺はここの常連でよぉ。あんまり見ねぇ顔だから、気になっちまったんだ」

「常連……? ふむぅ……」


 確かに、言われてみれば賭け事に精通しているような貫禄を感じなくもないわね。硬い生地のいたんだひざ下丈のズボンに、素肌の上から肩口のない上着を着るという奇天烈な格好をしている彼。最初はみすぼらしいと思ってしまったけれど、もしかして凄い人だったりするのかしら。

 壁から背中を離して、私たちの方へ歩いてくる男の子。隣ではサクラさんが頭を抱えている。


「んで、そんな俺から助言を1つするならよぉ。……3番だ」

「……え?」


 私の隣まで歩いて来た彼が指さしたのは、3番のキュウチュウだ。指を向けられたキュウチュウも『キュッ?』と男の子を見上げている。


「コイツ。コイツが、今回のレースで勝つ」

「れーす……?」

「競争のことだよ、ひぃちゃん」

「なるほど。このキュウチュウに賭ければ、当たる。あなたはそう言いたいのね。でも、どうしてそんなことが分かるの? 結果なんて、分からないじゃない」


 舐められないようにずいっと一歩踏み込んで、男の子に聞いてみる。すると、男の子は慌てたように2歩、3歩と後退ずさった。でも、すぐにまた腕を組んで、余裕な態度を装う。


「甘いなぁ。これだから素人はよぉ」

「なっ?! 運任せの賭け事に、玄人も素人もないでしょう?!」


 思わず声を荒らげてしまった私を、男の子はあざけりを含んだ笑みと共に見てくる。


「はんっ! 賭け事が運だけ? やっぱり甘いな、あんた。今が旬のナールよりも甘いぜぇ」

「ななっ?!」

「世間知らずっていのは、まさにあんたのことを言うんだろうよぉ……」


 相も変わらず舐め腐った態度で、私を挑発してくる男の子。彼のその顔、言葉、態度。その全てに、私の感情はついに振り切れた。


「……そう。良いわ、良いわよ」

「あ、ひぃちゃんがキレた」


 サクラさんはそう言うけれど、むしろ逆。さっきまでは白鯨海はくげいかいのごとく荒れていた私の心は、朝焼けの空のように静かにそよいでいる。


「私はスカーレット。あなた、名前は?」

「スカーレット……。い、良い名前だなぁ。俺は、ハグルだ、よろしく――」

「そう、ハグルさん」


 私はあえてハグルさんの言葉を遮って、自分の言葉を続ける。


「そこまで言うなら、良いわ。乗ってあげようじゃない。私の大切なお金、全部、あなたが言うこの子に賭けてみるわ」

「え、全部?!」


 サクラさんが思わずといった様子で立ち上がって、私を見た。そんな彼女に私は今一度、頷いて見せる。


「ええ、全部。だけどもし、予想が外れていたら……」

「「ゴクリ……」」


 途切れた私の言葉に、サクラさんとハグルさんが同時に唾を飲む。……というよりハグルさんが緊張してどうするのよ、あなたが挑発してきたんじゃなかったかしら。


「もし予想が外れていたら、ただじゃ置かないわ。具体的には、そうね。顔を思いっきり叩いてあげる!」

「対価の割には意外と優しい! って言うか待って、ひぃちゃん。全財産賭けたらそれこそ終わりなんだよ?!」


 必死で止めてくれるサクラさんだけれど、この勝負には死滅神としての沽券こけんと、スカーレットとしての尊厳。その2つがかかっている。


「止めないで、サクラさん! これは私と彼、2人の戦いなの」

「うん、かっこいい! かっこいいけど、ただのギャンブル! こんな、ほんとにどうでも良い、つまらないことに全財産賭けないで! メイドさんに怒られるよ!」


 サクラさんの言葉に一瞬だけ、恐ろしい笑顔を浮かべるメイドさんの顔がちらついたけれど……。


 ――いいえ、大丈夫よ、スカーレット! 止まるんじゃないわ!


 馬鹿にされて、挑発されて。このまま黙っているなんて、私には出来ない。正々堂々と、ハグルさんのことを信じて。もし彼の予想が外れて私のお金が無くなるようなことがあれば、全力でビンタしてやるわ。


「まさか挑発しておいて逃げる、なんてことしないわよね?」

「お、おうよ、良いぜぇ。もし外したら、あんたにぶん殴られた後、全裸になってこの町を走り回ってやらぁ」


 全裸で走り回ることが罰になるのか分からないけれど、良いでしょう。


「だ、だがよぉ。もし俺の予想が当たったらよぉ……」


 この後ハグルさんが提示してきた条件に、サクラさんが目を見張る。けれど、良いわ。もしその条件で良いのなら、私にとっては利しかない。


「いいわ、その提案に乗ってあげる」

「ちゃ、ちゃんと覚えとけよぉ? 絶対ぜってぇに当ててみせっからさ」

「ええ、死滅神の名に懸けてね」

「お、おう! ……ん? 死滅神?」


 この30分後。体感にして1時間後。ついに運命の鼠競争が始まった。ハグルさんが言っていた3番の服を着たキュウチュウは、人気順で言うと5番目、当たれば配当6.3倍になっていた。

 この時にはもう、勝負を受けた時の感情の高ぶりなんてこれっぽちもない。私は、勝負をしたことをただただ後悔していた。だけど、もう引き下がれない。間食をとって少し減った全財産24,000n全てを賭けて競争……レースの行方を見守る。その結果は……。

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