○人の尊厳は、大切にしていきたいの
さて。異食いの穴を調べるにあたってできるだけ情報を集めていた私たち。その中でもフォルテンシアの人はほぼ10割の確率で帰還することができるという情報があった。そのことから、私たちは2つのことを想定していた。
まず1つ。
「やっぱり、魔物どころか動物1匹いないわね……」
1時間くらい慎重に歩き回ったけれど、動物の気配が全くしない。本来、迷宮は自身の核を成す高純度の魔石を守るために、多くの生物を魔素の塊として作り出す。印象深いのは、やっぱり、ショウマさん達と入ったあの迷宮ね。あそこには、巨大な金属の蛇だったり、不思議な力で宙に浮く金属の立方体だったりがいた。その蛇や立方体が、侵入者である私たちに牙をむいたわけだけど、この迷宮にはそうした生き物が今のところ見当たらない。
――いや、もう本当に。迷い込んでいてもおかしくないのに、
生き物の営みが感じられない。ある種異様な雰囲気が、この遺跡のような迷宮を包んでいる。
「まぁ、魔物も動物もいませんが、クズは居ましたけどね?」
「……そうね」
現実逃避を止めて、私は目の前の何とも言えない光景に目をやる。そこには、ティティエさんに叩き伏せられた男が2人、メイドさんに切り捨てられた男が同じく2人。
「がぼ、がぼぼぼぼ……」
ユリュさんが作り出した水球に閉じ込められる男が1人居る。そして、私の所には、2人ほど、半裸の女性が泣き崩れていた。
そう、これがもう1つ想定していたこと。ある時から、この異食いの穴は「ほぼ安全だ」と言われるようになった。その理由が、数か月前、中に入った女性冒険者の徒党が帰ってこなかった事例があったから。これまで危険が無かった迷宮にいきなり、脅威が湧いたということ。もちろん、魔物の可能性だってある。けれどそれ以外に、もう1つ。
――良からぬことを企む人が、この迷宮を隠れ家にした場合ね。
中の安全が確約されている迷宮は、犯罪者たちにとって格好の隠れ家になる。エルラもそうだけど、迷宮内にはフォルテンシアの目が存在しない。だからここで何か悪事を働いていても、私が感知することができない。
「だから、もしかしたら、と言ったあなたの言う通りだったわね、メイドさん? ……あと、ユリュさんはもうその人を解放してあげて。死んでしまうから」
「う……。はい」
私の命令に、ユリュさんが呪文の使用をやめる。水球から解放された男は、地面に四肢をついて荒く息を吐いていた。彼を含め、ここに居る男たちは、ここを隠れ家として色々と悪さをしていたらしい。
「強盗、誘拐、暴行、強姦……何でもありね」
「くそっ! なんでここに死滅神が来るんだよ! ガフォイのやつがしくじりやがったのか……っ」
解放された男……人間族の男が悪態をついている。彼が語ったガフォイという名前に、私はしっかりと覚えがある。それはこの大迷宮に来た最初の頃、ユリュさんを誘拐しようとして返り討ちに遭った牙族の男性だ。最終的には私がとどめを刺した、フォルテンシアの敵ね。まさか彼の存在が、こんなところで繋がるなんてね。
「最後に面白い話を聞かせてくれて、ありがとう。それじゃあ……」
「ま、待ってくれ! 俺は誰も殺してない! これからは真っ当に使命をこなす、だから命だけは!」
私がゆっくりと手を伸ばすと、人間族の男はいわゆる土下座をして謝ってくる。
「そう、なのね。命は奪っていない。だから私には、あなたを殺す理由がない……」
「へ、へへっ! そうだろ?」
私の役割は、人を殺すことではない。それは理解しているつもりだ。だから、普通なら、この人は衛兵さんに突き出してしかるべき対応をしてもらう。けれど、ここは無法地帯タントヘ大陸だ。彼を
強きものが弱きものを好きにできる。そんな風土があることは知っている。だけど、私はその文化を理解しているだけで受容しているわけではない。これは、そうね。奴隷の話をした時と同じね。
「確かにあなたは、人は殺していないのかもしれない。けれど、他人の尊厳を傷つけた。それは、事実なんじゃない?」
「そ、尊厳?」
「ええ。数えきれない女性や子供を時に奴隷として売り飛ばし、時に強姦して欲を満たす。……私たちが来た時みたいにね?」
何の生物の気配もしない遺跡に響く女性の悲鳴と、
「「うぅ……、ひっぅ……」」
今や意識がある男はたった1人しか居ないのに、それでもなお、私の黒いドレスを握って怯え切っている女性たち。彼女たちの無念を晴らして救うこと。それもまた、死滅神の役割……だと思う。少なくとも、己が欲望のために他者を踏みにじる行為を許すような死滅神には、私はなりたくない。
フォルテンシアの敵を殺すことが、私の責務。その敵はフォルテンシアが教えてくれる。だけど、与えられた使命をこなすだけでは救えない命があること。それを、私はアケボノヒイロの所に居た小さな女の子たちに教えられた。
「尊厳は……その人らしさは。命よりも重いものだと私は思う。その尊厳を奪うことは、命を奪うことよりも酷なことだと思うの」
命を奪えば、その人の生はお終いだ。けれど、尊厳を奪われただけの人の生は、この先もずっとずっと続く。それこそ、死にたいと思えるような辛さを抱えたままね。奴隷は、その最たる例になるんじゃないかしら。
けれど、どれだけ苦しくても。人は
だからこそ、私含めて神と名の付く職業を持つ者たちは、この世界に生きる人々が苦しまなくて済むように。幸せでいられるように、努めなければならない。
「あなたは多くの人の尊厳を奪った……殺した。だというのに、『命を奪ってないから大丈夫』なんて、死滅神である私は言ってあげられない。いいえ、言いたくない」
「そ、それはあんたの勝手な理論だろ?! 俺は誰も殺しちゃいない! なのに殺されるなんて、あんまりだ!」
「それを言うならこの人たちだって。誰も犯していないし、暴力も振るっていない。だというのに、あなたはこの人たちに暴力を振るって、欲望をぶちまけていた」
「それじゃあ、さようなら。良ければ最期に、名前を聞かせてくれるかしら?」
私の言葉に、男は沈黙を貫く。きっとこれが、彼なりの
「そう。じゃあ改めてさようなら、名も知らない人。それでもあなたのことは、私がきちんと覚えておいてあげるから」
「さっさと死ね、このクソガキ……が……」
何とも後味の悪い最期の言葉を残して、男は絶命した。……言われなくても、どうせ私はそう長くはない。だって死をもたらす私こそが、誰よりも他人の尊厳を踏みにじっている張本人なのだから。
「さっすがです、死滅神様! 死滅神様はさいきょーですっ!」
死体が転がるその場所で、無邪気に喜ぶユリュさん。一方で、
「……お勤めご苦労様です、お嬢様。このクズたちどうなさいますか?」
粛々とした様子で、メイドさんが足元に転がっている男たちを冷ややかに見て聞いてくる。
「ここがタントヘ大陸である以上、私が殺すわ。他者の尊厳を踏みにじる者は、例外なくね」
ティティエさんとメイドさんが危なげなく対処して気絶していた男たちに〈即死〉を使用する。この場に居る誰にも、人を殺す罪は背負わせない。
――その人らしさ。その人の命の輝き。それら、私が「尊厳」と呼んでいる物を、私は大切にしていきたい。
そんな私の考えや判断が正しいのかは、分らない。けれど、いつか、人々が私の生死をもって教えてくれる。とにもかくにも、事実として。この日、私は久しぶりに、自身の意志を持って人を殺したのだった。
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