○“異食いの穴”

 昼夜の感覚がないからあまり自信は無いけれど、第3層に来て11日。日付は9月に入って、3日目になる……はず。赤く光る小さなキノコ『キッセ』を使ったスープと、保存が効く硬いパンを朝食として頂く。質素な食事が続くと、飽きたと思っていたシャーレイのお肉が恋しくなるのだから不思議よね。

 そうして宿で最低限の栄養を摂った後、1時間くらい鳥車に揺られた私たちは……。


「ついに……」

「はい、お嬢様。ついに到着しましたね」


 感慨深く呟いた私の言葉を、メイドさんが引き継いでくれる。私とメイドさんが並んで見遣るのは、大迷宮の壁に開いた小さな穴だ。幅2m、高さは5mくらいで、奥まで続く洞窟になっている。


「昨日のうちに町の人に聞いた話だと、中は迷宮になっているのよね?」

「はい。遺跡のような造りになっていると聞きます」


 この迷宮から出てきた人たちは、中がどうなっているかについては覚えている。だけど、中で何があったか。何が居たのかと言った記憶がすっぽりと抜け落ちてしまうらしい。


「そして、私たちフォルテンシアの生物ならともかく」

「召喚者たちが入ると、かなりの確率で出て来られない、と……」


 中で何があるのかは分からない。ただ、どういう訳か召喚者たちが帰還してくる確率が低い。一方で、フォルテンシア側の人の生還率は、聞いている話だと9割9分。その話があったからこそ、私はこうして下見に来ていた。


「それじゃあ、行きましょうか。みんな、準備は大丈夫?」


 私は振り返って、ポトト、ユリュさん、ティティエさんに目を向ける。


『クルッ!』

「はいっ!」


 足に装着した金属製のかぎ爪を示して見せたのはポトト。そして、彼女ポトトの背中の上から顔を覗かせるユリュさんも、右手に持った1mくらいの槍を示して見せる。普段は、大きな海洋生物を狩る時に使うらしい槍。それと同じ長さの得物を第1層“木漏れ日の階層”で買っている。首とお腹に装着する軽くて丈夫な装備を買っていた。とは言え、ユリュさんの場合は呪文を使った方が何かと便利で強力なことに変わりはない。基本的に槍の出番はないでしょうね。


「ティティエさんも……大丈夫そうね?」

「ん」


 尻尾をぶんと振った彼女も、準備万端と言った様子。ティティエさんは武器も無ければ防具もない。その身1つで戦うことが合っているのでしょうね。そもそも、力んだティティエさんの力に耐えられる武器も多くないんじゃないかしら。出会った時はボロボロの服を着ていた彼女。替えの服も無いというから、今は私が普段使っている水色のTシャツと、尻尾がある彼女のために急遽きゅうきょメイドさんがつくろった股下丈の短いズボンをはいていた。


「お嬢様も、ナイフの準備等は大丈夫ですか?」


 尋ねてくるメイドさんは、いつもの黄緑色のメイド服を着ている。結局、彼女自身が一番気に入っている服らしい。白い手袋がはめられた手は、今のところ無手。けれど〈収納〉には当然、彼女の宝物でもある翡翠のナイフ『エメラルド』を含めた武器が入っている。必要に応じて、取り出すことでしょう。

 装備を確認してくれるメイドさんに、私も大きく頷いて見せる。


「ええ。腰の後ろと右の太ももに1本ずつ、ちゃんとあるわ」


 私の服装は、何度もお世話になっているメイドさんお手製の戦闘用ドレスだ。黒を基調として、肩や鎖骨の辺りにはレースが施されている。首と胸、お腹を守るための薄くて強靭な金属『白金はっきん』の板が仕込まれているわ。スカートだけれど丈は短いし、やや重量感のある素材を使っているから揺れなくて、激しく動いても邪魔にならない。見た目と実用性を兼ね備えた、世界に1つだけのドレスだった。


「よ、よしっ! じゃあ、行きましょう!」

「はい♪」『クルッ!』「はい!」「ん」


 私……ではなくティティエさんを先頭に、私たちは迷宮化している洞窟“異食いの穴”へと入って行くのだった。




 ペンのインクを水に落としたような。黒が揺蕩たゆたう暗闇を抜けると、そこは事前情報の通り遺跡のような場所になっていた。

 黄土色の床や壁、天井には紐のようなくきと大きな葉が特徴の『クオア』とよく似た植物がっている。植物に侵食されているからでしょう。遺跡の各所は古びてしまっていて、一部が欠けたり亀裂が入っていたりしていた。全体的にじめっとしていて、どことなくかび臭い。そんな、朽ちた遺跡の一室に私たちは居た。

 部屋の大きさは、ざっと20m四方かしら。床の四隅には細い水路があって、この部屋の奥……私たちの正面にある唯一の出入り口の方へと流れている。振り返ればもうそこに迷宮の出入り口は無くて、ただただつたが這う黄土色の壁があるだけ。水はこの部屋の地下から湧き出しているみたいで、ご丁寧に「最初の部屋」という印象の場所だった。


「敵は……居ないようですね?」

「ん」


 周囲を警戒していたメイドさんの声に、ティティエさんが答える。彼女たちが言うように、辺りには生物の気配が感じられない。水路を流れる水のせせらぎと、反響する私たちの声だけが響いていた。

 と、まぁ、こうして遺跡を観察できることの違和感について考えるべきね。


「光源が無いのに、明るいのね」


 この部屋には魔石灯も光るキノコもない。だというのに、まるで昼間のように視界がいている。早速、迷宮ならではの不思議な現象が私たちを迎えてくれていた。


「言われてみれば、そうですね。とは言え、いつ視界が利かなくなるとも分かりません。念のために携行型魔石灯ランタンだけは用意しておきましょう」


 〈収納〉からランタンを取り出したメイドさんが、有事に備えてエプロンの腰紐にランタンをぶら提げた。そうして初めての場所に慎重になる私たちとは対照的に、イケイケなのがユリュさんだ。


ククポトトちゃん、たちが先行して死滅神様の安全を確保しましょう!」

『ルッ?! ル ルゥ……』


 この部屋唯一の出入り口を指さしたユリュさんがポトトの手綱を引いて、前進するように指示を出す。対するポトトはどうしようかと悩んでいるみたい。怖がりなポトトとしては、あまり気の進む行為ではないのでしょうね。


「こら、ユリュ。隊列を乱してはいけません。先頭にティティエ様、殿しんがりわたくし。その間にあなた達だと言ったでしょう?」

「むー! だって頑張りたいです! 頑張って、死滅神様に褒めてもらうんですー!」


 なんてユリュさんがメイドさんと言い合っているうちに、さっさとティティエさんが先行していく。部屋の出入り口から外の様子を伺う素振りを見せた後、


「ん!」


 と言って、私たちに向けて大きく手を振る。どうやら大丈夫そうね。


喧嘩けんかなんてしていないで行くわよ、2人とも。ポトトも、自分の気持ちを優先していいからね?」

『クルッ!』


 メイドさんとユリュさんをたしなめた後、私はティティエさんの居る方へ歩き出す。すると、ポトトも安心したように背後に続いた。


「そもそもユリュ、あなたは……」

「メイド先輩だって……」


 歩き出してからも何かを言い合っている従者2人。緊張感が無いと言うか、なんと言うか。そんな相変わらずな2人に、だけど、どこか安心してしまっている自分がいる。

 前回、ファウラルの勇者ことショウマさん達と一緒に入った迷宮は、まさに死地だった。あの緊張感を想定していた私の身体は、ガチガチになっていたのだと思う。メイドさん達の変わらない様子に、全身の力が程よく抜けていくのが分かった。

 ティティエさんと合流して最初に居た部屋を出ると、そこは十字路。通路の幅は5mくらいあって、結構広めね。


『分かれ道。別れ?』


 手をつないで聞いてくるティティエさんの言葉に、私は首を振る。


「いいえ、手間だけれど、全員で一緒に行動しましょう」


 ここは迷宮だ。差し当たっての脅威が無いとはいえ、何が起きても不思議じゃない。例え探索の効率が下がるとしても、私には、最大戦力であるティティエさんと別れて行動する選択肢はない。


『ん』

「ありがとう。それじゃあまずは、右の道へと進みましょうか。役に立つか分からないけど、私が地図を作っていくから」

『強敵、期待! でも、スカーレット達。安全、優先』


 青い尻尾を振って目を輝かせるティティエさんを先頭に、私たちの迷宮探索が始まった。

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