○端的に言って、大好き

 迷宮もそうだけれど、大気中の魔素の濃度が高くなるとえてして不思議な現象が発生する。今回私たちを襲ったのは、恐ろしいまぼろしを見せてくる幽霊の行進と呼ばれる現象だった。実害がない反面、時間経過によって魔素が拡散するか、自分自身が魔素の薄い場所に移動しない限りは永遠にまぼろしを見せつけられることになる。


「触れられれば、わたくしにとって問題は無いのです。できるので」


 薄暗い第3層。魔石灯が照らす鳥車の荷台に居る、私の腕の中。不貞腐れたように、言い訳をする子供のように。メイドさんは今こうして私に抱き着いている理由を語る。


「ええ、そうね。あなたは強いものね」


 私はメイドさんの美しい白金の髪を撫でてあげながら、彼女の話に相槌を打つ。


「ですがお化けは、そうも行きません。奴ら、何度ナイフを振るおうが、魔法を使おうがお構いなしでメイ……わたくしを驚かせてくるのです」


 顔は絶対に見せない、私を離さないという2つの意志を伝えるように。メイドさんは私を抱く腕に力を込めて、私のお腹に顔をうずめている。その腕は、確かに震えていた。


 ――なるほど。やっぱり幽霊の行進が彼女の……メイドさんの、苦手な物だったのね。


 半分、予想通りね。実は冒険者ギルドでこの階層の詳しい話を聞いていた時、幽霊の行進の話の時に一瞬だけ、メイドさんが青ざめたような気がした。彼女ともかれこれ1年近い付き合いになる。ちょっとした言動の機微に気付けるくらいには、私も成長していた。

 ただ、半分予想外だったのは、私が思っていた以上にメイドさんが幽霊を怖がっていること。別に茶化すつもりはなかったけれど「幽霊が怖ないなんて可愛い所もあるじゃない」くらいだと思っていた。


 ――きっと、目覚めて間もない頃に何かしらの心の傷トラウマがあるのね。


 もしメイドさんが昔から今のメイドさんだったのだとしたら、幽霊なんかに恐れをなすことなんてなかったでしょう。あくまでもただの現象だと割り切って、毅然きぜんとした態度で対応することと思う。研究熱心な彼女なら、幽霊という現象の成り立ちまで勉強していたかもしれない。


 ――けれど、メイドさんはそうしなかった。


 苦手を克服しなかった。しかも恐らく、これに関しては、シンジさんが言っていたメイド道とは関係ない。克服を断念するほどの恐怖を、メイドさんが覚えていたということなんじゃないかしら。


「申し訳ありませんが、しばらく、このまま……」


 私のお腹辺りに抱き着いて、懇願こんがんするように私を見上げるメイドさんの瞳と目が合う。気の強い彼女らしいわね。泣いてこそいないけれど、翡翠の瞳は弱々しく揺れている。

 いつも完ぺきで何事にも動じない。そんな超人なんじゃないかと思っていた。だけど……。


 ――何よ。メイドさんだって弱い所がある。……やっぱり「人」なんじゃない。


 思えば、絶対に幼い頃のメイドさんだって居たはずよね。それこそ、幽霊という現象におびえることしか出来ないような、そんな時期が。私は事前情報があったから耐えられた。だけど、もしそんな情報を持ってなくて、不意に幽霊の行進に遭ったとしたら? 誰もいない状況で、意味も分からないことが次々に起きて、身の毛もよだつような存在が目の前に居る。追い払おうにも触れられなくて、その恐怖の時間がいつ終わるかもわからないという、もう1つの恐怖も生まれる。


 ――……絶対に、トラウマものだわ。


 何より、私も、メイドさんも、リアさんも。奉仕種族であるホムンクルスの宿命なのかもしれないけれど、姉妹揃って寂しがり屋だものね。誰もいない、声も届かないような場所に居る幻を見せられる。たったそれだけで、恐怖するには十分でしょう。


 ――だけど、そう。だけれど……よ。


 メイドさんは、私の憧れだ。そんな彼女の弱っている姿を、私は見たくない。彼女にはいつものように毅然きぜんとした態度で、優雅で、悠々としていて欲しい。何より、私に安心をくれる優しい笑顔で、笑っていて欲しい。

 だから私は、メイドさんに、弱いままで居ることを許さない。


「大丈夫よ、メイドさん。あなたには、私が居るもの」


 メイドさん。あなたには私という、守るべき対象が居る。仕えるべき主が居る。そしてあなたは、名前の通り侍女メイドだ。誰よりも誇り高く、努力家な、私の自慢の従者だもの。


「私が一応の主人で、メイドさんが従者。そんなあなたが、主人である私に甘えてどうするの? 幽霊なんかに怯えて、震えて。そんなんじゃ、私を守れないじゃない」


 メイドさんは私を守らなければならないし、私も主人としてメイドさんを守らなければならない。そう言う対等な相互関係が、私たちの関係でしょう? だからこそ、私はあなたを守ることができるように強くなりたいと願うし、努力だってする。なまけてしまうことも、あるけれど、その時はいつだってメイドさんが叱ってくれた。

 私は、私を見上げているメイドさんの顔に両手を添えて、今一度視線を交わす。


「メイソンさんのくだりでバレているから言うけれど、私はあなたに憧れているの。あなたの一挙手一投足に、魅了されているわ。端的に言って、大好き」


 心の内の告白に、メイドさんが目を大きく見開く。


「だから、どんな相手にも怖がらないで。怯えないで。あなたは強いあなたのまま、私に憧れられていなさい」


 自分で言うのもおかしな話だけれど、なんて自分勝手な言い分なのかしら。相手に理想を押し付けて、心の傷を無視して、土足で踏みにじって、無理矢理前を向かせる。本当に、我がまま放題だと思う。

 だけど、メイドさんには……メイドさんにだけは、私は理想を押し付けていたい。まだまだ遠い彼女の背中を、追わせて欲しい。こんな、私の手が届くような場所には居ないで欲しい。……嘘。ぎりぎり届く距離で、時々は触れさせて欲しいし、抱きしめて欲しいけれど、ともかく。


「分かったなら立って。私も幽霊の行進に遭って怖かったの。膝が笑って、立つことも出来ない。こうしてあなたを抱くために腕を上げることも辛いわ。だから、気分が落ち着くまで、私を抱きしめて」


 メイドさんが居るべき場所は、私の腕の中じゃない。震える私を抱きしめるのが、あなたの役目でしょう。そう言った私をしばらく呆けた顔で見上げたメイドさん。私を抱く腕からはもう、震えが消えている。やがて、顔をうつむけて、そのままゆっくりと身を引いた。

 前髪のせいで、メイドさんの表情は見えないけれど。


「ん」


 私はメイドさんに向けて両腕を広げる。するとメイドさんは震える腕と足を使って、どうにか膝立ちになった。そのまま私をそっと抱きしめる時も、倒れこむような勢いだったけれど。


「これで、よろしいでしょうか、お嬢様?」


 頭上。普段よりは語気が弱い。それでも私が安心することができる、優しい声で言ってくれる。


へへええ。……ぷはっ。言っておくけれど、さっき言ったことは全て本当だから」

「全て、とは?」

「あなたに憧れているってところとか、大好きってところとか」


 ちゃんと言葉が伝わるように、メイドさんの目を見て話す。


「立てないというところも、ですか? わたくしには強姦魔ごうかんまのように迫り、それはもう強引に立ち上がらせたというのに?」


 やや言葉にとげを感じるけれど、まぁ、おおよそは間違っていないのかしら。欲望を押し付けたという意味では、間違っていないのだし。


「ええ、それも事実。だけど安心して? あと1分もすれば、膝立ちくらいにはなれると思うから」


 それまでは、私を守っていて欲しい。そうすれば、私も1人で立ち上がってみせるから。そう伝えるつもりで言った言葉だったのだけど。


「んふ♪ ということは、あと1分は、わたくしが何をしてもお嬢様は抵抗できない、と」

「……え?」

「先ほどお嬢様はわたくしに無茶を押し付けてきました。そして、出来る侍女メイドであるわたくしはそれに見事、応えて見せましたよね?」


 間違ってはいないから、私は頷くことしか出来ない。


「では、主人の命令を果たしたわたくしには当然、褒美ほうび・報酬と言うものがありますよね?」

「それはそう、かも知れないけれど……。別に今じゃなくて良くないかしら?」

「んふ♪ 今だからこそ、出来るご褒美というのもあるということです。では……」

「え、ちょ、ちょっと?! メイドさん?! 私の後ろに回って何を……あ、待って! そこは――」


 そこからきっちり1分間。私はメイドさんによる久しぶりのセクハラを受けることになる。……ふふんっ、だけど私は知っているのよ、メイドさん。あなたのセクハラは照れ隠しってことをね!


「はぁ、はぁ……んっ。照れなくたって、いいじゃない」


 恐怖とはまた違う、くすぐったさのせいで足腰に力が入らなくなった私。荷台に寝転がったまま、立ち上がったメイドさんを見上げる。


「照れる? わたくしが? 調子に乗らないで下さいね、お嬢様」


 そう言って冷ややかに私を見下ろす彼女は、私の知るメイドさんだ。……もしかして今なら。


「メイドさん! 後ろに幽霊が――」

「きゃーーー!!!」


 可愛い悲鳴を上げて〈瞬歩〉でどこかへと姿を消したメイドさん。どうやら苦手を克服したわけではないようだけど……。


 ――少なくとも、その場から離れるという最低限の判断が出来るくらいには、なったのかしら?


 息を整えて寝ころんだまま周りを見てみると、前方、ポトトとユリュさんは虚空を見つめている。どうやらまだ、幽霊の行進の最中みたい。一方、ついさっきまで隣に居たはずのティティエさんが居なくなっている。どこに行ったのかと思えば……。


「ん!」


 どうやら荷台に迫っていたらしいアフイーラルを倒してくれていたみたい。確かに幽霊の行進自体には害が無いけれど、魔物たちと一緒に発生したらたちが悪いわよね。その危険性にティティエさんは早々に気付いていたのかしら。ただ戦いたかった、という側面もあったのかもしれないけれど。


 ――ほんと、頼もしいわね……。


 赤竜せきりゅう、キリゲバ、シャーレイ……。どんな相手にもおくすることなく立ち向かうティティエさんこそ、恐怖という感情から最も遠い存在なように思えた。

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