○幽霊さん、いらっしゃい

 足元からはカラカラとなる車輪の音。前方からはポトトとユリュさんの二重奏。そして、鳥車の周りからは散発的に肉がつぶれるような湿った音が、それぞれ、魔石灯の照らす荷台にいる私の耳に聞こえてくる。最後の音の正体は、寄って来る魔物たちをティティエさんが倒してくれている音ね。

 大迷宮第3層“死者の階層”に来てざっくりと6時間くらい。洞窟を抜けて30㎞くらい移動したことになるかしら。


「死滅神様! 右の方に町が見えてきました!」


 ユリュさんの報告で、私は荷台から顔を出して示された方向を見遣る。そこには、遠目でもひときわ目立つ光を放つ巨大キノコのアッセがある。そしてその足元には確かに、町らしきものの影が見て取れた。


「なるほど、第3層ではアッセを中心として町を作るのね……。ポトト、あの光っているキノコの方にお願い!」

『クルッ!』


 暗闇の中で、少し方向感覚が鈍っていたのでしょう。あるいは、途中でアフイーラルとの戦いを何度か挟んだ時に、進路がずれてしまったのかも。とりあえず私はポトトに軌道修正を指示して、町へと向かってもらう。この分だと、あと30分もかからないわね。


「ふぅ……。ひとまず、町を見失わなくて良かったわ。ね、メイドさん?」

「……ええ。そうですね」


 私の正面には木箱に挟まれて、大人しく膝を抱えているメイドさんの姿がある。言動こそ普段とそう変わらないのだけど、受け答えに微妙な時差があるのよね。目を閉じて休養に努めているよう見えるけれど、何かを見ないようにしているようにも思える。

 果たしてどちらなのか。見ないようにしているのだとするなら、何におびえているのか。そろそろ正直に教えてもらおうかしら。


「ねぇ、メイドさん。そろそろ……ひゃんっ?!」

『帰還。敵、掃討』


 話題を切り出そうとした私の首筋に触れて、ティティエさんが話しかけてくる。


『スカーレット、驚愕。面白い』

「もうっ、からかわないで……って、メイドさん? どうかしたの?」


 さっきまで膝を抱えていたメイドさんがいつの間にか立ち上がっていて、その手にはナイフが握られている。けれど、すぐに警戒の必要がないことを悟ったのでしょう。


「……お嬢様こそ、驚かせないで下さい」

「あ、えぇっと、ごめんなさい……?」


 どこか子供っぽく唇を尖らせて文句を言いながら、再び膝を抱える姿勢を取った。……なぜか私が怒られてしまったわ。


「ティティエさんのせいで怒られちゃったじゃないっ」

『スカーレット、変な声。原因』

「そ、そうだけど……。そもそも急に首を触られたら、誰だってああなるわよ!」


 私の方は小声で話しながら、死肉で手を汚しているティティエさんにタオルを渡してあげる。もちろん、自分の首を拭いた後にね。


「この階層の魔物はどうだった?」

『アフイーラル、弱い。強い、稀。コーラ、まぁまぁ』


 嬉々として魔物の群れに飛び込んで行っては、蹂躙じゅうりんしていたティティエさん。本当は全てのアフイーラルを私の手で殺してあげたいのだけど、私の方はそうそうにスキルポイントが尽きてしまった。それでも襲い掛かって来るアフイーラル達。エヌ硬貨を使う手もあったけれど、いかんせん金欠だ。結局、私は23体のアフイーラルを殺したところで、残りの全てをティティエさんに倒してもらうことにしたのだった。

 ついでにコーラというのは肉が完全に腐り落ちて骨だけになったアフイーラルのことを言うわ。骨だけで動く不思議な魔物で、アフイーラルとは比較にならないくらい素早い動きをしてくる。当然、スキルや武器を使ってくる個体もいた。


 ――アフイーラル。コーラ。最後にもう1体、魔物と言うかこの階層には死にまつわる現象があるのだけど……。


 そもそもこの階層にどうして動く死体が多く居るのか。それは、この第3層が、昔からタントヘ大陸の墓場の役割を担ってきたからだ。いつ、誰が、どのように始めたのかは分からない。けれど、タントヘ大陸で死んだ人の亡骸なきがらの多くが、この階層に捨てられる。

 私たちがこの階層に来る時に使ったような川が他にもいくつかあって、人々はそこに死体を流す。すると、緩やかで曲がりくねるようになるこの階層の川に死体が漂着して、魔物化する、と言った具合ね。この階層に来た時にメイドさんが言っていた。


『ここからは川に魔物がうようよと出ます。陸地を行く方が安全でしょう』


 その理由はまさにこれね。死体はしばらく水に浮いた後、腐敗が進行すれば水底へと沈んでいく。そして、時間をかけて魔物化する。だから川や湖の底にはかなりの数、不死者の魔物たちが居ると見て良かった。……まぁ、不潔という意味で、私はユリュさんにそんな川を泳いで欲しくないというのもあるのだけど。


「そう。じゃあティティエさんとしては、物足りない感じかしら?」

『ん。メイド、手合せ、所望。でも、不調?』


 少し心配そうな目で、メイドさんを見遣るティティエさん。


「不調とはまた少し違うような気がするけれど……」

『……?』


 私の言葉にティティエさんが首を傾げた瞬間だった。荷台を照らしていた魔石灯が、誰も触っていないのに、ふっと消える。それだけなら、動力になっている魔石の魔素が切れた、で済むのだけど、今回は点いては消えてを繰り返している。

 異変は、それだけにとどまらない。荷台に積んであった木箱が、突然揺れ出したかと思うと、崩れた。鳥車全体が悲鳴を上げるようにきしみを上げて、木くずを散らす。と、周囲が再び暗くなると同時。全ての音が止んだ。不気味なまでの静けさ。誰の声も聞こえない。というより、メイドさんも、ポトトも、ユリュさんも。私の隣で手をつないでいたはずのティティエさんの姿すら見えなくなっている。けれど……。


『スカーレット、守る』


 ティティエさんの念話の声だけは、きちんと聞こえている。試しに繋がれている手を握り返せば、しっかりと感触が返って来る。つまり、居なくなったんじゃなくて見えなくなっているだけ。


 ――これは、もしかして……。


 “死者の階層”はその名の通り、死であふれている世界だ。死体が動く時点で意味不明だし、骨だけになっても動けるなんて不可思議の極みだと思う。そんな不思議な現象を引き起こしているのが、本物の迷宮にも引けを取らない濃密な魔素だ。場所によってその濃度は異なるのだけど、時折、魔素が濃い場所ではこうしてまぼろしが見えることがある。その現象の名前が……。


 ――『幽霊ゆうれいの行進』だったかしら。


 幽霊ゆうれいというのは、元々チキュウから持ち込まれた概念だったように思う。魔石灯やヒカリゴケを始めとして、特定の条件下で魔素が光り輝くことはよく知られている。そして、〈ステータス〉を持つ生物は生きているだけで体内に魔素を蓄積させていく。それが『レベル』でもあるのだけど、そうしてため込んだ魔素は死んだと同時に一気に放出されていく。その際、人型の発光現象が起きることがあるらしい。それが、さっきも言った『幽霊ゆうれい』という現象の正体ね。


 ――で、濃密な魔素の塊でもある幽霊に触れて幻を見ることがある。だから、幽霊の行進。


 いま私たちを襲っているこの現象こそが、まさに幽霊の行進だ。魔素の影響で、様々な幻聴げんちょう幻視げんしをしてしまう。いわばただの妄想でしかないから実害は無くて、じっとしていれば問題は無い。……問題は、無いの。だから今。私の目の前で目も口も鼻も真っ黒な穴になってしまっている金髪で半透明の人が居ても、無視をすれば問題ない。


『ねぇ、視えてる?』


 いくつもの男女の声が重なったような声で言って、首をかしげているこの人も全てはまぼろし。事前にこういう現象があると聞いていたから、自分でも驚くほど冷静だし、きちんとこれが幻だと理解できている。そう、頭では分かってはいるのだけど……。


『視えてるよね? 一緒に、こここっちにおいでよぉ』


 ――む、無理ぃ……。


 本能的な恐怖というのかしら。ケーナさんを相手にした時と同じくらいの恐怖が、私の膝を震わせる。腰はとっくに抜けていて、手足に力が入らない。せめてもの抵抗としてぎゅっと目をつぶって、私は幽霊の行進が終わるのを待つ。一体どれくらいの時間、幻聴と戦っていたのかしら。不意に、私のお腹に強い衝撃があった。


 ――嘘でしょ?! 実害がないんじゃなかったの?!


 まさか幽霊に攻撃されたのか。慌てて目を見開いてみると、もうそこには半透明の人は居なくなっていた。魔石灯が照らす荷台も、木箱も、無事。ポトトのお尻も、ユリュさんの背中も見える。2人も幽霊の行進に襲われているのでしょう。いつの間にか鳥車は停まってしまっていた。とは言え……。


 ――良かった! 私の幽霊の行進は終わってる……!


 安心もつかの間。私のお腹を強く抱く存在に気が付く。そう言えばお腹への衝撃で目を開けることになったんだったと視線を落としてみれば、そこには。


「れ、レティ……。その……失礼します……」


 聞いたことがないくらい弱々しい声で言って私に抱き着いているメイドさんの姿があった。

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