○水浸しの暮らし

 上層に流れ込む海水が長い時間をかけて濾過ろかされ、真水になって天井から雨のように滴り落ちる第2層。長い時間をかけて降り注いだ水は6日目のナールの形をした階層全体を浸水させ、巨大な湖を作り出していた。

 そういうわけで、第2層での移動はほとんどが手漕てこぶねを利用することになる。ドドラの乗り降り場にはおあつらえ向きに小舟こぶねを売る業者さんが居て、ほとんど全員が買うことになった。


「新品1そう50,000n。中古が5,000nから。商売人って、本当にしたたかよね」

「需要と供給が成り立っている、ということでしょう」


 私とメイドさん、鳥かごに入ったポトト。3人で身を寄せ合って、7,000nの小さなふねに揺られる。舟から顔を出せば、湖の底が見える。深さは平均して3mくらい。ごつごつした岩がたくさん突き出していて、座礁ざしょうしないように進まないといけなかった。

 でも、私たちには優秀な船頭と舟の推進力となってくれる存在が居る。私が船首に顔を向けると、折良く水面から飛び跳ねたユリュさんの姿があった。


「あはは、冷たくて、気持ち良い!」


 空中で嬉しそうにはしゃいでは、水しぶきを上げてまた水の中へと消えていく。船首に括り付けた縄をユリュさんが引っ張る形で、私たちの舟は進んでいた。それも、手漕ぎでは絶対に出せないような速度で。

 場合によってはこの手漕ぎ舟で、数百キロと移動するんだもの。しかも水中には魚の魔物だって居るし、おんぼろの舟だと座礁ざしょうする可能性だってある。舟は妥協すべきじゃないと言った私とメイドさんに反対したのは、ユリュさんだった。


「だったらが、船をきます!」


 本人曰く、危険な岩場を水中から目視で避けられるし、この辺りに居る魔物は自分の泳ぐ速度について来られない。魔物の接近も、敏感な耳ヒレで容易に捉えられる。


「もし沈没しても、つかまってくれれば、近くの陸地までひと泳ぎですっ!」


 ほとんどふくらみのない胸を主張して、そう言ってくれたユリュさん。もちろんメイドさんは消極的だったけれど。私がお金を節約したかったことと、何よりもユリュさんを信じてみたかったから、中古の舟を買ったのだった。

 結果は、この穏やかな船旅が示してくれていると思う。たまに飛行する魔物が襲ってくるくらいで、水中の魔物による被害は全くなかった。


「今のところ、問題はなさそうね」

「はい。こうしてゆっくりと大迷宮を観察出来る点については、ユリュに感謝しなくてはなりませんね」


 遠くを見遣ったメイドさんにつられて、私も大迷宮全体を見渡してみる。水浸しの第2層だけど、実は1層にも負けないくらいの人が住んでいる。主な理由としては純粋に、飲み水が豊富だから。魔物も比較的弱いものが多くて、水生生物ばかりだから地上に居ればほとんど襲われることもない。涼しいし、景色もきれい。定住するという意味では、1層と良い勝負なように私には思えた。


 ――じゃあ肝心の、人々はどこで暮らしているかと言うと……。


 私は水面を割いて突き立つ、天然の石の柱を見遣る。太さも高さも様々だけど、色は水底と同じ乳白色をしていた。


「あの石柱に、人が住んでいるのよね?」


 見上げる先。ぽっかりと開いた穴から顔を覗かせて手を振る子供の影に手を振り返してあげながら、メイドさんに尋ねる。


「はい、シロハシラ鉱石ですね。降り注いでいる水に含まれる成分が長い時間をかけて固まったもの、と聞いていますね。極めて頑丈で魔物の攻撃すらはねのける。その性質を利用して、古くから居住区として利用されてきました」


 黄緑色に発光する不思議なヒカリゴケが放つ光の下。至る所に突き立っている乳白色の石柱シロハシラ鉱石のそれぞれに、人の暮らしがある。場合によっては一定の範囲の石柱同士で集落を築いていることもあるみたい。


わたくしたちがいま居る場所が、大陸のほぼ中央。現在は、最も大きなシロハシラ鉱石の石柱がある大陸やや南部を目指しています」

「確かそこに、魔石を売るための冒険者ギルドだったり、破壊神の総本山だったりがあるのよね」


 確認した私に、メイドさんがコクリと頷く。私たちが目指しているのは、いわば2層で最も栄えている都市だ。そしてそこには4大神の1人、“破壊神”ギードさんが居るはず。


「メイドさんも会ったことが無いのよね?」

「そうですね。わたくしが生まれるずっと前に、ご主人様は挨拶を終えてしまっていたようなので……」


 巨人族の身長は10m近くあって、身体の表皮には岩とそっくりな硬い皮膚のコブがあると聞く。驚くべきはその寿命でしょう。嘘か本当か、500年近く生きることが出来るらしい。いま居る4大神の中で最も年功がある存在だと、パリの収穫祭の時にアイリスさんから聞いていた。


「急に出会ったテレアさんの時とはわけが違うわ。会いに行く時は、私の身だしなみと作法の確認をよろしくね」

「自然な上から目線での頼み事。本当にお嬢様はその辺り、変わりま――」

『クルッ!』「死滅神様!」


 突然、私たちの索敵担当ポトトと、水面から顔を出したユリュさんが緊急を知らせてきた。


「何があったの?!」

「多分、敵です!」


 どこに居るのか。目線で尋ねた私に、ユリュさんは進行方向から見て左手。大迷宮の壁を指し示す。船と壁の距離は目測で500mくらい。だけど私の目からはいだ水面しか見えない。


「ユリュ! 何をしているのです、早く船を移動させなさい!」

「は、はいっ!」


 メイドさんが急かしたものだから、ユリュさんも焦って船を動かす。当然船は大きく揺れて、船の縁に手をついて目視で索敵をしていた私は、


「えっ」


 あっけなく船から落ちて、水の中へと放り出された。大量の泡が私を包み、水面へと上って行く。一方で水を吸った服と、ブーツを履いているせいで水をうまく蹴られない私は、どんどんと水底へと落ちて行く。落水で発生した泡が消え去って視界がきれいになったその時になってようやく。水の中に居るソレと目が合った。

 水中でうねうねと動く身体。景色に溶け込むためでしょう。全身は白い皮膚で覆われていて、胸鰭むなびれ背鰭せびれは少し黄味がかった色をしている。体長はドドラと同じく30mはありそう。だけど、特筆すべきはその大きな口でしょうね。上下に大きく開く巨大な口は小舟1つなら簡単に飲み込んでしまえる大きさをしている。牙が見えないから、きっと獲物は――私は丸飲みされてしまうのでしょう。

 元々は、ヌメヌメした蛇のような『ヌメラ』という魚なのだけど。魔物化したソレは超巨大になる。第2層に暮らす水中生物の中で最も大きな魔物。水中に落ちた私に向けて大きな口を開いたソレは――。


「がぼぼぼ(シャーレイ)!」


 私は魔物図鑑で予習しておいた名前を叫んだ。

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