○お仕置きが必要ね?

 途中、ドドラ以外で移動する人のための宿場町で休憩を挟みつつ、キュウちゃんに揺られること2時間弱。前方に光が見えて来て、洞窟の出口が近いことが分かる。


「メイドさん。第1層が“木漏れ日の階層”だったじゃない? じゃあ第2層はなんて言うの?」


 膝の上。いつの間にか眠ってしまっているユリュさんの柔らかな髪を撫でながら、メイドさんに小声で聞いてみる。対するメイドさんは顎に指を当てて「そうですね……」と記憶を探る時の仕草を見せた。そんな、どこか勿体ぶっているようにも見える彼女の態度に、私はつい唇を尖らせてしまう。


「もう、早くしないと第2層に着いちゃうじゃない!」

「しーっ、ですよ、お嬢様。ユリュが起きてしまいます」


 唇に人差し指を当てて、静かにするように言ってくるメイドさん。思わず口を塞ぎながら膝の上のユリュさんを見てみるけれど、気持ちよさそうに寝息を立てている。


「あなたが意地悪するからじゃない」

「んふ♪ むくれるお嬢様は今日も可愛らしいですね?」

「もうっ! 私の質問に答えて」


 なんて言っていたら、ほら。もう第2層じゃない。……もういい、意地悪なメイドさんなんて知らない! 私がこの目で確かめれば良いんだもの。

 メイドさんから目線を切って、ゆっくりと広がっていく光に目を細める。暗闇に慣れ切った私の紅い目が再び線を結んだとき。そこには、見たこともない青色に輝く水面が見えた。青とも緑とも言い辛い。だけど、見惚れてしまうほど美しい色をした湖が、どこまでも続いている。でもここは地下だ。湖を形成するその水がどこから来ているのかと言うと……。


「嘘、でしょ……? 地下なのに雨が降ってる……」


 天井からぽたぽたと滴り落ちる、無数の水滴。それがまるで雨のように水面を叩いて波紋を生んでいた。同時に聞こえてくるのは、水滴が奏でる雨音だ。高すぎず、低すぎず。自然が奏でる耳馴染みの良い音が洞窟の壁に反響して広がり、複雑に絡み合った音楽を作り出している。その音楽を聴いているだけで、メイドさんのせいでささくれ立った心も瞬く間に落ちついたのだった。

 壁沿いに続く坂道を下るキュウちゃん。その道中も、私は地下とは思えない幻想的な光景に目を凝らす。


「ねぇ、メイドさん。あの壁で光っているものは何?」


 私が指し示したのは、第2層の壁や天井、柱で緑色に輝く塗料のようなもの。あれのおかげで第2層は明るいのでしょうし、あの光を反射することで下に溜まっている水の色が映えているのだと思う。

 第2層の美しい光景を作り出しているアレがなんなのか。もう勿体ぶらなくてもいいでしょうとジト目で尋ねた私に、ようやくメイドさんが答えてくれた。


「あれは見た通りヒカリゴケという名前のコケですね。潤沢な水が存在する場所にのみ自生しており、土や水の中にある魔素で光り輝いているとされています。実はあのヒカリゴケこそが大気中に魔素を放出している植物とされているんですよ。事実、第2層以下至る場所に自生しているヒカリゴケの周辺で休息をとるとスキルポイントが早く回復すると言われています。が、そもそも大迷宮の2層以下は魔素の濃度が高いので、そのせいだろうともされているのですが、それこそヒカリゴケが魔素を生成しているからだという説もあって――」


 得意満面に細い指を振り振り、可愛い小さなお口をパクパク。いやもう本当に。本当にこのメイドは。要らない時にばかりぺらぺらと。


 ――その饒舌じょうぜつさで、自分の気持ちを言葉にしてくれたら良いのに。


 肝心なところは一切教えてくれない秘密主義の従者には、ため息しか出ない。うつむいて膝の上にあるユリュさんの可愛い寝顔でも堪能しようかと思ったら、薄目を開けていた紺色の瞳と目が合った。


「まぁ、これだけ騒がしくすれば起こしてしまうわよね? とにかく、起きたのなら身を起こしてくれると助かるわ。そろそろ太ももが限界よ」


 それに、ここからまた上下に揺れることになるでしょう。安全棒で身体を押さえつけておかないと、ユリュさんの小さくて軽い身体は簡単に飛んで行ってしまう。安全のためにも身を起こして欲しいと、そう言っているのに。


「……あ、は寝ているので。起きません」


 寝ぼけているふりを装っているつもりなのか、私の腰に手を回して頑固として離れない姿勢を見せるユリュさん。眠っている人は、そんな的確な返しをしないと思うわ。何にしても、ユリュさんの安全には変えられない。


「そう……。困った従者には主人からのお仕置きが必要ね?」

「ふぇ?」


 悪いとは分かっているけれど、私はユリュさんの最も敏感な部分の1つ――紺色の髪からのぞく青い耳ヒレをつまむ。引っ張ってしまうと激痛が走るらしいから、慎重に、耳ヒレを指先で撫でる。それだけで、「あぅっぁ?!」という情けない声と共に、ユリュさんの全身がピンと硬直した。


「し、死滅神! そこはダメです!」

「なら早く起きなさい。じゃないと……」


 もう一度、青い耳ヒレを優しくなでる。再び尾ヒレの先まで硬直するユリュさんの身体。


「んっ、あぅっ。えへへっ、死滅神さま、くすぐったいですっ」

「あれ? 意外と余裕ね。じゃあ……」


 さすさす、ムニムニ。さわり心地の良い耳ヒレを指先で揉む。


「んっ、あっ、そ、そこですっ! も、もう少し先っぽの方がもっと敏感です」

「え、そうなの? えぇっと……ここかしら?」

「んんっ?! そ、そうです! そ、そのままそこを優しく……痛いっ?!」


 ユリュさんのしっとりと柔らかな耳ヒレの感触で遊んでいると、唐突にメイドさんの手が伸びて来て耳ヒレを強めに引っ張った。かなり痛かったのでしょう。飛び起きる、という表現がピッタリな勢いで身を起こしたユリュさん。傷む耳ヒレを抑えながら、犯人であるメイドさんを涙目で睨む。


「何するんですか、メイド先輩!」

「それはこちらの台詞せりふです。お嬢様に何をさせるのですか、この発情はつじょう人魚にんぎょ


 メイドさんが使った人魚という言葉は、ヒレ族の蔑称べっしょうだ。ガーラ村で聞いた、船をまどわせるヒレ族の伝承。それに恐れをなした人々がいつしか呼ぶようになった名前だったはず。人の形をした魚。つまりは人ではない、という意味でね。

 ユリュさんもそれは認識しているみたいで。


「人魚?! あ、は悪いヒレ族じゃありませんっ!」

「どの口がほざくのです。お嬢様をそそのかして己が欲望を満たそうとする。悪以外の何物でもありません」


 私を挟んで口論する従者2人。後ろに居るお客さん達の視線を感じるのは、気のせいではないでしょう。


「死滅神様! メイド先輩が後輩いびりをしていますっ」

「またそうやってお嬢様に頼って、逃げるのですか? たまには自分で言い返してみてはどうです?」

「メイド先輩を倒すには、いろんな意味で死滅神様が必要です。だから……スカーレットお姉ちゃん、を助けてください!」


 ユリュさんがうるんだ瞳と震える声で私に助けを求めてくる。お姉ちゃんという甘美かんびな響きに私が心を揺らしていると、今度はメイドさんが、私の顔を自分の方へ向けて至近距離から説得してくる。


「お嬢様。甘やかしはほどほどに。でなければ、ますますユリュが増長します」


 久しぶりに間近で見るメイドさんの宝石のような瞳と、人形のように整った顔形。やっぱりこうして改めて見ると、メイドさんは美人さんなのだとよく分かる。まぁ、よく見なくとも、きれいで可愛い私の従者なのだけど。

 前面のメイドさん、背面のユリュさん。厳しさを示せと言うメイドさんと、私を姉と言って慕ってくれるユリュさん。一体、どちらの肩を持つべきなのかしら。どっちの味方をしても、角が立つ問題よね。正直、私を介さずに自分たちだけで解決して欲しい。というよりそもそも、今、2人は何のことでケンカをしているのかすらも、私は分かっていない。


 ――どうにかうやむやにできないかしら?


 足りない頭で考えて、逃げ道を探していた私に救いの手が差し伸べられる。


「お客さーん。着きましたよー」


 やや気まずそうに、操龍手だったエスレナさんが声をかけてくれたのだ。私が考えている間に、どうやらドドラでの旅路は終わってしまっていたみたい。いつの間にかキュウちゃんは停まっていて、他の乗客さん達は足早に降りて行っていた。


「とりあえず降りるわよ、3人とも。長い旅路をありがとう、エスレナさん、キュウちゃん」


 エスレナさんと、私たちを運んでくれたドドラのキュウちゃんにお礼を告げて。ついでに迷惑料と快適な旅の報酬として追加で3,000nを払っておく。


「これでキュウちゃんに美味しい土でも食べさせてあげてね」

「毎度ありー」


 とぐろを巻いたキュウちゃんの身体をぴょんぴょんと跳び降りると、そこはもう大迷宮。黄緑色に発光するヒカリゴケ。見たこともない水色を返す一面の湖。天井から落ちる水滴が立てるぴちょん、ぴちょんという心地よい音が鳴り止まないここが。


「大迷宮第2層。通称“雨音の階層”なのね……」

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