○魔法と呪文は似て非なるもの

 待つことざっくり30分。ドドラの頭に近い位置にある客席には、私たちの他にも数人、冒険者と思われる人族の姿がある。魔物が多い大迷宮は魔石が良く取れて、稼ぎも良い。実力がある冒険者たちがタントヘ大陸に居ること自体は、さして珍しい光景では無かった。

 客席は人族5人掛けの横幅の座席が、進行方向に向けて6列ついている。最初に受付をした私たちは、一番前の席。景色を堪能できるでしょうから、私としては特等席に思えた。でも、ちょっとした不安もあって……。


「メイドさん。この身体を抑える棒の意味は?」


 私が示したのは、身体を押さえつけるように座席につけられている、クッションのついた棒だ。便宜上、「安全棒」とでも呼びましょう。途中で落ちないように、という意味もあるんだと思う。だけど私にはこれが、吹き飛ばされないように身体を押さえつけるためのように見える。


 ――つまり、ドドラって相当な速さで走るんじゃ?


 あるいは、かなり上下に揺れる道のりなのか。私としては気が気じゃない。じっとりと汗ばむ手で安全棒を抑えた私の問いに、メイドさんも可愛らしく首をコテンと倒す。


「さぁ……? 前に申しました通り、わたくしは1層までしか言ったことが無いので、ドドラ……黄龍こうりゅうに乗るのも初めてなのです」


 ドドラはこの地域での呼び方らしい。実際には黄龍こうりゅうという名前で、あの赤竜せきりゅう青竜せいりゅうのお仲間だそうよ。同じ竜(龍)の名を冠する動物だけど、食性も違えば性格も全く異なる。だから混同しないように、共通語で表すときは難しい方の字を使うらしかった。


「そう……。確かメイドさんが前に来た時は、違う穴から入ったのだったかしら?」

「はい。もう少し北にある、数少ない人族の集落近くから潜りました」

「私たちはちょうどタントヘ大陸の真ん中あたりに居るから……ざっと500㎞は離れている計算ね」


 面積こそフォルテンシアいち小さいけれど、タントヘ大陸は大陸だもの。端から端までは1000㎞以上は余裕である。場所によって暮らしている種族も文化も違うとなると、メイドさんの知識もなかなか活用できなかった。


 ――ま、未知を知れてメイドさんは嬉しそうだから良いけれど。


 ガーラでも見せていた知識欲旺盛なメイドさんの姿は可愛いし、何よりも尊敬できる。やっぱり私が目指したい大人の像がメイドさんね。

 なんて、改めて頼りになる従者のきれいな横顔を見ていると、反対方向に座るっちゃい方の従者ユリュさんが私の服の裾を引っ張った。


「どうしたの、ユリュさん?」

「えへへ! ドドラ楽しみですね、死滅神様!」


 キラキラした顔で同意を求めて来る。ドドラに乗ろうと言い出したのも彼女だし、ぺちぺちと尾ひれで座席を叩いていることからも、彼女が待ちきれない様子だということが分かる。こうして無邪気にふるまってくれていれば、私としては嬉しいのに。


「でもでも! やっぱり怖いので、死滅神様に抱き着きますっ」


 と、開いた瞳孔で言って、突然抱き着いてくるから何とも言えない。まぁリアさんと違って、敏感なところを触ってくるわけじゃない。ただ動き辛い、というだけなのが救いかしら。その動き辛さも、ユリュさん自体が軽いからどうってことも無いけれど。


「もう、ユリュさんったら。引っ付くのもほどほどにしてね」

「えへへ~。はい、ほどほどにします!」


 私の腰に回した腕に力をめるユリュさん。……本当に、分かっているのかしら。


「それじゃ、出発しまーす」


 操龍する黒肌族の女性エスレナさんの気の抜けた声と共に、ドドラが身体の側面に生えた黒い触手をうごめかせ、ゆっくりと動き出す。立ち上がりと動き出しこそ揺れたけれど、意外と移動中の揺れは少なくて乗り心地は快適だった。

 ついでに。エスレナさんはなんと言うか黒肌族にしてはのんびりした印象の女性で、相棒のドドラは『キュウちゃん』。この巨体なのに寂しいと「きゅう」と鳴くと聞いて、可愛いと思ってしまったのは私だけじゃないと信じたいわ。


「速度を上げるんで、荷物はきちんと足で押さえるか、ベルトで固定してくださいねー」


 エスレナさんが言う間にも、キュウちゃんはどんどんと洞窟を進んでいく。天井には所々に魔石灯があるけれど、ほとんど真っ暗と言って良い暗さだ。なのにキュウちゃんは迷うことなく進んでいく。地下に暮らす動物たちが持っている〈暗視〉のスキルを、キュウちゃんも持っていると思われた。

 私は座席と足とで挟んでいた鳥かごへと目を向ける。


「ポトトは……大丈夫そうね」


 出発準備をしていた時にはもう薄暗かったものね。ポトトは鼻提灯はなちょうちんを膨らませて、すやすやと眠っている。この子も私に似たのかしら。臆病なくせに眠っている時だけは図太くて、とことん眠る。この調子なら、出口に着くまでは目を覚まさないでしょう。

 他のお客さんも大丈夫だと確認したエスレナさんとキュウちゃんが、ゆっくり、ゆっくりと速度を上げていって。


「「きゃぁーーー!!!」」


 速度は一気にポトトの全速力を通り越した。私とユリュさんとで、悲鳴を上げる。だけど、怖いのではなくて楽しいから。所々で上ったり、下ったり。景色は見えないけれど、一定間隔で置かれた魔石灯がすごい勢いで近づいては、遠ざかっていく。

 多分、1時間で60㎞は進む速さが出ているんじゃないかしら。ディフェールルで暴走したイチさんに近づくとき、メイドさんに抱えられて走った時と同じくらいの速度感だわ。と、不意に、風を一切感じなくなった。その理由は、一番前、御者席に座るエスレナさんが使ってくれている風の魔法のおかげ……かしら?


「【フュール】の派生形の魔法……? エスレナさんの前に、風の膜のようなものがあるわね」

「お嬢様、逆ではないでしょうか。あれらの複雑な現象を引き起こす言葉の羅列を簡略化したものが【フュール】などのよく使われる『魔法』なのだとわたくしは愚考します」

「……そう言えば、魔法ってそういうものだったわね」


 ユリュさんが見せた水柱を発生させる言の葉もそうだけど、タントヘ大陸では種族や部族ごとにそれぞれ特別な言葉の羅列があると聞く。それらを誰もが使えるようにしたものが魔法。ユリュさんが使う水柱を発生させる力を私は魔法だと言っていたけれど、今思えば、正しい意味で使っていたわけでは無かったということね。


「ユリュさん達はあの水柱を発生させる力をなんて呼んでいるの?」

「水柱……。あっ、あれは呪文じゅもんです!」


 不思議な現象を起こす言葉が『呪文』。それらを全国から集めて一般化したものが『魔法』。水を生成するだけの魔法【ウィル】と、水を意のままに操るユリュさん達の呪文。どちらが強力かなんて、比べるまでもない。

 でも呪文は、誰もが使えるわけではない。事実、私やメイドさんがユリュさんに教えてもらって水柱を発生させる呪文を唱えてみたけれど、何も起きなかった。ずっと水に親しんで、水がどのように動くのかを正確かつ鮮明に脳裏に描けない限りは、呪文は効力を持たない。『器用さ』と『魔力』で言えばフォルテンシアで1、2を争うホムンクルスの私たちですらできないんだもの。一般人がちょちょいと出来るものではなかった。


「魔法と呪文。似て非なる物なのね……」

「強くなるための近道はない、ということでしょうね。というわけでお嬢様、2層につき次第、いつものように体術とナイフの扱いの練習、筋力の鍛錬と行きましょう」

「せ、せめて1日くらい、観光させて頂戴……」


 ほぼ真っ暗な洞窟の中。龍の背中に乗っているとは思えないくらい平穏な時間を、私たちは過ごすことになった。

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