○迷宮名物『ドドラ』

 ユリュさんの実力も確認できたし、森の魔物たちも問題がない。ということで、大迷宮に来て7日目にあたる8月の10日目。私たちは第2層へと続く洞窟の前まで無事にたどり着くことが出来ていた。


「この大きな洞窟が、2層への道……?」


 私が見上げる先には、高さ30m、横幅15mほどの大きな横穴が口を開けている。


「はい、そう聞いています。長さは約100㎞。その長さで第1層の岩盤、約1㎞を一気に下ります」


 100㎞と言うと今のククルポトトが1日半で踏破できる距離ね。でも、その距離で1㎞を下るとなると、かなり急な坂になっていそう。足の負担は下り坂の方が大きいし、この先もポトトには頑張ってもらわないといけない。


「ポトトの足の負担を考えると、2日をかけて進むべきかしら」

『ルゥ?』


 ポトトの羽を撫でながら、彼女ポトトの調子を伺う。毛並みも、目つきも。今日は万全そうね。これなら今日進みたい分は進めそう。なんて思いながら、私が100㎞道のりをどう進むかを考えていると。


「死滅神様! 今回はアレを使いませんか?」


 正面から私の服の裾を引く、ユリュさんの声がした。彼女が皮膜の付いた指で示す先、そこにはこんもりと盛られた土の山がある。


「山を使って移動するの?」


 私の問いに、ユリュさんは紺色の髪を揺らして首を横に振る。


「いいえ、よく見てください!」

「よく見て……? ひょっとしてあの山に何かが隠れている……の……」


 話している途中だった。土の山がもぞもぞと動いたかと思うと、ちょっとした地響きが周囲に鳴り響く。私が山だと思っていたもの。それは巨大な生物がとぐろを巻いた姿だったみたい。若干の砂ぼこりを立てながらゆっくりと頭をもたげたその生物は……。


「……うん? 何あれ?」


 私が見たことのない生物だった。全長30m以上はありそうな、平べったくて細長い身体。地面と同じ色をした皮膚は幾重にも重なり、まるで鎧のようになっている。その身体からは数えきれない触手のようなものが生えていて、多分、あれ全部が移動に使う足なんじゃないかしら。頭にはつぶらな黒い瞳が2つ。丸い口の中では無数の牙がうごめいていて、食べられれば命がないことだけは分かった。


「迷宮名物、ドドラです! あの子が洞窟を掘ってくれてるんですよ」


 今日も今日とて私に抱き着きながら、ユリュさんが掘削くっさく生物ドドラについて説明してくれる。彼女の話によれば、ドドラの背中に乗って階層間を移動するのが迷宮の名物らしい。恐ろしい見た目に反して性格はとても温厚で、普段は鋭い牙で土を食べて栄養を摂っているようだった。


「アレに乗る、と言っても……。大丈夫なの?」

「はい! 地上に出てるってことは、多分……居ました!」


 巨大なドドラの影に隠れていたのは、黒肌くろはだ族の女性だ。肌の色以外は人間族と変わらない見た目をしていて、身長はメイドさんと同じくらい。

 黒肌族の人々が人族入りしていないのは、地上での生活に大きな制限を受けているからだと言われているわ。というのも、黒肌族は高いステータスの値を持つ反面、デアの光を受けると『体力』が徐々に減っていく種族特性を持っている。そのせいでほとんど地上での生活を送れず、どの種族よりも真っ先に大迷宮の中で閉鎖的な文明を築いてきた。

 だからかも知れないけれど、黒肌族はどの魔族よりもタントヘ大陸の風習を強く持っていると言われている。つまり、弱者死すべしってね。


「メイド先輩、あの人と話をつけて来てください。はここで死滅神様をお守りしますっ」


 私に引っ付いたまま、メイドさんへと指示を飛ばす恐れ知らずなユリュさん。もちろんメイドさんが素直に従う訳も無くて。


「今後も人見知りのままではお嬢様の役に立てません。人付き合いの練習も兼ねて、ユリュこそが彼女と話をつけるべきではないでしょうか?」


 それに、ドドラでの移動を提案したのはユリュさんだろうとメイドさんは指摘した。


「むむむ……」

「メイドさんの言う通りね、ユリュさん。私も乗ってみたいから、私が交渉してみましょうか?」


 その一言でぱぁっと表情を明るくするユリュさんだけど、メイドさんから待ったがかかる。


「お嬢様。甘やかしてばかりではユリュが成長しません。ユリュも、お嬢様に似合う大人になるのでしょう? であれば、これくらいのこと出来なくてどうするのです」


 大人になる。その言葉に、ユリュさんの耳ヒレがピクリと反応する。私に抱き着いたまま、葛藤かっとうするような間があって。やがて、おずおずと私を見上げてくるユリュさん。


「死滅神様は……。死滅神様は、が頑張れば褒めてくれますか?」

「……? ええ、そうね。頑張る人は、大好きよ?」

「そう、ですか」


 メイドさんにサクラさん、ポトトにリアさん。私の周りには、頑張り屋さんしかいない。彼女達に比べると私なんて怠け者も良いところ。尊敬や憧れこそすれ、一生懸命に頑張る人を嫌う理由なんてどこにもない。


「死滅神様は、頑張るが、大好き……。が頑張れば、死滅神様はを大好きになる。うん、分かりましたっ」


 私の胸に顔をうずめて何事か呟いたユリュさんが、パッと身を離す。


「あ、が行ってきます! 死滅神様がドドラに乗れるように、あの人に話してきます!」


 涙目で、でも、表情をキリリと引き締めて。両こぶしを胸の前で握ったユリュさん。人見知りの彼女が自分から知らない人の所へ行くというんだもの。応援しないわけにはいかない。


「ふふっ! そう? それじゃあこれを持って行って。きっと交渉が上手く行くはずだから」


 私はお守りとして、3,000nを渡す。もちろん、黒肌族の女性の側にちょこんと立っていた看板に書かれてある、ドドラに乗るための運賃だ。ユリュさんのせいで大事おおごとになっているけれど、あのドドラはどう見てもお客さんを乗せるために調教されている。だから本当は、黒肌族の女性に「乗せてください」というだけなのよね。

 でも、看板が見えていないユリュさんからすればそのお金は……。


「こ、これは……! 大人が持つ圧倒的な武器『賄賂わいろ』です!」


 ということになるらしい。知識にかたよりがあるような気もするけれど、「なんだか大人になった気分ですっ」とユリュさんがはしゃいでいるから、今はそれで良しとしましょう。


「じゃあ行ってきます、死滅神様!」

「ええ、頑張って、ユリュさん!」


 お金という武器を手に、ドドラと黒肌族の女性が待つ方へと跳ねていくユリュさん。でも途中で何かに気付いたみたい。「はっ?!」という声を上げて、私のもとへ帰って来る。


「死滅神様。にはもう少し勇気が必要です。だからチューを下さい!」


 チュー? 接吻せっぷんのこと、よね。まぁ、それくらいのことでユリュさんが頑張れるなら、お安い御用だわ。

 私の前に立って、目を閉じたまま接吻を待つユリュさん。その額に、私はそっと唇を近づけて、


 ――チュッ。


 湿り気を帯びた音が響いた。慣れていないから、上手くできたかは分からないけれど。


「えぇっと。これで良い?」


 目の前のユリュさんに尋ねてみる。でも当のユリュさんはと言うと……。


「あ、あわわ……。本当にしてもらえるなんて……」


 と尾ひれから耳ヒレの先までピンと立てて、顔を真っ赤にしている。


「おかしな子ね。あなたから言ってきたのでしょう?」

「そ、そうですけど! メイド先輩が邪魔するかなって……」


 私に口づけられたひたいを両手で押さえながら、メイドさんを見るユリュさん。


「頑張ろうとする者に対する、お嬢様からの先払いの報酬です。どうして従者であるわたくしが邪魔できるのですか」


 呆れたように言ったメイドさんを、ユリュさんが紺色の瞳をぱちぱちさせて見つめる。


「もしかしてメイド先輩って、が思っているほど意地悪な先輩じゃないんですか?」

「何を馬鹿なことを言っているのですか。頑張りには相応の対価を、というのが、お嬢様の考え。それに従っただけのことです」


 きっと、メイドさんが見せるこの余裕こそが。今ユリュさんに求められている物なんじゃないかしら。


「それよりも、ほら。女性が『まだなのか?』という目でこちらを見ています。そのお金を持って、早く行ってきなさい」

「あ、う、でもでも……」

報酬キスを前払いで受け取っておきながら逃げ出すなんてこと。……しませんね?」


 そんな威圧感の笑顔と共に発されたメイドさんの言葉にお尻を叩かれる形で。


「は、はいっ、行ってきましゅっ!」


 今度こそユリュさんは黒肌族の女性のもとへと跳ねていった。……さすがメイドさんね。ユリュさんをうまくきつけて、成長を促している。その余裕、見習いたいわ。なんて私が思っている横では、


「額で満足するなど、ユリュもまだまだ子供ですね。わたくしなどもう既に……ふふふ」


 なんて言って、邪悪な笑みを浮かべているメイドさんの姿があった。さすがメイドさん。大人の淑女しゅくじょは唇を重ねた濃厚な接吻の方がいい。きっとそういうことでしょうね。まさか、ユリュさんに対抗するなんて子供っぽいこと、していないわよね?

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