○安心材料が欲しかったのね?

「けほっ、けほっ……」


 全身ずぶぬれのまま、せき込んでいるメイドさん。そんな彼女に構わず、早々に川に飛び込んでいたユリュさん。岸に上がると、メイドさんに両断された重そうな巨大魚を小脇に抱えて、私の方にぴょんぴょんと跳んでくる。


「死滅神様! おっきな青ウオです! 今日のお昼と晩御飯にしませんか?」


 紺色の髪から水をしたたらせ、キラキラして目で、褒めて褒めてと満面の笑みを浮かべている。


「あ、えぇっと。いくつか確認しても良いかしら?」

「……? はい、何ですか?」

「あの男の人を殺したのは、ユリュさん?」


 少し離れた場所にあるガフォイさんの死体を示しながら言った私に、ユリュさんは笑顔で頷く。


「え?! あの怖い人、死んじゃってるんですか?!」


 この態度を見る限り、殺すつもりはなかったみたい。殺した方法は、聞くまでもないでしょう。きっと、さっきの魔法を使ったのね。


「もう1つ。どうしてメイドさんだと分かったのに、すぐに魔法を解除しなかったの?」

「そ、それは……。だって、メイド先輩はいつもをいじめるので……」

「そ、その仕返しに、メイドさんを殺そうとしたの?」

「……? あれくらいでメイド先輩は死にませんよ?」


 ほら、とユリュさんが笑顔で示す先には、タオルで髪を拭いているメイドさんの姿がある。


「それは、そうかもしれないけれど……。死んでしまっていたかもしれないじゃない」

「えへへ、そうかもしれませんね」


 人を、仲間を殺しかけた。そう思っているとは思えない、あっけらかんとした態度だ。死が身近なタントヘ大陸で育ってきたからかもしれないけれど、ユリュさんの中で、死というものがかなり軽いように思うのは私だけかしら。きっと殺される時も、自分が弱いから、で納得してしまいそう。


「ユリュさん。お願いだから、そう簡単に人を殺そうとしないで」

「で、でもでも! 死滅神様! 弱いから、殺されちゃうんです。強かったら、殺されません!」


 ユリュさんのその言葉は、殺される方が悪いと言っているみたいに聞こえるのは、気のせい?


「ユリュさん。きちんと答えなさい。あなたこれまで、何人の人を殺したの?」

「さ、さっきの人だけ、だと思います。まさかアレくらいで死んじゃうとは思いませんでした……」


 命令で引き出した答えだから、噓偽りはないでしょう。……良かった。もし数十人と殺していたのなら、今すぐにでも私が手をかけないといけなかった。


「でも」


 そうして私が密かに安堵していると。


と死滅神様との……スカーレットお姉ちゃんとの時間を邪魔したんです。当然の報いですよね!」


 なんてことをのたまう。その目は瞳孔が開いて黒く濁っていて、私の不安を掻き立てる。正直、文化の違いだからと流そうと思っていた。でも、ユリュさんは“死滅神の従者”。エルラに居るカーファさんのように、私の考えを私の名代として果たすことだって考えられる。

 そんな立場にあって、私にとって容認しがたい弱者死すべしという考え方で人を殺されては、正直なところ困ってしまう。物事の分別を弁えるには、ユリュさんはあまりにも幼いように思う。


 ――どこまでの拘束力があるかは、分からないけれど……。


「ユリュさん。今後、私の許可のない殺しはしないで。これは命令よ」

「あ、うぅ……。もし破ったら、どうなるんですか?」


 ……どうなるのかしら。私の命令に、どこまでの力があるのかは知らない。実際、さっきはメイドさんに余裕で拒否されてしまった。だから、そのあたりのことは分からないけれど……。


「そうね。少なくと、私がユリュさんの卵を受卵することは絶対になくなると思って」

「あぅ、あぅ……。それは、困ります」


 シュンと項垂れてしまうユリュさん。きれいな耳ヒレも、力なく垂れてしまっている。私の命令なんかより、よっぽどユリュさんに効果がありそうね。……出会った時からそうだけど、どうしてここまで私のことを好いてくれているのかしら。


「……えぇっと。これは、答えたくなければ別に答えなくても良いのだけど」


 そう前置きをしつつ。「どうして私に托卵したいのか」と聞いてみる。するとユリュさんは顔を真っ赤にして、耳ヒレをピンと立てながらも。


「し、死滅神様はどんな相手も殺すことが出来ます。だから、フォルテンシアで最強です」


 と、たどたどしく答えてくれる。なるほど、弱ければ殺される。裏を返せば、強ければ殺されない。ユリュさんの中で全ての生物を殺せる私は、絶対に殺されない、頼りになる存在と認識されているのね。つまるところ、好意というよりは憧れに近い感情なのかも。


「死滅神様なら、ヨワヨワのを守ってくれます! でも、弱いは見捨てられちゃうかもしれません……」


 だから夫婦としての既成事実を、と。ユリュさんは子供という、見捨てられない保証が欲しかったのね。だから勘違いとは言え、出会いがしらの私の求婚を受け入れたと。そして、勘違いでは? と理解しつつも、むしろその勘違いを利用して、子供を作ろうとしていた。

 サクラさんもそうだったけれど。私って、簡単に仲間を切り捨てるような薄情な人間に見えるのかしら。


 ――いいえ、違ったんだっけ。


 かつて、私に見捨てられるかも、と話したサクラさん。確かあの時、サクラさんは安心できる材料が欲しかった、みたいなことを言っていたように思う。だから私は、サクラさんとずっと一緒に居るという誓いを立てた。

 ユリュさんにとっては、安心できる材料というものが子供だったということ。


「ユリュさん、こっちを向いて?」

「ふぇ?」

「いい? 残念ながらあなたとの子供を作ることは、今はまだ考えられない。だけど、あなたを見捨てないこと。それから、主として守ること。それは、きちんと約束できるわ」


 こちらを震えた目で見つめる紺色の瞳に、私は言葉を尽くす。残念ながら、何も持たない私には、目に見える安心材料を与えてあげることはできない。子供なんて、もってのほか。でも、私には……私とユリュさんの間には、ある意味では血よりも固い繋がりがある。


「“死滅神の従者”であるあなたが心配だというのなら、命令してあげる。私のそばに居なさい」

「うぇ?! で、でも……」

「私の側に居て、ずっと守られていなさい」

「あわ、あわわわ……?!」

「心配になったら言って。その時は、いつでも抱きしめてあげる。だから、黙って私に抱きしめられていなさい」

「……」


 自分で言うのもなんだけど、私は1人が嫌いだ。そんな、自他共に認める寂しがり屋の私が、誰かを見捨てる? あり得ない。何も持たない私が、与えられてばかりの私が。仲間を、家族を突き放すなんて、そんな贅沢ぜいたくなこと。出来るわけがないし、絶対にしたくない。


「ユリュさん。いつでも私の側に居なさい。頑張っているつもりだけれど、私はまだまだ半人前。早く独り立ちしたいけれど、みんなにはそばに居て欲しい。そんな我がままで、中途半端な私を1人にしないで。……分かった?」


 緋色の瞳で問いかける私を見上げたユリュさん。だけど、少し様子がおかしい。


「……ユリュさん?」


 私の呼びかけにも応じない。試しに肩を揺すって見ても、首がガクンガクンと揺れるばかり。


「どうやら、聞いているこちらが恥ずかしいようなお嬢様の熱い告白は、ユリュには早かったようです」

「メイドさん?! いつの間に……。それよりユリュさんの反応が無いのだけど」

「言葉だけで相手を気絶させる。お嬢様も、成長されたようですね?」


 メイドさんが言ったように、どうやらユリュさんは、立ったまま気絶してしまったみたいだった。


「……え、えぇっと、とりあえず。ユリュさんの実力は確かめられたわね、メイドさん?」

「そうですね。あと5秒、魔法の解除が遅ければ、ユリュを切り殺そうかと思っていました」

「またまた。そういう冗談はよして? 同じ従者なんだから、仲良くして欲しいわ?」


 気絶してしまったユリュさんの軽い身体をポトトの鞍にくくり付けながら言った私のお願いに。それはもう長い沈黙を置いて「善処します」と答えてくれたメイドさんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る