○メイドさんを助けて!

 地面を強く蹴るポトトの足音。激しく揺れる視界と流れゆく景色。時折森にひらめくのは、メイドさんが振るうナイフの銀閃だ。


「んっ……くっ……あっ」


 とある理由で吐息が漏れてしまう。それでも振り落とされないように必死にくらにしがみつきながら、


『ガァァァック!』


 ポトトの背中に居る私に襲い掛かって来る、黒い鳥の魔物ガーグを〈即死〉させていく。町を離れて1分も経っていないんじゃないかしら。全速力でポトトが駆けること、少し。私たちは、巨大な水柱が立っていた辺り……町の近くを流れていた海水の川のほとりにやって来ていた。


「ぽ、ポトト、止まって!」

『ルゥッ!』


 私の声で地面を滑りながら停まったポトト。その勢いで打ちつけられる私の股。……そう、勢いよく出発したのは良かったものの、私はくらの上に敷くクッションを忘れていた。おかげで、股先がじんじんと痛んでいたところに最後の衝撃。


「~~~~~~っ!」


 どうにか悲鳴を上げずに済んだけれど、生理現象として目には涙が浮かんでしまった。ほんの少しだけだから大丈夫、なんて思ったのが、間違いだったわね。


「うー、ひりひりするわ……。なんて、言ってる場合じゃない!」


 私はポトトの鞍の上から、周囲を見回す。もう水柱は無くなってしまっていて、上空にはきれいな虹が出来ている。


「確かこの辺に……」


 なんて言いながら探していたら、居た。対岸、砂利が転がる岸辺に、1人の男性が倒れている。全身に生えた青っぽい毛と、尖った鼻先。ガルルとよく似た耳。彼がユリュさんをさらった男性――ガフォイさんでしょう。職業衝動の反応からしても、間違いない。

 そんな極悪人のガフォイさんだけど、倒れたままピクリとも動く様子が無かった。


「ポトト、あそこまでお願い」

『ルゥ? クルック』


 幸い、川底は浅い。水浴びの時以外は水を嫌がるポトトだけど、我慢して進んでもらいましょう。

 ザブザブと音を立てて川を行くポトト。その背中から注意深くガフォイさんが居る辺りを見てみる。彼の周囲は、まるで洪水でもあったのかというくらい水浸しになっている。


 ――ユリュさんの姿は……無いわね。


 森には沢山魔物が居るし、早く見つけてあげないと。逸る気持ちを抑えつつ、私は周囲にも気を配る。近くに魔物の影はないわね。川にも魚の魔物が居るから、油断はできないけれど……。

 急ぎながらも慎重に歩を進めていれば、すぐに、ポトトの足音が砂利を踏む音に変わった。


「ありがとう、ポトト。後で一緒に毛づくろいしましょうね」

『ルゥッ!』


 ジンジン痛む股をおしてポトトの背中から降りて、ガフォイさんのもとへと歩いていく。ブーツが水で濡れてしまうけれど、こればかりは仕方ない。この頃には、当然のようにメイドさんが合流していて、


「お嬢様。念のため、お気を付けください」


 ガフォイさんの死んだふりの警戒を促してくる。その忠告に頷きを返しつつ、慎重にガフォイさんの身体に触れて……。


「〈即死〉」


 とどめを刺した。死んでから時間が経っていたこともあってレベルが下がっていたのでしょう。減ったスキルポイントは42。死滅神の感知範囲外へと瞬時に逃れた実力者とは思えない、ごく一般的な値になっていた。


「お勤め、ご苦労様でした」

「ええ。とは言っても、ほとんどをユリュさんがやってくれていたのだけど」

「状況を見るに、溺死でしょうか」


 全身がずぶぬれで、顔が苦しみに歪んでいる事。口や鼻から泡を吹いていることなどから、メイドさんがガフォイさんを死に至らしめた理由を簡単にだけど推測してくれた。けれど、ガフォイさんを溺死させたその当人であるユリュさんがどこにも居ない。メイドさんに目で尋ねても、首を振られてしまう。


「実は組織的な犯行で、ここでガフォイさんが仲間の人にユリュさんの身柄を引き渡した、って可能性はないかしら?」

「あり得なくは無いですが、仲間が居たのなら、ユリュの反撃を放置するとは思えません」


 死体を前に、立ち尽くす私たち。一体ユリュさんはどこに行ってしまったのか。森で迷子になっているのだとしたら。


 ――また左腕の1本でも折ろうかしら。


 折れた時も痛いし治す時も痛いから、できればしたく無いけれど。ユリュさんの命には代えられない。私の腕1本で、ユリュさんに私の居場所を示せるのなら。そう思って、手ごろな石が無いかを探していた時だ。


『クルッ!』


 ポトトが川の上流の方に向かって鋭く鳴いた。どうやら、何者かの気配があったみたい。私とメイドさんも警戒を促すポトトの声に従って、いつでも動けるように構える。

 そうして私たちが見つめる先で揺れる茂みから、


「んよいしょっ」


 そんな、どこか気の抜けた声と共に現れたのは、巨大な魚の頭だった。


「……鱗族、かしら?」

「いえ。陸上で行動できる魚の魔物も居ると聞きます。油断しないで下さい」


 注意深く見つめる先で、魚の頭が、上下に跳ねた。同時に現れたのは、細い腰と魚の尾ヒレ。ヒレ族なら頭は人間だし、鱗族なら下半身が人間だ。つまり、目の前の生物は……。


「ふぅっ!」


 瞬時に魔物だと判断したメイドさんが〈瞬歩〉で魚頭の背後に移動して、翡翠色のナイフを振るう。あまりの切れ味に、魚の頭は真っ二つ。だけど、身体の方はナイフを避けるような動きを見せ、森へと逃げ込んだ。さらに、


「【エッセ ゴッディアナ バル ウィル エステマ】!」

「――っ?!」


 長い魔法の詠唱を瞬時に済ませたと同時。ナイフを振り下ろした状態のメイドさんが立っている場所に、太さ3mはあろうかという巨大な水柱が発生してメイドさんを飲み込んだ。


「【カカ ウル エステマ】!」


 続いて発された詠唱で、近くの川から水柱に向けて水が一気に流れ込む。メイドさんなら大丈夫、なんて、今回ばかりは言い切れない。まず、スキルを使うための言葉が水中では発せられない。さらに視界は水で防がれてしまうし、あれだけの水柱だ。強烈な水流が発生しているせいで、動きだって制限されてしまっているはず。

 泡と白波のせいで水柱の中はほとんど見えない。でも、薄っすら見えるメイドさんは苦しんでいるように見える。このままじゃメイドさんも溺死してしまう。私は、必死で叫んだ。


「ユリュさん、やめて!」

「ふぇっ?! そ、その声……死滅神様っ?!」


 川を挟んだ対岸。森の中からひょっこりと顔を出したのは、ユリュさんだ。魚の頭を手放した瞬間、ちらりと彼女の姿が見えた気がした私。体格差があるからメイドさんは気付かなかったみたいだけど、魚の魔物の正体は、大きな魚を担いだユリュさんだった。


「死滅神様! 見てください、大きな魚です!」


 メイドさんに真っ二つにされた魚を拾い上げて、元気一杯に笑うユリュさん。骨まできれいに切断されている当たり、メイドさんが使ったナイフの切れ味がよく分かる。


「って、そうじゃない! ユリュさん、魔法を解除して! あなたが閉じ込めているのはメイドさんなの!」

「うぇっ?! そ、そうなんですか?!」


 自身が作り出している水柱を見て、驚きをあらわにするユリュさん。だけど、なぜか魔法を解除する気配がない。


「どうしたの?! 早くメイドさんを助けてあげて!」

「……。……分かりました!」


 いったい何を思っていたのかは知らないけれど。私のお願いに、やや時間を置いて頷いてくれたユリュさんはが【デュード】と呟く。それでようやく、メイドさんを包んでいた水柱が崩れ、膨大な量の海水が川へと流れ込んだのだった。

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