○なんて良い響きなの

 それは、大迷宮に来て4日目。大迷宮での生活の調子も整って、そろそろ2層を目指そうかという時だった。


「きょ、今日こそ死滅神様にの良い所を見せます!」


 時刻は朝食の後。ようやく昼夜の感覚の狂いによる体調不良から立ち直ったユリュさんが、青っぽい皮膜の付いた小さな手を握りしめている。今日こそ彼女の実力を見て、場合によっては2層を目指そうかと、さっきまで話していた。


「気負い過ぎないでね」


 なんて言いながら、私が食後の紅茶を頂いていると。


「あれ、この感覚……」


 私の中にほんのりとあった職業衝動の熱が、少しずつ温度を上げ始めた。……この感覚は、間違いない。


 ――ガフォイさんが……フォルテンシアの敵が、近くに来ている。


 死滅神であることを秘匿していたからかしら。無防備にも、抹殺対象がこの町を訪れているらしい。身体の芯、私の核を成す魔石がある位置が熱を帯び始めていた。


「どうかされましたか、お嬢様?」

「近くに敵が来たわ」


 やや瞳が光っているだろう私の様子とその言葉だけで、メイドさんは全てを察してくれる。一方、私とのお仕事が初めてのユリュさんは魔物が来たと勘違いしたのでしょう。


「ど、どこですか?!」


 集音器官でもある耳ヒレをピンと立てて、紺色の瞳できょろきょろと周囲を見回している。


「……これは、ユリュさんに私の仕事を知ってもらういい機会になるんじゃないかしら、メイドさん?」

「ふむ。そうですね」


 メイドさんの翡翠色の瞳と目を合わせて、頷きあう。


「ユリュさん、行きましょうか。あなたに死滅神としての私を見せてあげる。……まぁ、返り討ちに遭う可能性も十分にあるのだけど」

「お嬢様。そこで不安になられるから、いつも格好がつかないのです。それに」

「む! それに、何よっ」


 いつものお小言かしら、なんて唇を尖らせてみれば。


「ここにはわたくしとユリュ。2人も“死滅神の従者”が居るのです。お嬢様が傷つくことなど、万が一にもあってはなりません」


 思いがけない言葉を言ってくれる。


 ――何よ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。


 でも、残念ね。危機に陥った私を助けるためにあなた達が身を賭すというのなら、私はいさぎよく死ぬことを選ぶわ。私の命1つと、大切なメイドさんとユリュさんの2つの命。どちらを優先するべきかなんて、考えるまでもない。でもこれを言ってしまうと、メイドさん達が無理をしかねないから……。


「ふふっ! そうね、頼りにしているわ?」

「はい! 絶対に、死滅神様の役に立って見せますっ」


 元気一杯に言ったユリュさんを連れて、私たちは4人での初めてお仕事に向かった。




 今回の抹殺対象ガフォイさんは、かなり歪んだ趣味を持つ獣族の男性だ。町中で女性や子供をさらうこと14人。その全員を4層まで連れて行き、そこに住む魔物と戦わせ、食べさせるという所業を繰り返していた。今回縦穴に近いこの町を訪れたのも、恐らく誘拐する子供を探すためだろうというのが私の見解だ。

 そこでメイドさんが提案してきたのが、私とユリュさんがお使いに来た子供を演じるというもの。私もユリュさんの幼い見た目を活かした作戦と言えるわね。


「さて、どこに行こうかしら。ね、ユリュさん?」

「あ、えっと。そうです……じゃなくて。そうだね、す、スカーレットお姉ちゃん」


 死滅神様、と呼ぶと、警戒したガフォイさんが来ないかもしれない。そんなわけで、ユリュさんには私のことをお姉ちゃんと呼んでもらっていた。


「……。……ユリュさん、もう一回呼んでもらっても良い?」

「あ、うぅ……。す、スカーレットお姉ちゃん」


 「お姉ちゃん」。なんて良い響きなの。ありていに言って、最高の気分ね。ユリュさんの方は恐縮しているみたいだけど、この先もそう呼んでくれないかしら。


「スカーレットお姉ちゃん、ご機嫌ですか?」

「そんなこと無いわ。呼び方1つで私が喜ぶなんて思わないで。あと、敬語はダメよ」

「うん、わ、わかりま……。分かった、お姉ちゃん」

「~~~~~~!」


 ユリュさんがもともと妹だからかしら。お姉ちゃんと呼ぶその口調が妙に似合っている。


「お、お姉ちゃん……?」

「なーに、ユリュさん」

「……お姉ちゃん!」

「どうしたの、ユリュさん?」

「えへへ~。スカーレットお姉ちゃん!」

「ふふっ! もう、どうしたのよ、ユリュさん」


 しきりに私の名前を呼ぶユリュさんと腕を組んで歩いていたら、背後から強烈な衝撃が私を襲った。


「「きゃぁっ!」」


 思わず前のめりに倒れてしまう私。腕を組んでいたユリュさんも、当然、もつれるように倒れてしまった。『体力』が3分の1くらい一気に持っていかれて、なおも何が起きたのか分からない状態。


「な、何が……?」


 すぐに起き上がって周囲を見回す。そして、すぐに異変に気付いた。


 ――ユリュさんが居ない!


 さっきまで私のすぐそばに居たユリュさんの姿が見当たらない。


「お嬢様、敵襲です。青毛のきば族によって、ユリュがさらわれました」

「そんな?! 私のことは良いからメイドさんはユリュさんの方を――」

「申し訳ありませんが、その指示には従えません。ここは大迷宮。お嬢様が手負いの今、従者であるわたくしがおそばを離れるわけにはいきません」


 すぐに私の手を引いて起こしてくれたメイドさんが、周囲を警戒しながらそんなことを言う。


「これは命令よ。ユリュさんを助けに向かいなさい」

「残念ですが、その命令は無効です。従者は主人の命令を聞くことではなく、主人を守ることが使命なのです」


 私の命令と“死滅神の従者”としての使命。2つが拮抗して、後者が優先されているみたい。奥歯を噛みしめているうちに、少しだけ落ち着いてくる。

 そもそも私が油断したのが悪いんだもの。メイドさんにしりぬぐいをさせるなんて、間違っていたわね。


「ごめんなさい。あなたの言う通りだわ、メイドさん。ひとまず状況を立て直しましょう」

「んふ♪ ここで素直に謝ることが出来る所はお嬢様の長所です。大切になさってくださいね」


 私の服の汚れを払っている間、私とメイドさんとでさらわれたユリュさんを救出するための計画を練っていく。襲撃と同時に急速に冷めていく熱の反応からして、ユリュさんをさらったのは間違いなくガフォイさんだ。


「お嬢様がフォルテンシアの敵の接近に気付けなかった。恐らく敵は、移動系のスキルを持っているかと思われます」

「そうね。でも幸い、私は死滅神で相手はフォルテンシアの敵。ここから一番近い敵の反応を追えば良い――」


 なんて話し合っていたら。遠くで、見たこともないくらい巨大な水柱が出現した。太さは目測で分からないけれど、高さは優に10mを越えて良そうね。


「あの水柱、どこかで……あっ」


 記憶をたどってみれば数日前。潮騒の町ガーラに泊まった朝、ユリュさんが飛び出してきたあの水柱と同じだ。それに、水柱がある方からガフォイさんの反応があるし……。


「も、もしかして……?」


 ――あの水柱を発生させているのって、ユリュさんなんじゃない?


 同じ結論にたどり着いたらしいメイドさんと目を合わせ、頷き合う。


「……ポトト!」

『クルッ!』


 メイドさんが小脇に抱えていたポトトが、私の声で元の大きさに戻る。私は慣れた身体の動きでくらまたがって、水柱の方向を指さす。


「悪いけれど、メイドさんは地上の寄ってくる魔物の相手をお願い! 私は上から来る魔物を相手するわ!」

「かしこまりました。ですが、もしもの時はお嬢様の身の安全を優先すること、くれぐれもご理解下さい」

「それじゃあ、ポトト! あそこまで全力疾走でお願い! あなたの格好良いところ、存分に見せてね!」

『ルゥッ!』


 黒い羽を大きく羽を広げて地面を2度3度と蹴ったポトトは、


『クックルゥゥゥ!!!』


 威勢のいい声で鳴いて、駆け出すのだった。

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