○大迷宮の町並み
毎月15日目にまん丸になるナール。カルドス大陸の地下空間は、下に行くほどまん丸ナールに近くなると言われている。地図で見ると、下に行くほど南東(右下)の部分が大きくなっていくという印象かしら。
「地表が3日目のナールだとすると、第1層は5日目くらいです。湾曲した地下空間の至る場所に、1つ下の層に続く縦穴や下り坂があります!」
今にも鼻歌を歌いだしそうなご機嫌さで、私の隣を跳ねるユリュさんが説明してくれる。
私たちがいま居るのは、壁沿いの階段を下り切った先にある、比較的大きな町。ユリュさんが言っていたように自警団が居て、やりすぎた人々を
――聞いていたほど、物騒な雰囲気は無いけれど……。
新しい町の物珍しさに私がきょろきょろ周囲を見回していると、人とぶつかってしまった。
「きゃっ」
『おい、前見て歩かないと危ないだろうが!』
フォルテンシア語で怒鳴りつけてきたのは、身長2m近くありそうな2足歩行のガルル……じゃない。
種族名にもなっている鋭い牙をむいて、転んだ私を睨みつけるその姿にはすごく威圧感があって。
「ご、ごめんなさい……」
思わず目を逸らして謝ってしまう。一方の獣族の男性は「ふんっ」と鼻を鳴らすだけで、謝ることもなく立ち去って行った。
「だ、大丈夫ですか、死滅神様?!」
ユリュさんが飛んで来て、私に手を貸してくれる。その小さな手を借りながら立ち上がった私は、はいていた黒のスカートに着いた土を払う。怪我は、無さそう。
不安そうに私を見上げるユリュさんの紺色の髪を撫でながら、大丈夫であることを伝える。同時に、
「ええ、私は大丈夫。大丈夫だから、メイドさん。そのナイフはしまって頂戴」
立ち去った獣族の男性を睨んでナイフを抜こうとしていたメイドさんを言葉で制する。
「……
「いいえ。あの人は私が死滅神だと知らないもの。問題ないわ」
それに、私が前を見ていなかったのも事実だもの。相手の非礼を受け入れる度量くらいは、今の私でも持つことが出来るはずだった。
ほとんど無地のTシャツにも汚れがないことを確認した私は改めて、初めての大迷宮を五感で堪能する。
肌寒い地上と違って、地下にある大迷宮は少し暖かいかしら。町を包む匂いは、あまり衛生的には思えない。でも風通し自体は良さそう。空気が
――味覚は後の楽しみにしておくとして。
壁や天井に突き立った光る魔石は、大迷宮全体を照らしている。聞こえてくるのは、ほとんどが古くからフォルテンシアにある言語、フォルテンシア語だ。文字も発音も文法も独特で、あの勉強熱心なサクラさんですら習得に苦戦しているほど。邸宅でのあの様子だと、1か月は余裕でかかるでしょう。
私が短期間でフォルテンシア語を見聞きできるようになったのは、多分、私の素体になっている誰かのおかげね。こう……なんと言うのかしら。フォルテンシア語に対する馴染みと呼ぶべき感覚が、私の中にはあった。
「ひょっとすると、フェイさんが知っていたのかも知れないわね……って」
と、そこで私の中にひらめくものがあった。もしフェイさんがフォルテンシア語を学んでいたのだとしたら、彼の記憶を引き継ぐリアさんは、フォルテンシア語をとっくに知っていたことになる。思い出すのは、瞬く間にフォルテンシア語の文字を覚えて見せたリアさんの姿だ。てっきり、リアさんが賢いから瞬時に覚えたものだと思っていたけれど。
「まさか、リアさん。覚えたんじゃなくて、もともと知っていたんじゃ……?」
となると、リアさんは私よりもフォルテンシア語が堪能だということになる。つまり、あの時の私は、自分よりも知識がある相手に試験を課したということ。
――試験をすると言ったあの時に見せたリアさんの笑顔は、そういうことだったのね。
もともとフォルテンシア語を知っていたのだとしたら、後は記憶が正しいのかを確認するだけ。だから私に、文字の書き順と発音をさせた。
「最初から、試験の意味なんて無かったんじゃない……」
こう思うと、リアさんの賢さの理由も見えてくるというもの。もし彼女がフェイさん以外の記憶も引き継いでいるのだとしたら。
――たとえ断片的な記憶だとしても、その知識量は半端な物じゃないわ。
普段は多くを語らず、物静かだから忘れそうになるけれど。リアさんが知識の面で大きな可能性を秘めているということに、私は今になってようやく気付く。
「今度、どれだけのことを思い出しているのか、聞いておかないとね」
「先ほどから何をぶつぶつと
1人立ち止まって考え事をしていた私の顔を、メイドさんがのぞき込んで来た。
「……いえ、知っていたつもりだけれど、リアさんって実はすごいんだなと感心していただけよ」
「そうですね。なんと言っても
フェイさんに関わることだからでしょう。少し誇らしげに言いながら、定位置である私の半歩後ろに引き下がったメイドさん。そのさらに後ろに、元の大きさに戻ったポトトが居る。
一方、前方で宿を探してもらっているのはユリュさんだ。お使いに来ると言っていただけあって、顔見知りの人も多いみたい。時折、声をかけられているのだけど……。
『あら、ユリュちゃん! 今日はお友達と一緒かい?』
『あ、う』
『おう、ユリュじゃねぇか。ギジュ達はどうしたんだ?』
『そ、その、あぅ……』
まともに会話が成り立たず、挙句の果てには私の身体の影に隠れてしまう始末。土地勘があるはずだから、宿を任せようかと思っていたけれど。
――そう言えば、この子。かなりの人見知りだったわね……。
動き辛いから腕を絡ませないでと言った手前、私の服の袖をつまんで
「はぁ……。仕方ないわね。今日は腕を組んで歩きましょうか、ユリュさん?」
「ほんとですかっ?! やった! 優しい死滅神様が、
ぱぁっと表情を明るくして、ユリュさんは私の腕を抱く力を強める。まぁ、この笑顔を見られるのなら、歩き辛さくらい我慢しましょう。
右腕に居る小さなヒレ族の女の子を微笑ましく眺めた後、私は町に暮らす人々の方へと意識を向ける。
「こうして見ると、本当に、色んな種族の人が居るわね」
町を歩いていて思うのは、他の大陸では全く見かけない種族の人たちだ。
「多様性を見ればフォルテンシアいち。タントヘ大陸の特徴が、この町だけでもよく分かるわね」
「はい! 森にも
でも、種族ごとに異なる文化があるわけで。立ち並ぶ家々は大きさも様式も全く異なる。それに、これだけ色んな種族が居れば当然、衝突も多い。こうして歩いていてもケンカの声は至る所から聞こえて来て、時折、武器がぶつかるような音も聞こえてくる。物騒な雰囲気は無いと思ったけれど、やっぱり、治安は良くないのでしょう。
「宿選び。絶対に妥協できないわね」
「はい。必ず、安心と安全が確保できる場所を、
「あ、
観光もそこそこに、私たちは半日近い時間を使って信頼できる宿探しを行なうのだった。
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