○“死滅神の従者”であるということ

「なに、これ……」


 螺旋階段を下って濃い霧を抜けると、そこは幻想的な地下世界だった。

 地下なのに、端が見えないほど遠くまで岩壁と天井が続いている。天井の高さは300mを優に超えるんじゃないかしら。そんな壁と天井からは巨大な白や橙色をした魔石が飛び出していて、デアと見まがうくらいの光量を持って地下全体を照らしていた。

 そして、奇妙なことに、地下なのに森がある。いいえ、森だけじゃない。湖や川もある。その源となっているのは、天井にぽっかりと空いた大きな穴。地表へと続くその穴から流れ込む大きな滝こそが、この巨大な地下空間を満たす水を供給しているらしい。空が見えないこと以外は、外に居るのとほとんど変わらない光景が、そこにはあった。


「きれい……!」

「ようこそ、死滅神様! ここが大迷宮1層“木漏れ日の階層”です!」


 ぴょんぴょんと、階段の上で私たちの数歩前に出たユリュさんが、腕と手を広げて第1層を紹介してくれる。


「第1層の人口は大体2億人だと聞きます。大迷宮で唯一、魔物よりも生物の方が多くて、最も安全な場所だとも言われています!」


 階段には一応、紐で出来た手すりのようなものはあるのだけど、下に見える地上部分まであと200m以上ありそうなその高さに思わず身震いしてしまう。ふと、ユリュさんに抱えられたポトトを見てみれば……そうよね。案の定、あまりの高さに気を失ってしまっていた。


「ゆ、ユリュさん。ポトトをメイドさんに預けてくれる?」


 落っことしそうで怖いから、というのは言わないけれど。メイドさんに持っていてもらう方が安心なのは、事実だった。私の指示通りポトトをメイドさんに預けたユリュさんは、私の腕に両腕を絡めてくる。改めて思うけれど、この子、距離の詰め方が異常じゃないかしら。距離感で言えばリアさんの方がアレだけど、詰め方だけを見れば誰よりもユリュさんがアレよね。


「ゆ、ユリュさん? きちんと言葉にするけれど、私はあなたが好きよ? けれど、それはつがいになりたいとか、そういうのではないわ?」

「知っています! でも、にとって死滅神様は特別なんです!」


 熱のこもった紺色の瞳で、ユリュさんは私を見つめてくる。


「……もしかしてユリュさん、私に〈魅了〉されてない?」

「どう、なんでしょうか。ステータスには何も書かれていません」


 うーん。そうなると、ユリュさんが私に向けている感情はリアさんのそれに近いということになる。だけど、リアさんの好意は、強すぎる奉仕の精神が私に向いているだけであって、子を成したいとかそういうものじゃない。

 対してユリュさんの好意は、子を成すという生物本来の欲求から来るものでしょう。卵を渡されたわけだしね。でも、私はその好意に応えることが出来ない。いえ、まぁ、行為には応じられるけれど。


「えっと。ユリュさん。私はホムンクルス。子供を作ることはできないわ?」

「え、そそ、そうなんですか?! はてっきり……」


 前にも触れたけれど、ヒレ族は相手の身体に卵を産み付けて、その後、卵を自分の身体に戻して子を成す。調べたところ、相手の性別は関係ないそうなのよね。卵にヒレ族、あるいは人間族のオス・メスどちらかの子種を卵に付着させて。それを再びヒレ族側の抱卵器官に戻せば、お腹の中で子供が出来るらしい。

 抱卵するのはメスだけらしいけれど、卵をふ化させる器官はオス・メス両方に存在する。ともにお腹の中で子供を育てて、産むことが出来るそうよ。まぁつまり何が言いたいかというと、ヒレ族は相手の性別がどちらでも構わないということ。だからこそ、ユリュさんは女性型の私相手に発情している。


「ホムンクルスは子を成せない。分かったら、早く次の相手を見つけた方が良いと思うわ? ユリュさん、早く大人になりたいのでしょう? それこそギジュさんなんてどう――」

「でも」


 ユリュさんを腕に絡ませられながら、階段を下りつつ。幼馴染で気心の知れたギジュさんはどうか。そう言おうとした私の言葉を、ユリュさんは遮る。


「や、やってみないと分からないですよね?」

「やってみないとって……。あなた、自分が何を言っているか……」


 呆れてユリュさんの方を見てみると。紺色の瞳が、驚くほどすぐそばにあった。それ自体には驚かないのだけど、瞳の色が見慣れた紺色のものから真っ黒な物に変わっている。いいえ、よく見れば、瞳孔どうこうがこれまで見たことないくらいに大きくなっていた。普通、この明るさとこの距離の相手を見るときは小さくなるのに。


 ――まるで、私を見ていないみたい……?


 私を見ているようで、見ていない。そんなユリュさんの、吸い込まれそうな真っ黒の瞳にたじろいでいる間も、ユリュさんは言葉を続ける。唇と唇が、触れあいそうな距離で。


「し、死滅神様が、の心をおかしくしました! だから、責任を――」

「せいっ」

「あぅっ?!」


 後ほんの少しで接吻せっぷんする。その直前に、明らかな暴走状態のユリュさんの脳天へとメイドさんの手刀がかまされた。


「ユリュ。先日も言いましたが。立場と序列を弁えなさい」

「死滅神様! メイド先輩が、をいじめますっ!」


 涙目になりながら私の胸に飛び込んで来るユリュさん。その言動は、いつも通りなのよね。


 ――さっきの瞳は、気のせいかしら?


「あ、えぇっと。よしよし、大丈夫よ? メイドさんの言う立場と、序列? もこれから学んでいきましょうね」


 小さな頭を撫でてあげると、途端にいつもの可愛らしい笑顔を見せてくれる。そのままぐりぐりと、胸に顔をうずめてくるユリュさん。……メイドさんやリアさんと違って、私の包容力なんて皆無でしょうに。


「えへへ~。死滅神様、あったかいです!」


 私をぎゅぅっと抱いて、嬉しそうに耳ヒレをぴくぴくさせている。その愛らしさに私も抱き返してあげていた時。


「ユリュ。まさかあなた、これまでの全部がわざと、ではないでしょうね?」

「な、なにが、ですか?」


 メイドさんが、やや顔をしかめながら私の胸に埋まるユリュさんへと問いかけた。対するユリュさんは特にメイドさんの方を見ることもなく、返事をしてみせている。


天真爛漫てんしんらんまんな言動。そして、お嬢様への托卵たくらん行為です」


 托卵たくらんは、ヒレ族が相手に卵を産み付ける行為ね。あの時のユリュさんの托卵行為が、勘違いなどではなく、全てを理解したうえでの行動だったのではないか。そして、托卵に失敗したから、勘違いで済まそうとしているのではないか。そう、メイドさんは言いたいみたい。


「もし計算づくだとするなら。これまでの過度なお嬢様との身体的接触にも納得が行くというものです。特に海中遊泳の際は顕著でしたね?」

「えへへ。そんわけ、無いじゃないですか。は、純粋なんです。純粋に、死滅神様が大好きです!」


 私の胸から瞳だけを覗かせて、ユリュさんは笑う。その瞳の瞳孔どうこうは、またしても開き切っている。


「本当に純粋な人物は、自分を純粋などとは言わないのですが?」

「純粋に純粋だからこそ、自分が純粋だと言えるんです、メイド先輩」


 私を置いて繰り広げられる舌戦。1つ分かったこととして、恐らく、ユリュさんも馬鹿じゃないということ。少なくとも、一時的とは言えメイドさんを警戒させる何かを彼女も持っている。


「あと、立場という話ですが。もメイド先輩も。同じ“死滅神の従者”です! つまり、同じ、ですよね?」


 ようやく満足したらしいユリュさんが私の身体から離れて、再び階段をぴょんぴょんと下り始める。


「行きましょう、死滅神様! が隅々まで、死滅神様を案内します!」


 肩口に振り返って、無邪気に笑うユリュさん。事ここに至って、私は2つのことを思い出す。

 1つ。ユリュさんが、過酷なタントヘ大陸で8年も生きてこられたという事実。少なくとも私よりも長く生きていて、確かな知識と、実力を持つということ。その小さな身体と言動にこそ幼さがあるけれど、私が守ってあげなければならない、なんてことは無い。

 そして、もう1つ。彼女が普通ではないことを示す何よりの証拠が、あったじゃない。……まぁ、私がこれを認めるのも、すごく嫌なことなのだけど。


「そう言えばユリュさんも “死滅神の従者”だったわね」


 少なくとも私の中では変わり者の称号のようになっている“死滅神の従者”であること。それこそが、ユリュさんがただの可愛い女の子ではないことの証になっているような気がした。

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