○いざ、大迷宮へ!

 波の音を聞きながら迎える、朝。カチカチに凝った体の痛みで目を覚ます。ヒレ族の人たちのマネをして海藻の敷布団の上で眠ってみたのだけど、反発力も無ければ寝心地の良さもない。硬い木の板の上で寝ているだけ、というのが素直な感想だった。


「うぅ……。節々が痛いわ……」

「んふ♪ 文化に寄り添おうとするお嬢様の姿勢、素晴らしいと思います」


 自分はちゃっかり〈収納〉から取り出した柔らかな布団で眠っていたメイドさんが、朝の挨拶と共に顔を洗ったりするためのおけを差し出してくる。ひとまず顔を洗って、歯を拭いて、髪の手入れをしていると、近くで多くな水柱が立つ。そして、水柱から小さな影が飛び出してきたかと思えば、


「お、おはようございます、死滅神様!」


 全身水浸しのユリュさんが、お迎えに来てくれた。


「おはよう、ユリュさん。ご家族とお話は出来た?」

「はい! パパとママ……じゃない。お父さんとお母さん、それからお姉ちゃんともきちんと遊んできま……んみゅ」

「ユリュ。風邪を引きますよ。きちんと身体を拭きなさい」


 ずぶ濡れのまま元気いっぱいに話すユリュさんを、メイドさんがタオルで拭いてあげている。最初は少し身をこわばらせていたユリュさんだけど、次第に緊張が解けていくのが分かる。メイドさんの手つきとお日様の匂いに陥落する様は、私もよく共感できた。


「ちゃんと大迷宮に行くことも伝えた?」

「はい、きちんと死滅神様を案内するように、と。お姉ちゃんにも言われました」


 ユリュさんのお姉さんと言うと、ミュウさんね。見た目はユリュさんとよく似ていて、胸の凹凸を強調して、髪を長くしたユリュさんという感じ。だけど、落ち着いた雰囲気はミュウさんがもう既に1児の母だからかしら。年齢は、実はユリュさんとは2年ほどしか違わない。10歳でお母さんと聞くとサクラさんは驚くでしょうけれど、ヒレ族を始め、耳族なんかでも比較的普通のことらしかった。


 ――ひょっとすると、お姉さんがお母さんになったから、ユリュさんも焦っていたのかもね。


 先日の勘違いによるすったもんだを思い出して、私は思わず笑ってしまった。


「それで、ユリュ。どうしてこんな朝早く? 合流は朝食の後、という話でしたよね?」

「あっ、そうでした。死滅神様、メイド先輩。朝食がまだでしたら、一緒にどうですかと、パパとママが言っていました」


 昨日に続いての食事のお誘い。両親の呼び方が「パパ」と「ママ」になっていることはまぁ、置いておいて。


「あら、それは嬉しい提案だけど……。お邪魔じゃないかしら?」


 これからまたしばらく、ユリュさんを預かることになる。身の危険がある大迷宮に行くわけだし、もう二度と会えないなんてことも考えられるでしょう。家族水入らずの時間を邪魔してしまうのではないか。そう言った私に、ユリュさんはブンブンと首を振る。


「いえ! にしてくれる死滅神様は、もうの家族ですから! パパとママも認めてくれました!」

「あをわに? 認める……? えっと、ユリュさん。きちんと誤解は解けているのよね?」

「……? でも、死滅神様はいずれ、の家族になるので! ううん、が家族にしてみせます!」

「えぇっと……?」


 次の抱卵は1週間後、だとかなんとかユリュさんが言っている。寝起きと空腹で頭が回らないから、ユリュさんの言っている意味がよく分からない。今はとりあえず、お腹に物を入れないと。


「まぁ良いわ。ユリュさん達が良いのなら、ご相伴しょうばんにあずかろうかしら。ね、メイドさん?」

「はぁ……。そうですね、そうさせて頂きましょう」


 ユリュさんの誘いを受けた私を、メイドさんはジトっとした目で見つめるのだった。




 “潮騒の町”ガーラから大体30分。ポトトの背に乗ったユリュさんの案内のもと、雑木林を抜けた先に大迷宮への入り口があった。直径30mくらいの縦穴。その壁に沿って、螺旋らせん階段が続いている。先は白いきりのようなものに包まれていた。


「これが、大迷宮……?」


 膝を折って縦穴を覗き込む私の背後。メイドさんが、ざっくりとした大迷宮の知識を教えてくれる。


「大迷宮。フォルテンシア最大の洞窟ですね。迷宮という名を冠していますが、エルラとは異なり、あくまでも普通の地下空間。わたくしたちの知る様々な法則が適用されています」


 エルラ、と言うと。濃密な魔素の影響で、時間感覚がおかしくなる場所だったわね。


「大迷宮……。普通の地下空間とは言うけれど、あり得ないくらいの広さがあるのよね?」

「はい。地下10層。その最下層には、この巨大な地下空間の底には世界最大級の魔石があると言われています」

「伝聞系なの?」

「未だかつて、最下層に到達した者はいないとされています。……ひょっとすると、その最下層にこそ、チキュウにつながる道があるかもしれませんね?」


 全10階層ある大迷宮の、最深部……。確かにあり得そうな話よね。だけど、もし最下層にしかチキュウへの道が無いとしたら、サクラさんを帰すのは一体何年後になるのかしら……。そもそも、大迷宮が見つかって、数百年が経つと聞く。その長い歴史で誰も到達していないのに、私が到達できるとは思えない。


「……今はひとまず、第1層に行きましょうか」


 絶望に首を振って、私は縦穴の外周部を歩き始める。今回タントヘ大陸に来た理由は、フォルテンシアの敵の排除と“異食いの穴”の調査。タントヘ大陸は地上部分が小さいからでしょうけれど、抹殺対象の反応は全て、地下の方に感じる。異食いの穴も第3階層“死者の階層”にあるらしいから、大迷宮へ行くことが目的達成の前提条件となるでしょう。


「ここは、タントヘ大陸です。ひょっとすると、勝手に殺される可能性も十分に考えられますね?」

「そうね。なんと言っても、強い者・賢い者だけが生き残る。そんな大陸だもの。そうよね、ユリュさん?」

「ふぇっ?!」


 ポトトから降りて、私の手をぎゅっと握ってご機嫌だったユリュさん。急に話を振られて、皮膜の付いた手をあたふたさせている。彼女のもう片方の手には小さくなったポトトが乗っている。地下への階段は幅が1mくらいしかない。横幅も2m弱あるポトトでは通れなかった。


「な、何の話ですか?」

「ユリュさんは大迷宮にはよく来るの? タントヘ大陸の人は基本、大迷宮と共に在ると聞いたのだけど」


 かつて迫害された多くの種族がタントヘ大陸に逃げ込むことが出来た理由こそ、この大迷宮にあると聞く。ユリュさん達が海と共存してきたように、タントヘ大陸に居る人々は、大迷宮と共に暮らしてきた。私としては、どういう形で迷宮が人の暮らしに寄り添っているのか。この目で確かめる意味も込めて、ここまで来たと言っても良い。


「は、はい! お使いでよく来ます。ギジュとダュイお兄ちゃんと一緒に」


 でも1層の、それもこの縦穴周辺しか言ってはならないと言われているらしい。弱者死すべし。いつしか広がったタントヘ大陸における考え方のせいか、大迷宮の中は特に治安が悪い。略奪、強姦、そして殺人。それらが風習として受け入れられ、認められている。フォルテンシアは、自然の摂理だと考えているのでしょうね。正直、私としてはしゃくだけれど。


「出入り口付近の町は他の大陸の人も来るので、衛兵さんも居るんですけど……」


 一歩町の外に出れば、陸地だと非力なヒレ族の人たちは、たちまち食い物にされてしまうのでしょう。


「でも、お使いに行って帰ってくることが出来る。それも、を使う上で求められる条件です!」


 を使う、とは、大人になるということね。過酷な地で最低限、自衛できる力がある。それもまた、ガーラの町で大人として扱われる条件らしかった。他にも、親になる事だったり、1人で1週間生きられる知識と技術が求められたり。大人になるいくつもの条件があると聞く。記憶を掘り起こしてみると、つの族のティティエさんも、キリゲバを倒すことで一人前になろうとしていた。

 それらの基準に当てはめると、私はまだまだ子供だということになる。1週間1人だったら多分、寂しさで死んでしまうだろうし、キリゲバを倒すことなんてできるはずもない。何より、親になるだなんて、種として絶対に出来ないもの。


 ――ひょっとして、私が子供だから体つきも貧相なのかしら……?


 いろんな面で明らかに大人と呼べるメイドさんをちらりと見遣って。今度は、わたしの手を握って嬉しそうに笑っている子供のユリュさんを見遣る。


 ――大人になるって、大変ね……。


 小さくため息をつきながら、私たちは大迷宮へと続く螺旋らせん階段を下っていくのだった。

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