○side:S・S カルドス大陸にて②

※残酷な描写があります。サイドストーリーなので苦手な方は最後の1文まで、読み飛ばして頂いて大丈夫です。




 ランタンの明かりだけが頼りの、薄暗い地下室。その壁には、大の字に拘束された裸の男――クシの姿がある。


「はぁ……。騒がしいですね」


 うんざりと言った声でメイドさんが言ったかと思えば、手に持っていた鋭いナイフをクシの右腕に突き立てた。

 クシがあげたその声は、まさに絶叫。普通に生きてきたわたし、千本木せんぼんぎさくらが聞いたことのない声だった。でも、悲鳴が外に漏れないように造られたこの地下室の音が外に漏れることは無い。……いったい何人の人が、ここで尊厳を踏みにじられたのだろう。想像すら、したくなかった。


「あなたがわたくしの許可なく話す度に、同じことを繰り返します」

「――――っ」


 クシが何かを言った瞬間、再びメイドさんがナイフを腕に突き立てる。叫び声と共に、クシは失禁してしまう。


「誰が話して良いと言ったのですか? 手間をかけさせないでください。分かりましたね?」

「……」


 クシが沈黙すると、メイドさんがクシの右腕にナイフを突き立てる。またも響く絶叫。


「返事は。どうしたのですか?」

「――」


 声とも言えない呼吸音と共にコクコクと頷いたクシに、メイドさんが突き立てたナイフを引き抜く。わたしが思っているよりも出血は少なくて、クシがそう簡単に死なないよう、メイドさんがきちんと部位を選んでいることが分かる。


「さて。わたくしが聞きたいのは、あなたの右腕のことです。きちんと切り落としたはずなのに、どうして、元に戻っているのでしょうか? ……あのポーションを再び手に入れた、とか?」


 “あのポーション”……? キリゲバ戦で死にかけてたひぃちゃんに飲ませたヤバいポーションのこと……かな? そんな予想を立てるわたしの横で、クシはメイドさんの問いに首を横に振る。


「となると、寄付金と共にどこかの聖女に治してもらった、などでしょうか?」


 その問いかけに、クシは答えない。待っているのは、メイドさんのナイフだ。クシの太ももに突き立ったナイフの代わりにメイドさんが得た答えは、イェス。つまり、クシの素性を知らないどこかの神の聖女様が良かれと思って治療してしまったみたいだった。欠損した部位を再生するところとか、本当にファンタジー。

 その後2回くらい追加でナイフが振るわれて、メイドさんはクシの言葉が本当であることを確認した。


「ふむ。では続いて。商人なら先代の死滅神を殺した人物についての情報を、少しは持っているのではないでしょうか?」


 この時にはもう、クシには抵抗の意思がなくなったらしい。メイドさんの質問に素直に答えていく。途中、口の縄を解いて、話せるようにしても、クシに怪しい動きはない。でも、用心深く、容赦のないメイドさん。要所要所でクシの10枚ある爪を剥ぎ、真偽を確かめる。


「なるほど、なるほど。マユズミヒロト。それが、ご主人様を殺した召喚者の名前。今はマルード大陸で、外来者どもに流行りのスローライフをしていると」

「そ、そうだ! 本当だ、だから、もう刺さないでくれ!」

「ふむ。爪はぎましたし、もう指は必要ないでしょうか」

「……は?」


 言うや否や、メイドさんはクシの手の指を切り落とす。刺してはいない、切っただけだと言わんばかりだ。


「仲間は? レベル、スキルなど。知っている限りの情報を吐きなさい」

「い、言っても良い! 代わりにもう許してくれ!」

「はんっ。交渉できる立場にあると? まだ己の立場というものが分かっていないようですね」


 今度は足の指。それで、クシは涙を流しながら、自分の持っている情報全てをメイドさんに明かした。


「そのほか。召喚者がチキュウに帰る手段について、お嬢様が求めていらっしゃいます。何か知っていますか?」

「し、知らないっ! ほ、本当だ! ひぃっ?!」


 目隠しのせいで見えなくても、メイドさんがナイフを振り上げる音を聞くだけで震えあがるクシ。可哀そうだと思ってしまうのは、わたしのエゴだ。私自身もこうして傍観している以上、メイドさんの行為に加担していることになる。でも、もうわたしにはクシに手を下すだけの激情がない。クシがあげる絶叫は、私の中にあったちんけな復讐心を、いとも簡単に吹き消してしまっていた。


「……わたくしが聞きたいのは、これくらいでしょうか。あなたは何かありますか?」


 わたしの名前はあえて出さずに。目線だけで尋ねてくるメイドさん。地下室に充満する濃密な血の臭いと不潔な悪臭が、わたしの脳と喉をマヒさせる。


「お、おい! そこに居る奴! た、頼む、助けてくれ、金ならいくらでも――」

「誰が。話して良いと。言ったのですか?」


 メイドさんが腕を振る。それだけで、クシの右足が身体から離れた。噴水のように噴き出した液体は、尿か、それとも……。再び嘔吐おうとするわたしを、メイドさんは冷ややかに見つめている。わたしが何も答えられないと判断したんだろう。すぐに目線をクシに戻したメイドさんが、思い出したように質問を続ける。


「そう言えば。どうしてわたくしではなくお嬢様を〈転移〉させたのですか?」

「き、決まってる。警戒心の強いお前と違って、頭がお花畑なお前の主人の方が、何をするにも楽だったからなぁ……」


 今度はクシの左足が、身体とサヨナラする。腕の拘束具で宙づりになったクシにはもう、痛みが無いのかも知れない。絶叫は、上がらなかった。


「見てたぜぇ、主人が居なくなってからのお前の憔悴しょうすいぶりをよぉ……。さっきも、今も。それをもい出すだけで、ご覧の通りだ、くそメイド」


 口調こそ乱暴だけど、もう語気に勢いはない。また勃起ぼっきさせている股間のアレを、無表情でメイドさんは切り落とす。


「残念だぜぇ……。激情のまま、主人の言いつけをついぞ守れず、俺を殺す……。そんな、お前が今、きれいな顔をゆがませてどんな顔をしてるのか、見られ、なくて……よぉ……」


 そこまで言ったところで、クシは言葉を発しなくなる。そのまま項垂れて動かなくなった彼は、まるで飾り物のように、暗い地下室で揺れていた。


「最期まで、本当に気持ちの悪い奴ですね」


 吐き捨てるように言ったメイドさん。うつむいているせいで、その表情はわたしから見えない。だけど、従者としての誇りを誰よりも持つメイドさんが、ひぃちゃんの信頼と期待を裏切って人を殺したのだ。こんなに救いのない結末は無いように思う。


 ――そして、それは、わたしも同じ。


 復讐だ。そう息巻いてこの場に来た。メイドさんだけに手は汚させない。わたしも、ひぃちゃんを守るためには、きちんと汚れないといけない。そう、きちんと覚悟を決めて、メイドさんについて来たというのに。メイドさんの姿と、非現実的な光景を見せつけられて立っている事すらできないほど力が抜けてしまっている。


「戻りましょうか、サクラ様……サクラ様?」

「あ、え……あっ――」


 いつもと変わらない、優しい声で言ってくれるメイドさん。だけど、なぜだろう。赤い液体が滴るナイフを持って振り返る彼女に見られた時、わたしはいい年をして失禁してしまう。それだけじゃない。いつの間にか、わたしは泣いてしまっていた。

 覚悟が足りないと、メイドさんにがっかりされる。そう思っていたけど、待っていたのは思いもしない言葉と、優しい笑顔だった。


「……良かった。この光景を見て正常な反応が出来るあなたはまだ、引き返せます」


 ナイフを振るって刃に着いた液体を払い〈収納〉したメイドさん。彼女は腰が抜けて立てないわたしをお姫様抱っこして、階段を上って行く。


「め、メイドさん。おしっこで服が汚れちゃう……」

「サクラ様。わたくしたちフォルテンシアの人間と、あなたは違います。あなたには、チキュウという帰るべき場所がある」


 訥々とつとつと、お母さんが子供に言い聞かせるように、メイドさんは優しい声で言葉を続ける。


わたくしは言いましたね? 召喚者のあなただからこそ、お嬢様を守れるのだと」

「う、うん……」

「であれば。あなたは、変わらないでください。戻れないと、そう言って。自分の退路を断つようなことを、しないで下さい」


 あなたは、きれいなあなたのままで。クシの家を出て、太陽デアの光が届くようになった時。どこまでも優しく、誰よりも美しい彼女は微笑みかけてくれる。

 宿に戻った後も、放心状態のわたしをお風呂に連れて行ってくれて。色んなもので汚れた身体を、隅々まで丁寧に洗ってくれる。


「ふぅ。これで、きれいになりましたね、サクラ様?」


 ひぃちゃんのためにも、今日のことなど無かったことにして欲しい。タオルを持って笑顔を見せるメイドさんの言葉には、そんな意味も込められていたんじゃないだろうか。


 ――でも、ごめんなさい、メイドさん。


 わたしは嘘つきだから。わたしはあなたが思うほどきれいな存在じゃない。ましてやひぃちゃんやリアさんになんて遠く及ばないほど、汚れてしまっている。どれだけ洗っても取れない汚れが、もうわたしの中にはあってしまう。


 だって。


 だってわたしは。




 他でもない親友、雨色あましきしずくを殺しているのだから――。

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