○帰るべき場所

 そんなこんなで、気付けばタントヘ大陸へ向かう日となった。

 日付にして、8月の3日目。朝、リアさんの柔らかな胸の中で目を覚ます。昨夜、リアさんにユリュさんの勘違いに気が付いていたのかを聞くと、彼女は首を振った。じゃあどうしてユリュさんを見ていたのか聞いてみると、


『もやもやしました』


 とのこと。もう少し踏み込んで聞いてみたら、ユリュさんの存在自体が、リアさんの中に焦燥しょうそう感のようなものを生んでいたみたい。その気持ちは多分やきもち、だと思うのだけど、そういう意味では。ユリュさんが勘違いをして持っていた私への好意を、リアさんは敏感に感じ取っていたということ。他人が求めることを察するのが誰よりも上手なリアさんらしい、そんな可愛らしい嫉妬があったみたいだった。


『じゃあ、私の部屋から逃げ出したユリュさんを捕まえられたのはどうして?』


 という質問に対しては、


『スカーレット様の部屋の前で待機していました』


 らしい。なぜ待機していたのか、何を期待していたのかは聞き出せなかったけれど、そのおかげでユリュさんが寒空の下に出て行かなくて済んだ。嫉妬していた相手を自室に招いたのは、リアさんが持つ慈愛とも呼ぶべき優しさがあったからでしょう。……決して、“行為”の相手を求めて、では無いわよね? あの後、ユリュさんがリアさんを見るたびにもじもじしているのも、何か別の理由があるのよね?

 そんな寝物語をした昨日の夜は、嫉妬があったからかしら。いつにも増して、リアさんが激しかったとだけ言っておきましょう。眠い中、あしらうのが一苦労だったわ。


「くちゅんっ。……とりあえず、服を着ないと」


 寝ている間に脱がされたらしい服を着て、すやすやと眠るリアさんの白い髪を撫でる。前にも言ったように、タントヘ大陸は治安が悪くて危険な場所だ。リアさんとはまた、しばらく会えなくなってしまう。


「でも。私が素のままで居られるあなたが邸宅ここに居てくれるから、私も帰るべき場所が分かるの」

「すぅ……、すぅ……」

「……本当に、あなたは自由ね」


 なんのしがらみもなくて、ついでに何も着ていない。自由で、真っ白なリアさんの柔らかな髪をしばらく堪能した後、私はみんなが待っているはずの居間へと向かうのだった。




 今回のタントヘ大陸への遠征の顔ぶれは私、メイドさん、ポトト、そして案内役のユリュさんの4人だ。サクラさんには前回同様、リアさんと一緒にお留守番をしてもらう。もし噂の“異食いの穴”がチキュウへの帰還につながるようであれば、後から合流。サクラさんをチキュウに帰すという手はずになっていた。


「――到着です」


 メイドさんが起動させた転移陣のまばゆい光が収まると、そこはやや寂れた死滅神の神殿、その祭壇だった。当然と言えば当然で、早速、メイドさんからユリュさんに小言が飛ぶ。


「……ユリュ。神殿が汚れているようですが?」


 翡翠色の瞳で睨まれたユリュさんは私の背後に隠れながら、それでも、メイドさんに反論する。


「あ、う……。こ、これでも一生懸命、掃除しました。ただ、設備の老朽化自体はではどうにもできません」


 柱に走っている細かなヒビや、礼拝用の長椅子、机のささくれ。黒い絨毯のほつれ。他の大陸の神殿では見られないような老朽化の跡が、各所に残っている。メイドさんのせいで忘れてしまうけれど“死滅神の従者”は「何でもできる」の代名詞ではない。建物の修繕しゅうぜんなど、出来る人の方が少ないでしょう。


「主人である私にならともかく、他者に完璧を求める者ではないわ、メイドさん。今度、修繕のための人員と費用を工面しましょう?」

「……かしこまりました。帰り次第、すぐに予算等の見積もりを行ないます」


 特に他の信者さんたちが居るわけでもない寂れた神殿を出ると、そこはもう、何もかもが未知の大地――タントヘ大陸だ。


「うーん! 気持ちのいい風ね!」


 私たちが今回〈転移〉先として選んだのは、ユリュさんが住む集落に最も近い場所にある神殿よ。先日の勘違いについての弁明と、ユリュさんのご両親への挨拶も兼ねて、まずはユリュさんの故郷へと向かう予定だった。

 寂れた神殿から想像できていたけれど、いま私たちが居るのは海に近い雑木林の中だ。すぐ目の前には1本だけ道があって、その先にはきれいな砂浜がある。フォルテンシアの北寄りに位置するタントヘ大陸は年間を通して涼しいから海水浴、という気分にはならないけれど、とても美しい海が目の保養をしてくれる。


「行きましょう、死滅神様! こっちです!」

「あ、ちょっと待って!」


 5日ぶりの故郷ということで、やや興奮気味のユリュさん。皮膜のある柔らかな手で私の手を引いて、砂浜へと引っ張っていく。とは言っても、ぴょんぴょんと跳ねて移動するユリュさんの移動速度は決して早くない。すぐに、私とユリュさんは横に並ぶ立ち位置になってしまう。

 それでも、やっぱり海が大好きなのでしょう。頬を紅潮させ、目を輝かせたユリュさんは、とっても楽しそう。彼女の姿を見ているだけで、私も思わず笑顔になってしまう。

 ユリュさんとしては急いで。私としては早歩きに近い速度で歩きながら、私は背後に居るメイドさんとポトトに話しかける。


「ねぇ、2人とも、知ってる? タントヘ大陸って、フォルテンシアいち小さな大陸なのだそうよ?」


 タントヘ大陸は南東部が大きく欠けたナールの形をしている。弧を描く線のように細い大陸は、フォルテンシアで最も小さな大陸だ。だけど、タントヘ大陸を語る上で欠かせないのは、広大な地下空間。地下10層、下に行くほど広くなる巨大な階層になる『大迷宮』を抱えているタントヘ大陸は、種族の数、魔物の数もまた、フォルテンシアいちだと言われていた。


「よく勉強したようですね、お嬢様?」

「もちろんよ! メイドさん達が私を放ってカルドス大陸なんかに行っている間に、私はリアさんとたくさんお勉強をしたんだから!」


 なんて言っていると、ついに足元が土から砂へと変わる。


「やっぱり砂は良いなぁ……。ヒレが痛くならないもん」


 一度足元を確かめるように立ち止まったユリュさんが、ほっと息を吐く。ヒレ族は移動手段の関係上、硬い地面だとヒレと鱗に結構な痛みがあるみたい。邸宅から氷晶宮へ向かう道中は、ユリュさんをポトトの背に乗せて移動してきた。

 最初に邸宅にやって来た時も、かなり疲れたらしい。結果、出会って早々、ド派手にすっ転んでしまったわけね。


「死滅神様、少しここで待っていてくれますか?」

「うん? 別にいいけれど……」


 私の許可を得たユリュさんが、唐突に着ていたワンピースを脱ぎ始める。そして5秒とかからずヒレ族特有の下着姿になった彼女は、そのまま、ざぶんと。海に飛び込んだ。

 そのまま待つこと数秒、十数秒、数十秒……。数分。一切海面に上がってくること無く、ユリュさんは海の中に潜り続ける。


「……だ、大丈夫よね? ヒレ族って、別に海中で息が出来るわけじゃないのでしょう?」

「そう聞いています。わたくしも、水中行動は3分が限界なのですが……」

「さ、3分はいけるのね」


 そのまま、5分が経過して。やることが無いからポトトの毛づくろいをしながらさらに待つこと、5分。ようやく、水しぶきを上げて、ユリュさんが砂浜に戻って来る。飛び散った水滴はメイドさんが【フュール】の風で防いでくれた。


「お待たせしました! これ、死滅神様とメイド先輩の水着です」


 そう言って、水を滴らせるユリュさんが2人分の黒い、てかてかした布を手渡してくる。これは……ユリュさんが身に着けている下着と同じ素材、かしら? 最低限、胸の先端と下腹部を横一文字に隠す、伸縮性の高い輪っかのような水着。ジィエルで水着を見て回った時のサクラさんの話だと、一応『ビキニ』という種類だと思うわ。


「あ、ありがとう。でも、どうして水着?」


 困惑しながら下着よりもさらに布面積が小さい水着をめつすがめつしていた私に。輝かんばかりの笑顔で、ユリュさんは言う。


「今度は死滅神様たちに、海を……の家を紹介します!」

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