○青が支配する世界へ
折角の厚意だということで私は早速、砂浜で水着に着替える。胸の先端と、股先だけを隠す簡素な作り。だけど肌にピタッと吸い付くようで、締め付けは強め。これだけしないと、泳いでいる最中に脱げてしまうということでしょう。
「メイドさんは良いの? こんな機会、滅多に無いと思うけれど」
「結構です。
「……もしかしてだけど。メイドさん、泳げないとか?」
「
青地に肩ひものない前掛けのメイド服を示しながら、メイドさんがやれやれと首を振っている。メイドさんの中での「メイド」に求める品位が高すぎるのは今更だとして、本当かしら。水浴びの時も、水遊びの時も。基本的にメイドさんは浅瀬にしかいない。私やサクラさんのように、ちょっと川で泳いだりする姿だって、見たことがない。私も最初は泳げなくて、サクラさんに出会ってから色々教えてもらったりもしたけれど……。
――まぁ、あのメイドさんだもの。泳げて当然ね。
何事も完璧主義なメイドさんが、泳げないなんてこともないでしょう。
「そう。ユリュさんの家の場所は分かるの?」
「陸からお2人の様子を見ながら移動することにします。なので、ユリュ。くれぐれも、沖へは向かわないでくださいね。見失ってしまいますので」
そんなメイドさんの忠告に、ユリュさんは「は、はい」と短く答えたのだった。
「それじゃあ行きます、死滅神様」
「ええ。
メイドさんがポトトの
「お嬢様。この辺りの水温は高いと聞きますが、それでも冷たいことには変わりありません。寒くは無いですか?」
心配性なメイドさんが、寒いなら引き揚げろと言わんばかりにポトトの背中の上から言ってくる。
「大丈夫よ。慣れたらむしろ気持ち良いくらい――ひゃんっ?!」
浅瀬で海水に全身を浸しながら、手を振って大丈夫だと伝えていた時だ。目の前に黒くてうねうねした奇妙な生物が飛び出してくる。驚いて変な声が出てしまったけれど、よく見ればそれは、ユリュさんが捕まえたらしいネルラの仲間だった。
そして、このネルラ。驚いた時に真っ黒な液体を吐き出す習性を持っていて。
「死滅神様! 大ネルラです! 今日の晩御飯に……わわっ」
「きゃっ」
ビュルッという音に気づいた時には、私の視界は真っ黒に染まっていた。ちょっとだけ粘性があるのでしょう。顔から肩にかけて、ネルラの体液(?)がまとわりつく感覚がある。
「あ、あわわっ……。すみません、死滅神様! すぐに海に――」
「あははっ! やったわね、ユリュさん!」
やられっぱなしじゃ威厳が保てない。私は手探りでユリュさんの持つネルラをひったくって、ユリュさんの顔に押し付ける。すると、またも身の危険を感じたネルラがビュルッと液を吐き出す音が聞こえた。
「うぅっ……真っ黒です。……ふふ、あははっ」
「ふふんっ! これでお相子ね……ふふっ!」
真っ黒なお互いの顔を見合って、笑い合う。その後、顔に着いた液体を落とすために、また、身体を海に馴染ませる意味も込めて少しだけ潜ってみれば、私の周りをユリュさんが気持ちよさそうに泳ぎ回る。身体を波打たせて泳ぐ姿は、優雅で。デアの光を乱反射させる鱗は、まるで高級なドレスのスカートみたい。
「ぷはぁっ。やっぱりユリュさんは、きれいだわ!」
「そ、そうですか? えへへ……」
「お嬢様、ユリュ。はしゃぐのは結構ですが、くれぐれも。羽目を外さないでくださいね……」
なんていうメイドさんのお小言も、今は全然気にならない。
「泳いでいれば
「ええ。あなたがいつも見ている景色、是非見せてちょうだい?」
海の中。小さなユリュさんにおんぶをしてもらう形をとる。
「も、もうちょっと、密着してもらえると嬉しいです」
「水の抵抗の関係ね? ……こうかしら?」
ユリュさんの首に回した腕に力を込めて。その後、彼女の指示通りユリュさんの腰の前あたりで足を交差させる。なるべくユリュさんに引っ付いて、引っ付いて。
「は、はい、良い感じです! それじゃあ――行きます!」
「え、ちょ、まっ」
私の叫びは、海の中で泡に変わる。思わず閉じた目。感じるのは、骨が無いんじゃないかと思うくらいに柔らかにしなるユリュさんの身体の動き。密着した部分に伝わるじんわりとした温かさ。そして、全身を撫でる水の感覚だった。
やがて、落ち着いたところでゆっくりと目を開けてみる。
そこにあったのは、どこまでも透き通った
どこまでも、どこまでも続いて良そうな見たこともない青色。海面の波はいくつもの幾何学模様を描き、その1つ1つが世界を切り取った額縁のよう。雲一つない空から差し込むデアの光が柱となって、青の世界にいくつもの
そんな、青が支配する世界で。まるで自分の存在を証明するように色とりどりの体色を持つ魚たちが行き交っている。
――なんて、きれいなの……。
ユリュさんの細い肩越しに海底を覗いてみれば、気持ち良さそうに手を振る、海藻の森が見える。その森に守られるようにあるのは、
ゴミ1つ落ちていない海底はデアの光を美しく返して、青一色の世界に鮮やかな緑色を映す。
――これが、海。ここが、ユリュさんの住んでいる世界……。
肩口に私の方を振り返って、嬉しそうにほほ笑んだユリュさん。すると今度はやや深い場所に潜って行って、魚たちを間近で見せてくれる。魚の方も慣れているのかしら。逃げるなんてことは全然なくて、自由気ままに泳いでいる。
と、前方に大きな魚の群れが見えた。デアの光で銀色を返す魚の群れに、泳ぐ速度を上げたユリュさんが一気に飛び込んでいく。すると、ユリュさんの進むところだけ魚の壁が割れた。そして、球体を成して泳ぐ魚の群れの中心でユリュさんが泳ぐヒレを止めてみれば。
私たちの周りには、数え切れないほどの魚たちによって作り上げられる幻想的な銀色の壁が出来上がっていた。上下左右、どこを見ても、魚、魚、魚……。彼らの動きに合わせて刻一刻と変わる銀色の壁は、まさに、生きた光のカーテン。きっと、どれだけ腕の立つ職人がいたとしても、このカーテンより美しいものを作り出すことはできない。そう思えるほどに、圧倒的で、生き生きとした光景が、私たちを包み込んでいた。
――これを、ユリュさんは見せたかったのね?
そう目で問いかけてみれば、ユリュさんは、とっても嬉しそうに微笑んでくれる。これだけ美しい世界で生きて来たんだもの。ユリュさんの純粋さ、純情さの理由も分かるというものね。もしここに、生き物全てに愛されるらしいリアさんが居たとしたら。それはもう、この世のものとは思えない絶景が広がることでしょう。
……ところで、どうしてかしら。少しずつ、視界が暗くなっていく。徐々に身体に力も入らなくなっていって、ユリュさんを掴むことも出来なくなってしまった。そのまま、吸い込まれるように海底へと沈んでいく私の身体。仰向けになった視界には、私を避けるように割れた魚のカーテンと、波打つ海面に浮かぶ美しいデアが見えて。続いて、青の世界には不釣り合いな、真っ白な気泡が私の口から漏れて、海面へと上って行く。
――なるほど、これが、息も忘れるくらいの感動……なの、ね……。
デアを背にして私に手を伸ばすユリュさんの美しい泳ぎ姿を最後に。私の意識は深い海の底へと、沈んでいくのだった。
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