○肩の力を抜いて
7月の27日目。サクラさんとメイドさんが居なくなって、3日目になろうとしていた。
ここ数日の私は、ポトトとリアさんと一緒に町を散歩したり、花を摘みに行ったり、時々、町を預かる者としての政務を行なったり。もうすぐ向かうことになるタントヘ大陸と異食いの穴について調べたりしながら、日々を過ごしていた。
朝。今日もリアさんとお手伝いさん達が作ってくれた料理を美味しく頂く。ふと、食卓から庭の様子を伺ってみれば、大きなあくびをしたポトトが丸くなって気持ちよさそうに眠っている姿がある。屋根のある庭先の食卓寄りの場所。それが、ポトトの定位置になっていた。
「スカーレット様。今日はリアと、どこに行きますか?」
食後のホットミルクを飲んでいたリアさんが、コテンと首を傾げて聞いてくる。メイドさんとサクラさんが居ないということで、最近はずっとリアさんと一緒に居る。それこそ、おはようからおやすみまで、ね。政務中や読書中は我慢してくれるけれど、それ以外の自由な時間は基本的にべったりとくっついてくる。
――ひょっとして、メイドさん達。リアさんと私が一緒に居る時間を作るために2人きりにしてくれた、とか……?
最近は死滅神のお仕事続きでリアさんを放ったらかしにしていたと言っても良い。その寂しさを埋めるように、メイドさんたちが居なくなってからのリアさんはここぞとばかりに“攻めて”来ることが多かった。私としては、お話だけで十分。“行為”は必要ないのだけど……。
今日の予定を聞いてきたリアさんに、私は吹き抜けの天井を見遣る。私が今飲んでいるのは温めた『ミルキ』という飲み物で、牛乳に香り高い茶色い豆『キキの実』を粉末状にしたものを入れた飲み物だ。ミルクのまろやかな甘みとキキの実の香りの相性はまさに抜群で、飲んでいるだけでほっと心が落ち着くような香りと味だった。
「……そうね。今日もタントヘ大陸の歴史と言語を勉強しないといけないから、地下の書斎に行こうかしら」
カップを置いて答えた私に、リアさんは少しだけ不服そうだ。理由は恐らく、勉強をしている間は我慢をしないといけないからでしょう。
「そんな顔しないで? どうせならリアさんも一緒にお勉強しましょう? タントヘ大陸の言葉って今使われているフォルテンシア語の起源にもなっているから共通点なんかもあって、意外と面白いわよ?」
「スカーレット様がリアに望むのなら、そうします。でも、そうでないなら、お散歩が良いです」
受け身になるだけじゃなくて、きちんと自分のしたいことを言ってくれるようになったリアさん。彼女の幸せを願うなら、一緒にお散歩に行くのが良いのでしょうけれど……。
タントヘ大陸にも抹殺対象が5人いる。彼ら彼女らを殺すにあたり、現地の人の協力も欠かせない。だから、交流を図るためにも言葉はきちんと話せるようにしておきたいのよね。
「じゃあ、こうしない? リアさんがタントヘ大陸の文字32個の筆記と発音を覚えたら、休憩がてらお散歩をするの」
いくらリアさんが器用で、頭が良かったとしても。タントヘ大陸の難しい言葉の発音と、書き順すら分からない文字の羅列を覚えるには3時間くらいはかかるはず。その頃には丁度お昼だろうし、お散歩するには丁度いいでしょう。もちろん、お散歩までは私も勉強できる。自分のしたいことと、リアさんのしたいこと。2つを両立する最高の案ね。
どうかしら? そう尋ねた私に、リアさんはぼんやりと紫色の瞳で私を見つめ、ほんの少しだけ考える時間を置いてから頷く。
「はい、分かりました。リアが文字を覚えたら、スカーレット様はお散歩してくれる。ですね?」
「言っておくけれど、問題は私が作るし、採点に手を抜くつもりはないわよ?」
「はい。大丈夫です」
その時に一瞬だけ見せた彼女の笑みの理由を、私は聞くべきだったのでしょう。
朝食から30分後。早々に勉強を切り上げた私とリアさんは、分厚い雲が覆う空の下、イーラの町を散歩していた。
「くっ……。リアさんにねだられて、1度でも発音してしまったのが悪かったのかしら……」
リアさんが、観察と模倣を大の得意分野にしていることをすっかり失念していた私。リアさんにねだられるまま1度だけ32個の文字それぞれの言葉を発音しただけで、彼女はその全てを暗記・再現してしまった。文字も、形を記憶するだけなら何の問題も無かったみたい。おかげで、私が勉強に割くことが出来た時間は10分にも満たなかった。
――私は、丸1日かかったのに……っ。
改めてリアさんの潜在能力の高さを見せつけられた気分だった。
リアさんと手をつないで、イーラの町を見て回る。時折人々の声が聞こえてくるだけで、とても静かな町だ。
――本当に、平和な町だわ。
争いもなく、自給自足で、動物たちとの住み分けも出来ている。きっと、このイーラの在り方をフォルテンシア全土に広げることこそが、私たち4大神に求められている物でしょう。
だけど、どうしてかしら。少しだけ……。ほんの少しだけ、何の変化も無いこの町を退屈だと思ってしまう。これほど完成された町は無いというのに。私自身、こうして争いも、殺生もない完璧な世界を目指しているというのに。なぜだか不満を覚えてしまう。
「ほんと、自分で自分が分からないわ」
こうありたい、こうあるべき。頭では分かっていても、いざという時には反対のことをしてしまうことだってある。その理由は、私に“心”や“感情”があるから。でも、かつてのリアさんがそうしたように、心を切り捨ててしまうのはきっと、根本的に何かを間違っているのだと思う。だって、感情の見えないリアさんを見たときに、私は「リアさんを変えたい」と思ったのだから。
「……? どうかしましたか、スカーレット様? ご奉仕ですか?」
聞いてくるリアさんの顔は、相変わらずほとんど変化が無い。だけど、表情が変わらないだけで、彼女はきちんと“自分”を持つようになってくれている。今言ったご奉仕という言葉にも「そういうことがしたい」という、隠し切れないリアさんの欲望みたいなものが
「いいえ。リアさんは、そのままでいいの。奉仕はまた今度よろしくね」
「……はい」
こういう時だけは分かりやすくシュンとしてしまうリアさんが何だか可笑しくて、私は思わず笑ってしまう。
――ほんと、リアさんといると肩の力が抜けてしまうわね。
ステータスが無いから、
死滅神としてのしがらみが一切ないリアさんの前では、ありのままの私で居られるような気がする。今こうして、何気ない話や仕草に笑って、手をつないで歩いているだけで楽しい。自分の感情に素直になることが出来る。
「……ふふ。私、少し根を詰め過ぎていたのかも?」
最近はずっと、お役目のことしか考えていなかったような気がする。殺さないと。早くフォルテンシアから敵を排除しないと。そんな脅迫観念があったのだと、この、まったりとした時間の中で気づく。
――そう言えば、ナグウェの料理もあまり堪能できなかったし。カーファさんが言っていた『賭けまーじゃん』も出来なかったものね。
確かに、お役目は大事だ。フォルテンシアの敵が長く生きれば生きるほど、善良な市民の命が散る可能性が上がっていく。だけど、焦っている時は大抵、大切な物を見落としがちだ。
私は息を吐いて、今一度初心に立ち返る。私は、死滅神。フォルテンシアのために生きている。フォルテンシアを守らなければならない。だけど、じゃあ私が守るフォルテンシアってどんな場所なのか。そこに居気付く動物たち、人々の生活を見ないことには、自分が何を守っているのかを見失ってしまう。
「ふぅ……。う~ん! はふぅ。……よしっ!」
深呼吸して、背伸びをして、だらんとして。気合を入れる。
「リアさん! 予定変更よ。お勉強は、お休み。今日はお散歩しながら、イーラの町の人、1人1人とお話ししましょうか!」
これまで、訪れる町、訪れる町でたくさんの人と話してきた私。だけど、ナグウェ大陸ではどうだった? 抹殺対象以外とは、ほとんど話していないじゃない? イーラの町だってそうだ。ここに来てから、町人たちと話し合った記憶なんて、ほとんどない。
――私らしくない!
たまの息抜きくらい、許してくれる。そう信じて、私は久しぶりにお役目のことなんて一切忘れて、自分のしたいことをすることにする。……じゃあ早速、あの角の家から! 確か、丸耳族の老人男性ホフバさんが住んでいるんだったかしら?
「行くわよ、リアさん!」
「はい。……スカーレット様が、スカーレット様です」
「当然よ。死滅神の私も、小娘の私も、どっちもスカーレットなんだから!」
どこか安心したような笑顔を見せてくれたリアさんの手を引いて、その日、私は1日全部を使ってイーラの町を駆け回ったのだった。
タントヘ大陸からの意外な(?)来客者があったのは、この翌々日のことだった。
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