○ナニカ、ワスレテ、ナイ?
夕暮れ時。パリの収獲を終えた私たちは、ウルセウの冒険者ギルドで報酬を受け取っていた。依頼終了直後ということで、大勢の冒険者が押し寄せているギルド内は、未だに騒がしい。
「ふん、ふふん、ふっふっふーん♪」
「お、おかしい……。おかしいよ、こんなの……」
私の前で膝をつくサクラさんが、呆然と呟く。そんな彼女に追い打ちをかけるように、1枚の紙を握りしめるアイリスさんが真実を伝えた。
「えー、コホン。特別依頼『パリの収獲』。結果、スカーレットちゃんが360体。サクラちゃんが418体。ですが、買取金額はスカーレットちゃん、158,000n。サクラちゃん、112,430n」
「なるほど。今回は金額勝負だったので、勝ったのは……」
メイドさんの呟きを受けて、私は堂々と胸を張る。
「私、スカーレットよ!」
そう。終わってみれば、私の圧勝だった。もちろん、討伐数はサクラさんの方が圧倒的に多い。だけど今回は金額勝負。私が全てを500nで買い取ってもらったのに対し、サクラさんは平均で大体250nくらい。単純計算で、私の倍以上を討伐しないと、サクラさんには勝ち目がなかった。
「おかしい、おかしいよ! ひぃちゃんが勝つことなんて、誰も期待してないっ!」
「なっ?! 少なくともアイリスさんとリアさんは、期待してくれていたはずよ! ねっ?!」
「「……」」
お、おかしいわ。いつも私の味方の2人が、気まずそうに視線を逸らした。
「私としては、実力的にサクラちゃんが勝つかなー、と思っていましたね。実際、討伐数はサクラちゃんの方が多いですし」
「嘘でしょ?! り、リアさんは……?」
「はい。リアは、サクラ様に負けたスカーレット様をベッドの上で慰める予定でした」
「2人とも! 正直なのは良いことだけれど!」
もしかして誰も私が勝つなんて思って無かったってこと……?
『ククルル クルールッルル ルゥルルル!』
「もう! あなただけね、ポトト。私を信じてくれたのは」
腕の中で鳴いたポトトをひしっと抱きしめる。言っていることはわからないけれど。
「くぅっ……。スキル頼みのひぃちゃんは、スキルポイントの限界がある。だから私が余裕で勝てるって思ったのに……」
ある程度勝算があったと語るサクラさん。……ずる賢い、というのはお門違いよね。だって私も、勝算を持って勝負に臨んだのだから。
「計算が甘かったですね、サクラ様。この季節のパリのレベルは1~3程度。今のお嬢様のレベルから考えて、100体、つまり50,000nはまず固かったでしょう」
確かに、サクラさんの言う通り、私は昼過ぎあたりでスキルポイントが底を尽きかけていた。だけど、私の場合。100~300n硬貨をスキルポイントに代用すれば500nになって返って来る。これが〈即死〉を持つ私だけの特権ね。
「ずるだ~! お金の錬金術は、ずるだ~!」
「私だって馬鹿じゃない。使命を果たすためにも、スキルポイントがなくなった時のためにエヌ硬貨を常に持ち歩いているのは当然だわ」
「まぁ、そのせいで、余計な買い物をしがちなのも玉に
メイドさんがやれやれ、と、いつものお小言を漏らす。……私としては、旅の思い出を買っているつもりなの。だけど、買った物がメイドさんの〈収納〉を圧迫していると思うと、反省はしないとね。後悔はしないけれど。
指を立てたメイドさんの冷静な解説が、今度はサクラさんに向けられる。
「対してサクラ様は、効率よく討伐数を稼いでいたものの、やっぱりスキルポイントには限界がありましたね? それに弓を使う以上、矢の数にも限界がありました」
サクラさんの場合、エヌ硬貨をスキルポイントにすると収支マイナスになる。だからエヌ硬貨を代用するわけにもいかなくて、最後の方に失速したという訳ね。むしろ、スキルに頼らず、動き回るパリを剣1本で20体近く仕留めていたことの方が、驚きでしょう。
「解説ありがとう、メイドさん。……という訳で、どうかしらサクラさん。あの勝ち誇った顔からの敗北、どんな気持ち? ねぇねぇ、どんな気持ちなのかしら?」
「くぅっ! この調子乗ってるひぃちゃんに言い返せないのが何より辛いっ! こんな結果、認めたくない~っ」
駄々っ子のように……駄々っ子そのものになったサクラさんが、悔しそうに木の床板をぺちぺち叩いている。……そう、これよ! この姿が見たかったの! これがきっと、サクラさんのよく言う「分からせ」ね!
「サクラ様、往生際が悪いですよ。きちんと結果を受けとめましょう」
「むぅ~……。まぁ、そうですね。明らかにわたしが勝つ流れだったから、ちょっと受け入れるのに時間がかかりました」
ようやく立ち上がったサクラさんが1つ背伸びをして、敗北を受け入れてくれる。
「よし、じゃあ宿に帰ろっか。明日イーラに戻るのか~。……アイリスさんともうちょっと話したかったです」
「またいつでも会いに来てくださいね、サクラちゃん! いつでもここで、待ってるから」
「はい! あ、お見合いの時の話もまた聞かせてくださいね!」
そう言って、何事も無かったように宿に帰ろうとするサクラさんだけど。
「待ちなさい、サクラさん」
私は彼女の肩を掴んで全力で引き留めた。少しぎこちなさのある動きで私の方を振り返ったサクラさんに、私は笑顔で尋ねる。
「ナニカ、ワスレテ、ナイカシラ?」
「え、え~っと、なんだろうな~? そんなことより、ひぃちゃん。今日の晩ごはんは何が良い?」
「サクラさんが作るオムライスが食べたい。あの酸味のあるケチャップとトット鳥のモモ肉の食感と味が最高で……って、ごまかされないわよ?」
「あ、あはは~……。はぁ……」
ついに観念したサクラさんに対して、私は勝者の特権として用意されていた「何でも言うことを聞く権利」を行使することにする。
「わたし、何すれば良い? いやらしいのは、ほどほどにしてね」
「ほどほどなら良いのね、ってメイドさんじゃないんだから……ん?」
と、そこでふと。なんでも言うことを聞く、という文言と。メイドさんという単語を手掛かりに、私はかなり大切な約束を忘れていたことに気が付く。
サクラさんへの命令はひとまず後回しにして、私はメイドさんに向き直る。
「……? どうかされましたか?」
「ねぇ、メイドさん。あの日……ファウラルに向かう道中、ショウマさん達と出会った迷宮で。あなたと同じような約束をしなかったかしら?」
「同じような、とは?」
「こう、私があなたの言うことを何でも聞く、みたいな……」
あの時は戦闘もあったし、その後にもいろいろあったせいで記憶が曖昧だけど。金属の立方体の背中の上で、そんな話をしたような気がする。そう言った私に、メイドさんは何食わぬ顔で、
「ええ、しましたね。むしろ忘れられていては困ります」
と、約束したことを肯定した。
「え、でも私、まだその約束を果たせていないわ? 何かして欲しいことはある?」
「ではお嬢様の初めてを――」
「そういう冗談はいいから! 何かないの? 私が、あなたに、してあげられること」
私は改めて。こちらを見下ろす翡翠色の瞳を真正面からとらえる。
これは、いわば恩返しだ。いつもいつも、世話を焼いてくれている彼女に対する、最大限のね。なんなら、もしメイドさんが本当に“そういうこと”を求めるのであれば、こんな私の身体なんて、好きに使ってもらって構わない。そんなある種の覚悟すら込めたというのに。
「今はありませんね。なので、もし何か思いついたなら、お願いさせて頂きます」
特に何もないと言われてしまう。それでも、いつものように、はぐらかすといった印象はない。本当に、今は何も思いついていない様子だった。
「そう。必ずよ? 絶対に、約束は果たさせて」
「はい。……いずれ、必ず。死滅神様の
そのふくよかな胸に手を当てて、宣誓したメイドさん。いつになく真剣に向き合ってくれたメイドさんが嬉しくて、私も笑顔で彼女の宣誓を受け入れることにした。
「……さて。それじゃあ、サクラさんの番ね。そっと私の視界から外れても、意味無いわよ?」
「うっ。やっぱり忘れるってことは無いか~。……で、ひぃちゃんはわたしに、何させるの?」
恐る恐るというよりは、やや投げやりに聞いてきたサクラさん。最初、私は彼女に「1週間の添い寝」をお願いしようとしていた。もう少しすれば、お役目と異食いの穴を調べるためにタントヘ大陸に向かうことになる。残念ながら、口が裂けても治安が良いとは言えない場所だ。不安で眠れなくなったとしても、サクラさんが一緒に居てくれれば、ぐっすりと眠れる自信がある。
――だけど、本当にそれで良いのかしら?
この約束の効力は無いに等しい。少なくとも、サクラさんの意思を
『フォルテンシアに残る!』
なんて言い出したりとか。優しい彼女だから、あり得ない話じゃない。だけどその時に、この約束を使って「チキュウに帰りなさい」と言ってあげれば、サクラさんが自分の心に素直になる言い訳くらいにはなるんじゃないかしら。
「ひぃちゃん?」
「……私も。今は思いつかないから、また今度で良い?」
「うわっ、“焦らし”だ!」
「サクラさんを好きにできる機会なんて、そうそうないものね? 慎重に
とりあえずそれらしい理由をつけて、私はサクラさんに命令する権利を温存しておくことにするのだった。
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