○聖女としてのシュクルカさん
7月の8日目の、早朝。私は転移陣を作動させられるメイドさんを伴って、アクシア大陸ウルセウにある神殿へと〈転移〉した。そして、
「ひと月ぶりです! 死滅神様ぁ、メイドさ……きゃぃんっ」
転移した直後の私たちめがけて、文字通り飛んできたシュクルカさんをメイドさんがいなしつつ。治療をしてもらうことになった。
“死滅神の聖女”としての政務に当たっていたのでしょう。今日のシュクルカさんは以前に見た、黒を基調とした祭事服を着ている。椅子に座る私の前に
「……〈
明るい茶色のふさふさの尻尾をゆっくりと揺らしながら、シュクルカさんが聞いてくる。
「えぇっと、話すと長くなるのだけど――」
「
お話がてらナグウェ大陸でのあれこれを説明しようとした私の言葉を遮ったのは、メイドさんだ。
「
全ては自分の責任だと、メイドさんは言ってくれる。だけど、残念ながらこの怪我は私の落ち度なのよね。従者に責任を押し付けるわけにはいかないし、
「いいえ、シュクルカさん。これは私のせいなの。私が言いつけを忘れて不用意に誘拐されてしまったせいで、こんなことになっただけだわ」
自分のせいだときちんと話す。そうして互いに自分のせいだと言った私とメイドさんを、シュクルカさんは茶色の瞳で交互に見遣る。サクラさんと同じ茶色の瞳でも、シュクルカさんの瞳はかなり明るい色合いをしていた。
「仲が良いのは分かりましたが……。骨にひびが入っていますね。付記されているのは〈怪我/大〉ですか?」
「え、ええ。その通りだけど」
「たとえルカの主だろうと、相場通りきちんと治療費は払って頂きます」
……まぁ、妥当よね。私が支払うお金は、私個人のものではなくなって、死滅神とその信者たちのものになる。意味のない金銭のやり取りとは言えないでしょう。
「それで、シュクルカ。費用は?」
「そうですね……。ステータスから〈状態〉を取り除く〈回復〉と、骨をあるべき状態に戻す〈修復〉を使うので、120,000nです。また、〈治癒〉の際に発生する痛みを緩和する〈麻痺〉も使用するなら、10,000nを加算します」
やっぱり、治療となるとかなりのお金がかかる。人によるけれど、シュクルカさんの場合、同じく傷の手当てを行なえる“医師”の人たちの相場に合わせているらしい。じゃあどうやって金額を決めているのかと言えば、大体、市場に出回っているポーションがいくつ必要か、と言うのが目安だそうだ。
今回の場合だと〈怪我/大〉を取り除くことのできるポーションがおよそ30,000~50,000n。骨を元に戻す〈修復〉のスキルはポーションとして存在しない。だから、ざっくりと治るまでの1~2か月間に必要なポーションから算出するとのこと。
「ですが、消耗品のポーションとは異なり、ルカ達の場合、スキルポイントは眠れば数日で回復します。よって、相場よりも少しだけ安くする、と言うのが一般的ですね」
1つ1つ、支払うお金とその仕組みについて丁寧に説明してくれたシュクルカさん。その口ぶりは、とても慣れたもののように思える。
「もしかして、毎回こうして患者さんに説明しているの?」
「もちろんです。治療はかなりお金がかかるので、きちんと納得したうえで行なわれなければなりません」
そうすることで、無用な厄介ごとが持ち込まれることを防ぐ。ひいては死滅神への印象につながるからだと、シュクルカさんは語った。
実は、そうして得た治療費のほとんどを、シュクルカさんは死滅神に寄付してくれている。イーラで確認した収支報告書によれば、死滅神とその信者たち全体の寄付金の内、シュクルカさんが納めている額はそのままの意味で桁違いだった。多分この辺りの謙虚さこそ、なんやかんやでメイドさんがシュクルカさんを認めている要因の1つだと思うわ。
「分かりました。では〈麻痺〉も含めて、全額を
「……? どうしてメイドさんが払うのよ。さっきも言ったように、私が払うわ」
「いいえ。これは主を守ると言う従者としての使命を果たせなかった
メイドさんったら、なかなか強情じゃない。じゃあ、折半でどうか。これならお互いに文句はないんじゃないかと言った私の提案にも、メイドさんは首を横に振る。本当に全額払わないと、気が済まないらしい。それはメイドさんの気質のせいか、それとも
結局、5分くらい言い合った末に。
「分かったわ。でも〈麻痺〉は必要ない。治療の痛みくらい、私に背負わせて」
「……かしこまりました」
と言ったあたりで落ち着くことになった。……ついでに。こうして私がメイドさんと言い合っている間、シュクルカさんは私をずっと、全身を触診してくれていた。どこをどう、と言うのは省略するけれど、何度かメイドさんの手刀がシュクルカさんの脳天を襲ったことは、言うまでも無いわね。
頭にいくつかたんこぶを作りながら触診を終えたシュクルカさんの顔は、いつになく真剣なものだった。
「死滅神様。きちんと食事していますか?」
「……ええ。ね、メイドさん?」
「はい、きちんと食べていることは、確認していますが……。言われてみれば、最近は少しだけ食べる量が減っている気もしますね」
「そうだと思います。死滅神様の筋肉量と体形で、1か月で腹囲3㎝減。ルカの見解としては、少し栄養が足りていないかもしれません」
うぅ、さすがに
正直に話した私の肩に、メイドさんがそっと手を添えてくれる。
「レティ……」
「死滅神様。悩み事があれば、周囲の人にきちんと話してくださいね」
「ありがとう、シュクルカさん。でも、私はまだ大丈夫。死滅神なんだもの。これくらいのこと、1人で乗り越えて見せないとね」
私の言葉に、私を診ていたシュクルカさんの目がメイドさんに向けられる。
「メイド様。あなたにしか気付けないこと、出来ないこともあります。くれぐれも、よろしくお願いしますね」
「そんなこと……っ。あなたに言われずとも、分かっています……」
ほんの少しだけ非難の色が含まれたシュクルカさんの声に、メイドさんがいつになく余裕のない声で答えて見せたのだった。
「それでは、治療に移行します。準備は良いですか、死滅神様? 言っておきますが、〈麻痺〉無しの治療はかなり痛いですよ?」
そう言って、にこりと笑うシュクルカさん。……こう、あれね。こうしてふざけていない彼女を見てみると、改めてシュクルカさんがちゃんとした聖女に見えてくるから不思議。普段からこうしていれば、格好がつくのに。
――いいえ、逆じゃない、私?
私たちの前だからこそ、シュクルカさんは人々に対しては見せない素の自分を見せてくれている。そう思うと、なんだか嬉しいじゃない。まぁ、でも、シュクルカさんの隠し切れない変態さは動きの方で出てしまっているけれど。具体的には、さっき、私の手を巻いていた包帯をクンクン嗅いだ彼女はうっとりした表情を見せた後、ゴミ箱ではなく何やら厳重な箱の中にしまっていた。後できちんと捨ててくれることを、願ってやまないわね。
「死滅神様? 〈麻痺〉は大丈夫ですか?」
包帯の行方を気にしていた私に改めて、すまし顔で聞いてくるシュクルカさん。彼女が素の自分を見せてくれると言うことは、少なからず信頼されているということ。だったら私も、その信頼に応える責務があるはず。
「ふん、私を誰だと思っているの? 死滅神、スカーレットよ。骨が折れた時だって、余裕だったんだから」
まぁ、嘘だけど。涙だって出たし、自分でも驚くような声が出たけれど。まさか骨折した時より痛いなんてことは無いはず。
「本当に良いんですか?」
「余裕よ!」
「それはそれは痛いですが。本当に、良いんですね?」
「そ、そうしつこく聞かれると不安になるけれど。ええ、大丈夫。やって頂戴!」
最後にシュクルカさんがメイドさんを見て。メイドさんが諦めたように首を縦に振ったことを確認すると。
「分かりました。では……行きますっ」
気合いを入れるように尻尾をピンと立てたシュクルカさん。同時に、彼女の特徴的な垂耳も跳ね上がる。
――あまりの痛みに私が叫んだのは、その直後の出来事だった。
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