●ちょっと寄り道 (ナグウェ大陸→タントヘ大陸)
○騒がしい食卓
7月の7日目。午前中にもう一度軽く観光を済ませてナグウェ大陸を後にした私たちは、本拠地イーラの邸宅に帰って来ていた。荷解きを済ませて昼食の時間と相成ったのだけど。
「はい、ひぃちゃん。あ~ん」
「スカーレット様、どうぞ」
サクラさんとリアさんが、料理の乗ったスプーンやフォークを差し出してくる。コトさんとの一件で利き腕の右手を負傷した私。明日、アクシア大陸ウルセウに行ってシュクルカさんに治してもらうまで、かなり不便な生活を強いられていた。……とはいえ。
「昨日も言ったけれど。フォークとスプーンなら左手でも問題なく使えるわ。だからそんなことしてくれなくても大丈夫よ?」
言ったことを証明するように、私は左手で持ったフォークをパンに突き刺して食べる。パンを丸かぶりなんてはしたない。いつもならそんなメイドさんのお小言が飛んでくるけれど、こればっかりは仕方ないと分かってくれている。
「サクラ様も、リアも。早く自分の席に着きなさい」
むしろそうやってサクラさん達を下がらせて、私が食事しやすい環境を整えてくれていた。メイドさんの小さな配慮はお昼ご飯の品目にも表れていて、今日はスッラ豆とプルツを使った海鮮風味のスープと、強烈な香りが特徴の『クサグサの根』と食用油だけを使った具材のない簡単なパスタ、パンを作るようにお手伝いさん達に言ってくれている。どれもスプーンやフォークで食べやすい食事だった。
ついでに、この食べさせてもらうやり取りは昨日もあったわ。0番地の食事はお箸を使うことも多くて、その時はさすがにサクラさん達の手を借りたけれど、今日は大丈夫。
――そう思っていた時期が、私にもあったわ。
「……あれ? 意外と難しいわね」
パンとスープは問題ないの。問題はパスタだ。左手でクルクル巻いて食べるなんて簡単。そう思っていたけれど、やってみるとこれが意外と難しい。どうしても普段通り右手の巻き方をしようとして、頭の中でこんがらがってしまう。
――右に巻くんだったかしら? それとも左?
そうして悪戦苦闘していた私を見かねたのは、はす向かいメイドさんだった。
「……はぁ。仕方が無いですね」
そう言って席を立ったかと思えば、私の所にそっとやって来て、パスタを巻いてくれる。そしてそのままフォークを持ち上げて、
「はい、その可愛らしいお口を開けてください」
と、パスタが巻かれたフォークを差し出してきた。食べられないと分かった以上、ここで意地を張るのは良くない……かしら。何より、手をこまねいていると美味しい料理が冷めてしまう。
「……むぅ」
仕方が無いから差し出されたパスタを食べ――ようとして。
「ダメだよ、ひぃちゃん。これこそが、メイドさんの作戦だから」
身を乗り出そうとした私の肩を、サクラさんが掴んで止めた。
「
美味しいに違いないパスタを前に、本能的に空いてしまう口のまま、サクラさんに聞いてみる。
「そう。最初にわたしとリアさんを牽制しつつ、仕方ないとか言いながら自分だけが美味しい所を持ってく。メイドさんの
私の背後にピタリとついたサクラさんは続いて、メイドさんに挑戦的な目を向けた。
「ですよね、メイドさん?」
「……やれやれですね、これだからサクラ様は。料理が冷めてしまうではありませんか?」
「じゃあ、わたしがひぃちゃんのお世話をします。メイドさんは席に戻ってください」
「ふむ。ではお嬢様自身に決めて頂きましょう。
「ついに決着をつけるんですね、分かりました。……で、どっちにするの、ひぃちゃん?!」
翡翠色の瞳と、茶色い瞳。2つの視線が私を射抜く。本当に仲が良いわね、この2人。私をだしにして、
「誰でも良いから、早く食べさせてくれない? メイドさんも言っていたように、折角の料理が冷めてしまうじゃない」
「ではお嬢様、早く選んでください。
「違うよね~。こんな、なんちゃって侍女さんじゃなくて……わたしだよね?」
もう一度、笑顔で聞いて来るメイドさん。サクラさんも私の答えを今か今かと待っている。……どうしてかしら。誰に食べさせてもらうのかを決めているはずなのに、それ以外の何かがかかっている気がしてきたわ。
「え、えぇっと……」
急に緊張感が満ち満ちた昼食の場。私がつばを飲み込む音だけが響く。確か、昨日はサクラさんにほとんど食べさせてもらった。だったら今日は、メイドさんにしてもらうべき? だけど、ここ最近、メイドさんとよく一緒に過ごしていたから、サクラさんとはあまり話せていない気もする。
メイドさんと、サクラさん。どっちを選ぼうか。悩んでいた私の口の中に、不意に、
「んぐっ?!」
パスタが独りでに突っ込んできた。いいえ、そう感じたと言うだけね。実際は、きちんとフォークにまかれたパスタを誰かが私の口の中に突っ込んだという話。人の意識の間を縫うように行動できる人なんて、この場で1人しか居なかった。
「では、リアがスカーレット様にご奉仕します。口を開けて下さい、スカーレット様。あ~ん、です」
「ちょ、まっ、リアさん。んぐっ……わ、私、パスタで溺れ、る」
リアさんの手で次から次へと口に放り込まれてくるパスタの束に、危うく窒息しそうになる。
「リア。今は大切なところだったのですが?」
「そうだよ、リアさん! ずるは良くない、抜け駆け良くない!」
「スカーレット様は早く食事することを望んでいました。なので、リアが正解です」
無表情ながらもどこか満足そうに言って、リアさんは私に水の入ったグラスをくれる。このグラス、実はイーラに来て3日目。サクラさんと話をしたあの日、サクラさんが「無事だったお祝いに!」と贈ってくれた私の宝物だ。私の瞳と同じ濃い赤色の着色が施されたグラスは、水を入れて光に透かすと
「んくっ……んくっ……ぷはっ。死ぬかと思ったわ……」
グラスに入った水を一気に飲み干して、一息つく。まさか食事で死にかけるなんてね。……でも、ビュッフェでも思ったことだけれど。食事中に死ぬことが出来るのであれば、私としては本望だわ。
「ひぃちゃん、これ、お手拭き。口元拭いてね。あ、拭いてあげよっか?」
「スカーレット様、次はパンですか? スープですか?」
「リア。そもそもあなたは――」
やいのやいのと、いつもより食卓がうるさくなっているのって、元を
「早く治さないと、ろくに食事もできないわ」
『ルゥ……』
足元でただ1人。お行儀よくご飯を食べていたポトトだけは、騒がしい私たちを
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