○自分でも末期だと思うわ?

 私の手を引くコトさんは、ずんずんとステージ裏に設営された簡易幌小屋テントへと進んでいく。途中、すれ違うファンの人に愛嬌を振りまきながら歩くコトさん。だけど、ライブの時と違って、余裕みたいなものが感じられないように見える。


「あなた、本当にコトさん……よね?」

「うん? もちろん、コトだよぉ? 団扇うちわ持ってるくらいのファンなんでしょぉ? 握手会、嬉しいよねぇ」


 握手会。コトさんと握手をすると言うだけなら、こうして手を引かれている時点でもう、握手はしてしまっている。本物のファンの人からしたら垂涎すいぜんものなのかもしれないけれど、私は偽りのファン。可愛い女の子と手を握っても、特段、特別な感情は芽生えない。

 何よりコトさんはフォルテンシアの敵だ。敵に対して私が好意を持つことなんてありえない――。


「うん?」


 そのとき、ようやく違和感の正体に気が付いた。私は今、手を握っているコトさんに対して職業衝動が発生していない。いいえ、そもそも。近づけば必ず襲ってくる職業衝動があるおかげで、私が抹殺対象に背後を取られるなんてこと、普通はあり得ない。

 だけどさっき、コトさんは私の背後に立ってみせた。そして、こうして手が触れ合う距離まで近づいているにもかかわらず、職業衝動が襲ってこない。お役目が必要なくなったわけでは、ないでしょう。実際、さっきライブ中のコトさんを見たときは職業衝動が襲ってきた。でも今は襲ってきていない……。


 ――一体、どうなっているの?


 なんて考えていたら、もう幌小屋についてしまっていた。それと同時に、思い出したように私の中に強烈な職業衝動が発生する。


 ――コトを殺せ。殺せ、殺せ、殺せ……。


 脳内で響く、自分と、その他大勢の声。肺が潰されたようになって、呼吸することすらままならない。視界は赤く染まって、思考力もどんどんと奪われていく。


「どうして、今なの……?」

「あはっ! 息を荒くして、苦しそう……。そんなに興奮してくれるんだぁ? 嬉しいぃ!」


 勘違いしたコトさんが空いている手で小屋の入り口の布をめくる。


「ようこそぉ、アタシの握手会へ! さぁ、入って入ってぇ!」


 幌小屋の中には、屈強な男性2人を両側に侍らせて座る、コトさんが居た。


「……え?」


 私は思わず、自分の手を握るコトさんを見る。幻の類かと思ったけれど、そうじゃない。私の手を握るコトさんは、確かに実在している。つまり……。


「コトさんが、2人……?」


 その衝撃のおかげで、職業衝動がある程度の落ち着きを見せてくれる。強烈な感情のせいで衝動が引くこの感覚は、サクラさんを甚振いたぶったオオサカシュンに対した時以来だった。


「お疲れ様ぁ」


 そう甘ったるい声で言ったのは、幌小屋の椅子に座っていたコトさんの方だ。彼女のねぎらいの言葉は、私の手を引いていたコトさんに向けて放たれたものだった。しかし、ライブ中に見せていた人々を魅了する愛嬌たっぷりの瞳は、そこにはない。ただ、物を見るような、それこそホムンクルスとしての私だけを見ていたケーナさんと同じ。温度のない、無機質な目だった。

 その視線を受けて、一瞬、私の手を引いていたコトさんの手が強張る。


「……指示通り、連れて来ました」

「見れば分かるよぉ。じゃあ次の会場に行く準備、おねが~い」

「え、またここから移動する――きゅぅ」


 首元に強い衝撃を受けたかと思えば、私の意識がふっと遠のいていく。ぼんやりとした視界で、私の手を引いていた方のコトさんが、どこ悲しそうに、申し訳なさそうに私のことを見ているのが分かる。

 どうして彼女がそんな顔をするのか。職業衝動が遅れてやってきた理由はなぜなのか。そもそもどうしてコトさんが2人いるのか。さっきから何が何だか分からない。だけどこういう時って、自分の失態だけはやけにはっきりと分かるもので。


 ――しくじったわ、翡翠石に魔素を流し忘れ、た……。


 バックを忘れないことに必死になるあまり、最も大切なことを失念していたことに気が付く。だけど、もう遅い。地面に崩れ落ちた私はそのまま、意識を手放すことになった。




 次に私が目覚めたとき、そこは薄暗い小さな部屋だった。


「んゅ……? へくちっ」


 不意にやって来た肌寒さにくしゃみをすると、少しずつ目が覚めてくる。


「ここ、どこ……?」


 言いながら身を起そうとするけれど、出来ない。その理由は、手足につけられたかせと鎖だ。そう。私は薄暗い部屋に置かれた台の上で、大の字に拘束されていた。しかも困ったことに、素っ裸。空調が効いた室内は、何も着ていない私からすると少し肌寒さを感じる温度だった。

 白い魔石灯が照らす部屋の大きさは、宿の4人部屋くらいの大きさ。壁や天井は黒く塗られていて、なんとなく、ケーナさんの屋敷にあった地下の研究室を思い出す。だけど機材のようなものはどこにもなくて、小さな机と椅子、出入り口、そして私が寝かされている拘束台があるだけだった。


「握手会の会場、なわけないわよね……」


 誘拐されるのもこれで3度目。ある種の慣れのようなものがあるの、自分でも末期だと思うわ。だけど、焦燥感を募らせたり、混乱したりしないで済むのは良いこと……よね。


「誰かー! 誰かいないかしらー!」


 呼びかけてみるけれど、応答はない。一応、力ずくで鎖をほどけないか試してみるけれど、ダメね。私の腕が先に折れてしまうでしょう。〈瞬歩〉で抜け出せないか。試してみるけれど、かせと台が私に密着しているせいで、メイドさんの言う装備品と同じ扱いになっているのでしょう。服が一緒に移動するのと同様に、枷と台も一緒に移動してしまうことになると思う。

 何も聞こえず、誰も居ない部屋。……やることがない。そして最近気づいたこととして、私は何もしていない時間が苦手だ。

 手足を動かそうにも鎖のせいで動かせないし、仕方なく、私は唯一自由に動く頭で考え事をする。


「どれくらい眠っていたのか……は、分からないわね。カバンが無いからポトトに鎖を壊してもらうことも出来ないし……。そう言えばポトトは?」


 周囲を見回してみるけれど、首を動かして見える範囲にはカバンも無ければポトトも居ない。台の下に居るとしたらさっきの呼びかけで反応してくれるはずだし、ここには居ないのでしょう。


「通信のための翡翠石も取られてしまったみたいだし……。どうしようかしら」


 他に考えるべきことと言えば……。そうね、どうしてコトさんが2人居たのか、かしら。それこそが、職業衝動が遅れてやってきた理由につながるはず。やることもないし、たっぷり時間を使って考えた私が導き出した答えは、


「双子、とか」


 双子と言うものだ。思えば、毎日毎日、激しく歌って踊るライブを1人でこなすことなんて体力的にできないような気がする。それに、あの着替えの速さ。いくら何でも人の域を超えていたような……? いえ、もちろん玄人になら出来るのかもしれないけれど。


「でも、仮に、コトさんが2人居るのだとすれば、簡単にできるわよね?」


 あと、思い出すのは気を失う前のやり取り。恐らく、幌小屋で待っていた方のコトさんの方が立場は上だったように思う。双子だとするなら、恐らく姉ね。姉の方が偉い。姉は絶対。異論は認めないわ。


「でも待って、スカーレット。コトさんはスキルで見た目を変えている。なのに姉妹揃って同じ見た目をしているなんて、あり得ないわ」


 少なくとも、〈自己創作〉のスキルを持っていない方のコトさんは、生来の見た目を持っているはず。だけど実際は、2人とも完成された――作られた――見た目をしていた。


「さすがに全く同じ固有スキルを姉妹揃って持っているとは思えない……」


 仮に同じスキルを持っていたとしても、人を人と思わないような人格を2人ともが持っているとは思いたくない。という感情論は抜きにして、私の手を引いていたコトさんには職業衝動が無かった。ということは、少なくとも彼女――妹さん?――の方はフォルテンシアの敵ではない。


「となると、普通では考えられないこと……固有スキルが関わっていそうね。〈自己創作〉のスキルが、私が知っている効果以外の力を持つとか――」


 あれこれ考えていると、ようやくと言うべきかしら。


「残念~。どれも、不正解だよぉ」


 分厚い金属製の扉を開いて、男2人を連れたコトさんが姿を見せるのだった。

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