○身体で払ってみせましょう

「残念~。どれも、不正解だよぉ」


 そう言って分厚い金属の扉を開けて小部屋に入ってきたコトさん。彼女の両側には、体格のいい人間族の男性2人が控えていた。


「その口ぶり。やっぱりこの部屋を監視していたのね?」

正解せいかぁい! あなたの大きな独り言も、筒抜けだったわけぇ」


 耳障りな甘ったるい声と勝ち誇ったような顔で、監視していたのだと教えてくれたコトさん。最初に見かけたときは黒色。今日見たステージではピンク色に染められていた髪が、今は青色になっている。髪型もツーサイドアップでは無くて、自然に流していた。ついでに、服装もTシャツにスカートという、ラフな物に変わっていた。


「さっきの今で、髪を染めたのね?」

「ん~? 染めたのとはちょぉっと違うけど、そんな感じぃ。どぉ、似合うでしょ?」


 自分の髪を示しながら聞いてくるコトさん。今の私は彼女のファンを演じないといけないから「そうね」と適当に相槌を打っておいた。

 いま私の目の前にいる彼女が殺すべきコトさんなのか、それとも違う方のコトさんなのか。今の段階では分からない。職業衝動がありながら、自我を保っている。今の私はオオサカシュンを相手にしていた時と同じで極限の集中状態にあるみたいなのだけど、今は返ってそれがあだになってしまっていた。


「でもぉ、そっかぁ。てっきり手枷てかせくらい外せると思ったけどぉ、無理なんだぁ?」


 私を縛り付けているかせから繋がる鎖を指で弄びながら、コトさんは笑っている。


「……こんなことをして、何をするつもりなの?」


 キッと睨みつけた私の問いかけに、コトさんは自身の目的が観察であることを明かした。実際、彼女は私が寝ている台の周りをクルクル回りながら、全身をくまなく観察しているように見える。


「観察?」

「そう。あなたはぁ、本当に可愛いの! それこそぉ、超絶可愛いアタシでも嫉妬しちゃうくらいに。まさに、アタシの理想の1つが、あなた」

「私が、コトさんの、理想……?」

「そうだよぉ?」


 立ち止まったコトさんが、うっとりとした顔で私の顔を撫でる。


「この小さい顔も、鼻も、薄い唇も。幼さがあるのに気品のある顔立ちなんて、きっと男受け抜群」


 コトさんの手は続いて、私の身体へと進んでいく。


「この鎖骨も。肩幅も。腕と足の長さ、胴の長さだって、まさに黄金比。それにぃ……」


 言いながら各部位を撫でていたコトさんの柔らかな手が、私の胸を揉みしだく。


「このおっぱいだって、そう。丸みも、張りも、乳首の色も形も。全部、全部ぜぇんぶ、そそられるの」


 生理現象として立ち上がった私の胸の先っぽを、コトさんが指で弄ぶ。


「んっ……。ふぅ……っ」


 漏れそうになる甘い声を、必死でかみ殺す。


「感度も良くてぇ? お尻も、股も。穴と言う穴に至るまで、色も形もまさに完璧っ。本当に、男を喜ばせるために作られた、作り物みたぁい」


 胸をいじる手を止めたコトさんは、赤みがかった黒い瞳で私の目を覗き込んで来る。


「ねぇ、あなたは何者なの? どんなスキルを使えばぁ、そんなに可愛くなれるのかなぁ? 教えて欲しいなぁ?」


 人命をないがしろにしてまで、どこまでも可愛さだけを追求するコトさん。私の目を覗き込むその瞳には狂気がにじんでいて。私の目の前に居るこの生物が、人であって人でないことを知らしめてくる。それは私の心の奥底にある、人生で初めての本物の恐怖――ケーナさんの薄暗い研究室を想起させるには十分で。


「ひぅ……」


 情けなくなった自分ののどの音で、私は身体が小刻みに震えていることに気付いた。


 ――間違いない。この人が、私の殺すべきコトさんだ。


 そう、頭で分かっていても、恐怖がスキルの使用を阻害する。思えばあの一件以来、私は一層、1人で居ることを恐れるようになったように思う。一層、暗くて狭い場所が苦手になった。ほんの少しだけ、人と関わることも怖くなった。

 でも、メイドさんやポトト、サクラさんが居るから大丈夫だった。今ならリアさんだっている。コトさんを始末してこの場をどうにか脱することが出来れば、あの温かさを感じられる。頭では、分かっているのにっ。


 ――怖い、怖い、怖い、怖い……っ。


 恐怖に立ち向かうのでは無く、逃げることばかりを考えてしまう。そして、そんな風に私が怖がってばかりいるうちに。


「教えるつもりは、無いんだぁ? ま、良いんだけどぉ」

「ぁ……」


 コトさんが身を引いて、〈即死〉の効果範囲外へと行ってしまう。本当は殺し損ねたことを後悔するべきなのでしょう。でも今の私は、恐怖バケモノが遠のいたことに対する安堵感を抱いてしまっていた。


「なんでか、あなたはアタシの〈自己創作〉スキルを知ってるみたいだしぃ。お外に出られることは死ぬまでないんだけどぉ……。安心して?」


 台の上で震える私に、コトさんは笑う。自分のしていることを悪だと思っていない。犠牲を当然と考えるのではなく、そもそも犠牲だと考えていない。どこまでも純粋で、どこまでも邪悪な笑顔は、あの人ケーナさんとそっくりで。


「頭のてっぺんからつま先までぇ、アタシがあなたになってあげるぅ」


 目の前の生き物が何を言っているのか、私の脳が理解することを拒む。


「……まずは、その可愛いお顔から行こっかぁ。〈自己創作〉」


 言ったコトさんが、両側に居た男性に触れた瞬間だった。「「は?」」と、男性2人が声を上げたかと思えば、身体が風船のように膨らんでいく。そして真ん丸な肌色の球体が出来上がったと思えば、今度は次第に収縮して言って、コトさんの両手のひらの中に消えた。

 続いて、今度はコトさんの顔面が……なんて表現しようかしら。とりあえずぐちゃぐちゃになって、髪の毛も顔の凹凸おうとつもないつるんとした頭部になった。かと思えば、今度は、各種顔の構造が超速で出来上がっていく。ぎょろっとした目が出来て、小ぶりな鼻が現れて。一度大きく裂けて邪悪な笑顔を見せた口も、淡い色合いの薄い唇で囲まれた小さな口になる。

 まゆげやまつげが生えそろい、最後に長くてつややかな黒い髪が躍るように跳ねたかと思えば、ついに顔と呼ぶべきものが完成した。


「ふぅ……。でぇきたぁ♪」


 変化を終えて、そう言って笑った化け物コトさん。だけど、その顔はもう、さっきまで私が見ていたものではない。


「嘘、でしょう……?!」


 見間違うはずもない。私、スカーレットの顔が、その化け物の頭部に引っ付いていた。

 背格好はもとのコトさんのものだけど、顔だけは私。そんな、歪な生物の存在。そして、自分ではない自分がそこに居ると言う強烈な違和感と嫌悪感に、私は思わず嘔吐おうとしてしまう。仰向けのままだったから自分の吐しゃ物で溺れそうになって、顔を横に向けて必死に呼吸を確保した。


「けほっ、けほっ……おぇぇぇ……」

「次は体だよねぇ。慣れたって言ってもぉ、多分4人は必要かなぁ。でもぉ、そっかぁ! もうあの子、要らないんだぁ」


 私の顔のまま、コトさんの声で言って、その化け物はこの部屋から出て行こうとする。このままじゃ、また新たに4つの命が消えてしまう。どうにか引き止められないか。私は必死の思いで、声をかける。


「けほっ……。あ、あの子?」

「そうだよぉ。さっきまでアタシだった、あの子。観察するためにこれまでずっと置いてたけどぉ、もぉ要ぃらない! アタシの胸の材料になってもらおっ」


 この人が言っているのはきっと、もう1人のコトさんの方でしょう。事ここに至って、ようやく分かった。きっともう1人のコトさんも今の私と同じで、コトさんに模倣された側の人間なんだわ。つまり、彼女は単なる被害者なのでしょう。きっとその可愛らしい声と見た目が、コトさんに見初められてしまった。その結果、模倣され、飼い殺しにされているのだと思う。

 どうして、もう1人のコトさんがコトさんのあいどる活動に協力していたのかは分からない。だけど、このままじゃ間違いなく、文字通りコトさんの血肉になってしまう。


 ――私が恐怖に震えて、殺す機会を逃したから。


 あの時、どうにか恐怖を克服してコトさんを殺していれば、男の人2人が犠牲になることは無かったはず。つまり、彼らを殺したのは私でもあると言うこと。そして、また、私のせいで犠牲が増えようとしている。


 ――そんなの、絶対に許さない。


 この時私が感じていたのは、怒りだった。恐怖で動けず、結果的に犠牲を出してしまった本当にどうしようもない自分に対する、怒りだ。……いいえ、それは種火に過ぎない。自らを悪と思わず、人の命を物として扱う。その人の名前すら聞かないような人型の生物がフォルテンシアに居ると言うその事実こそが、恐怖で動かなかった私の手足を動かした。

 とはいえ、私の力では鎖を引き千切ることなんてできない。〈瞬歩〉で移動しても、意味がない。頼りにしていたポトトも、今どこに居るのか分からない。現状、私に出来ることはただ1つだけ。それは、この状況をどうにかできるかもしれない人……メイドさんを呼ぶと言う、なんとも情けない方法だ。

 通信用の翡翠石も無ければ、声も届かない。そんな絶望的な状況だけど、ただ1つだけ。私とメイドさんとの間には特別な通信手段がある。それは、いつだったか、フェイさんが迷子になったメイドさんを呼んだ方法と同じだ。


 ――自分の失敗は、自分の身体で払ってみせる。


 それが、せめてもの矜持きょうじと言うやつでしょう。


「私はここよ、メイドさん。……っ!!!」


 私は動くようになった右腕を全力で引っ張る。もちろん、鎖は引きちぎれなくて、枷が私の手首に深く食い込む。


「ふぅ、ふぅ……っ!」


 それでも引っ張ることやめず、むしろ、痛みを押してさらに力を加える。だけど、それでもまだ足りない。だったら、と、〈ステータス〉を使ってさらに力をこめる。悲鳴を上げる手首。反射として、私の目に涙がにじむ。脳が本能的に危機を察して、力を抜こうと必死になっている。でも私は止めない。


「お願い、早く……っ!」


 身をよじって、わずかに動く足で反動もつけて、ありったけの力を込めて手枷を去れた腕を引っ張った、その時。




 ゴキッ。




 待ちに待った音が響いて、強烈な痛みが私の手首を襲った。

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