○そんなつもりは無かったの……

 0番地中心部付近。乗合馬車に乗る私の目は、熱狂する男性たちを前に歌って踊る女の子にだけ向けられている。

 白とピンクが基調の服。黒くて長い髪の一部を頭の上部、やや後方寄りの側頭部で2つにまとめて両側に垂らしている。確か、ルゥちゃんさん達に髪をもてあそばれた時に聞いた髪型だと、ツーサイドアップ、だったかしら。身長は多分、サクラさんと同じ160㎝半ばくらい。目鼻立ちについては遠くて見えないけれど、


「みんなぁ~、アタシについて来てぇ~!」


 と、愛嬌たっぷりに手を振る彼女こそ、私の抹殺対象であるコトさんだと言うのは分かる。


 ――使命を果たさないと。殺さないと。殺せ、殺せ、殺せ……。


 じんわりと、かすかな割れ目から水が湧き出すように、職業衝動が私の中を満たしていく。ちょうど今、乗合馬車は信号で停止している。今なら飛び降りても大丈夫そう。


「フォルテンシアの敵を、殺さないと……っ」


 なけなしの理性で懐に入った運賃の300nを座席に置いて、馬車から飛び降りようとした私だったけれど。


「はい、ひぃちゃん。ストップ」


 そう言ったサクラさんが私の腕を力強く引いて、止めてきた。熱に浮かされたまま、私は使命を邪魔するサクラさんを睨みつける。


「邪魔をしないで、サクラさん。私は今すぐにでもあいつを――みゅっ?!」


 声を荒らげる私の両頬を、サクラさんが両手でパチッと包み込んだ。ジンジンとした痛みと、サクラさんの輪割らカナ手の感触が頬に伝わって来る。やがて、緋色に輝いているだろう私の目を真正面から茶色い瞳で覗き込むと、


「落ちついて、ひぃちゃん?」


 優しく、それでも絶対に譲らないと言う口調で、サクラさんは言った。


「そうは言うけれど、あいつはフォルテンシアの敵で――」

「それは分かった。だけど今行ったら、関係ない人がたくさん死んじゃうんでしょ? だからひぃちゃんは、メイドさんに1対1になれる状況作りをお願いしてる。違う?」

「そうよ。そうだけど、今私の前には殺すべき人が居るわ」

「そうだね。でも、ひぃちゃんが殺すべきじゃない人……フォルテンシアの敵じゃない人もたくさんいる。そうだよね?」

「それは、そうだけど、でも……」


 言い合っているうちに馬車は動き出して、少しずつコトさんから距離ができ始める。


 ――ああ、殺せなくなってしまう。


「お願い離して、サクラさん。どうしてもというなら、使命を邪魔するあなたも……」


 そこまで言ってしまってから、私の口はようやく止まった。


「わたしも、どうするの? 殺しちゃう?」

「あっ、えぇっと、それは、違うの……。今のは……違うのよ……」


 口ごもってしまった私の両頬から手を離して、大きくため息をついたサクラさん。衝動に任せて迂闊うかつなことを言ってしまった後悔と、抹殺対象から距離が出来たことで、私の中にあった職業衝動の熱が一気に引いていく。


 ――ど、どうしよう。サクラさんにひどいことを言ってしまったわ……。


 座席に腰を下ろした私が力なく俯いたことを確認したのでしょう。サクラさんが隣から私の頭を優しくなでてくれる。触れるだけで人を殺せる私に、ためらいなく触れてくれる。


「落ち着いた?」

「ご、ごめんなさい、サクラさん。私、ひどいことを言ってしまって、でも、本当にそんなつもりは無くて……」

「いいよ、いいよ。ひぃちゃんを止めるって、こういうことだと思うし」


 サクラさんが言ったのは、氷晶宮での初演説の後にした約束の話だ。あの時サクラさんは、死滅神としての私には協力できないと語った。部外者で居るからこそ、私が間違えそうになったら止めることが出来るのだと。


「ふふん。死ぬ気でひぃちゃんを止めるサクラさんに、感謝してよ~?」

「うぅ……。そうね、本当に、あなたには救われてばかりだわ」

「ちょ、言い返して?! じゃないとわたしが恩着せがましいヤツになっちゃう!」


 そう言ってくれるサクラさんは、いつも通りで。本当に、私の言葉を気にしていないのだと教えてくれる。


「改めて、思ってもいないことを言ってしまってごめんなさい。それから、私を止めてくれてありがとう、サクラさん。……大好き」

「……っ! 不意打ちはずるいよ、ひぃちゃん~」


 やがて、冒険者ギルド前で乗合馬車が停まる。他のお客さんの生温かい目に見守られながら馬車を下りると、そこはもう0番地の中心部だ。人通りも車通りも宿がある辺りとは段違いで、町も活気づいている。この辺りに来ると背の高い建物も当たり前になっていて、私たちの目の前にある冒険者ギルドも例に漏れない。

 木の骨組みとクリーム色の外壁で出来た建物は天井の高い3階建で、高さは軽く20mを越えていそう。入り口の扉も3.5mある長身族の人が余裕を持ってくぐることが出来るくらいには、大きなものだった。


「おしゃれな建物だね」

「そうね。こういう建物を味がある、と言うのだったかしら」


 屈強な人々が出入りするギルドの出入り口を、だけど、サクラさんは慣れた足取りでくぐる。そんな彼女に続いて私もギルドの中に入ると、外装とは一転。白くて所々に黒い斑点のある、光沢のある石材で造られた内装になっていた。白の魔石灯を美しく返す屋内は清潔感があって、気持ちの良い印象を受けるわね。


「外装は町の雰囲気に合わせて。だけど、中は頑丈さと燃えにくさを考えた造りになっているのね」

「こういうの、なんていうんだっけ。和洋わよう折衷せっちゅう?」


 古くから続く景観を守る保守的な面と、時代と技術の進歩に合わせて変わる内装。まさにナグウェの風土を表す、分かりやすい建物であるように思う。


「とりあえず、受付に行こっか。場所によっては暗黙のルールとかあって、それを知らないとトラブルになるってアイリスさんが教えてくれたし」

「え、ええ。そうね」


 言いながらずんずんと奥に進んでいくサクラさんの頼もしい背中に、私は必死で追いすがる。本当に、知らない間に大きな差がひらいてしまっていたみたいだった。

 たどり着いた受付に居たお兄さんに話を聞いて、依頼を受ける手順なんかを説明してもらう。また、依頼とは別件で、町の有名人――コトさんについての情報も聞いてみることにした。


リュート受付さん、コトさんってどこに住んでいるのか知らない?」


 1対1になることのできる分かりやすい場としては、コトさんの自宅が最適でしょう。有名人であれば、住居なんかも知られているんじゃないか。そう思ってリュートさんに聞いてみたのだけど、


「おや? スカーレットさんはコトちゃんのファンなのですか? でも、残念ながら僕は知らないですね」


 と、首を振って否定される。それに、もし知っていても、冒険者ギルドの受付をしている以上、誰かの居所を教えることは無いだろうと語った。


「……私が死滅神でも?」

「やはりそうでしたか。とはいえ、僕はコトちゃんについてはほとんど知りません。というより、彼女はプライベートがかなり謎なかたなので」

「ぷ、ぷらいべぇと?」

「私生活とか個人情報とかいう意味だよ、ひぃちゃん」


 なるほど。どうやらどこぞのメイドさんと同じで、コトさんも秘密主義者みたい。秘密は女性の武器です、なんて不敬な侍女は言っていたけれど、コトさんが人々を惹きつける要因もそこにあるのかも知れないわね。逆に言えば、そうして私生活を公にしなかったからこそ、彼女の悪行は誰にも露見することが無かった、と。

 リュートさんにお礼を言って、私とサクラさんは依頼書が張り出されている掲示板のもとへと向かう。


「ねぇ、ひぃちゃん。コトさんって何をしちゃったの?」


 何気ない風を装いながら、サクラさんが恐る恐る聞いて来る。そう言えば、まだ話していなかったわね。


「あまり気持ちのいい話じゃないけれど?」

「でも、個人的にフォルテンシアが何をどれだけした人を殺す基準にしてるのかは、知っておきたいかも」


 基準が変わった時、ひぃちゃんが気付けないかもしれないし。そう付け加えたサクラさん。どこまでも客観的に、死滅神である私に接しようとしてくれているのよね。きっと、私を守るために。


「……分かったわ。それじゃあ、話すわね。コトさんの悪行について」

「よしっ、ばっちこい!」


 手頃な依頼がないかを探しながら、私はコトさんがなぜ殺されなければらないのか、サクラさんに語り聞かせることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る