○“和”の香りと、血の匂い

 0番地の中心地。中央議会と呼ばれる巨大な瓦葺のお城まで乗合馬車で1時間くらいの場所に、私たちは宿を取った。1人1泊2,100n。朝夕のごはんを付けると、4,000n。1週間の滞在を確約することで、3,800nにまけてもらった。

 宿の名前は『オーミ屋』。元々は調味料を造るくらだったらしいわ。瓦葺かわらぶきおもむきある2階建ての建物。建材に使われているマツバの木の香りで気分が安らぐ、そんな素敵な宿だった。


 時刻は昼下がり。

 2階の一番手前。階段に近い位置にある部屋をあてがわれた私たち。マツバの木製の扉を開くと、4人で泊まるには十分な広さの客室が見えたのだけど……。


「あれ、ベッドはどこ?」


 そう。部屋にはぱっと見、大きな座卓と座椅子、クッション、味のある絵が飾られている変な空間があるだけで、ベッドが見当たらなかった。


 ――まさか宿に泊まってまで地べたで寝るの?


 そんな風に玄関先で困惑する私に対して、やはり興奮気味なのはサクラさんだ。


「わ、ザ・旅館って感じ! しかもたたみ! 懐かし~!」


 玄関先で靴を脱ぎ捨てて、我先にと客室に入って行く。そして、各種引き戸を開けて、物と設備の位置を順に見て回り始めるのだった。


「お嬢様。この宿ではこちらで履物を脱ぐようです。また、ポトトの鳥かごは客室内には持ち込めないとのことでした」

「え、ええ。どちらも玄関で、と言われたわね」


 土足厳禁。連れの動物が入って良いのも、板張りになっている玄関先だけだと受付で口酸っぱく言われた。動物の排泄物で、植物性を編んだような床……タタミ? を汚さないように、ということでしょう。


「前回ナグウェで止まった宿じゃそんなこと言われなかったのに、不思議ね」

「どうやら前にわたくしたちが泊まった部屋をヨウ室。今回使うこのような部屋をワ室と呼ぶそうですよ?」


 ヨウ室は『洋室』でしょうね。“洋”の字は「ニホン以外の」という意味を表す言葉だったかしら。対照的にワ室は『和室』。“和”が「ニホンの」を意味する言葉で、和食や和式と言った使われ方をしたはずだわ。

 前回、アケボノヒイロとリンの2人を殺した時に使った宿は洋式。つまり、チキュウにあるニホン以外の国の文化が反映された部屋に通されたみたい。


「じゃあ、フォルテンシアのあれこれはニホン人からすると洋風、洋式ということになるのね」


 玄関で蒸れ蒸れのブーツを脱いで、板張りの床に上がる。今は火の季節だ。ハリッサ大陸に居ると忘れそうになるけれど、外は猛暑という言葉がふさわしいほどに暑い。服や下着が張り付いて鬱陶うっとうしいし、靴下はもうぐしょぐしょだった。


「……メイドさん。気持ち悪いから、靴下も脱いじゃって良いかしら?」


 靴下に指をかけながら、メイドさんにお伺いを立てる。何も言わずに脱ぐと、はしたないって怒られてしまうもの。でもこうして一言聞いてみれば、


「はぁ……。ダメと言っても脱ぐのでしょう?」


 と、仕方ないと言いながら許してくれる。これがきっと、世にいう処世術ってやつでしょうね。

 湿り気を帯びた、というよりはもう汗に濡れたと言うべき靴下を脱ぐと、マツバの木でできているひんやりとした床が私の足を迎えてくれる。玄関先で腰を下ろして床の感触を味わっていると、同じく汗で服を透けさせたリアさんが私に手を伸ばしてきた。


「スカーレット様、脱ぎたての靴下をリアに下さい。あとでお洗濯します」

「うん? それくらい自分で――」

「リアが、お洗濯します。なので、その靴下を下さい」


 言いようのない圧を感じた私は、リアさんに靴下を渡す。リアさんの奉仕の精神に驚きを通り越して呆れる私の前で、嬉しそうに、リアさんは嬉しそうに私の靴下をポケットの中にしまい込んだ。まぁ、洗濯を任せるだけでリアさんが笑顔になってくれるのなら良しとしましょう。

 荷物の運び込みと、ポトトが入った鳥かごの固定なんかはメイドさん達に任せて……。


「……さて」


 私もサクラさんに続いて、客室に入る――。


「ひゃんっ?!」

「あはは、ひぃちゃん、変な声~」


 だ、だって仕方ないじゃない? のっぺりとした木の床から一転、タタミの、ところどころささくれ立った地面が歩くたびに私の足裏をくすぐって来るんだもの。歩くたびに、こう、身体の奥の方がきゅんとなる。

 でも、くすぐったさを堪えながら歩いて分かったこともある。


「タタミって、硬いのに柔らかいのね……」


 床としてしっかり体重を支えてくれているのだけど、歩くたびに程よく沈みこむような柔らかさがある。これなら、なるほど。布団を引いて眠っても、身体が居たくなるということは無さそう。むしろ、牧草のような心安らぐタタミ特有の香りがじかに感じられて、よく眠れそうだった。


たたみにお布団敷いて、川の字になって寝るのが、おじいちゃんおばあちゃんの恒例だったなぁ」


 つま先でタタミをトントンとしながら、懐かしむように言ったサクラさん。……やっぱり、サクラさんはチキュウに帰りたがっているのよね。


「ご、ごめんなさい。きっとあなたをチキュウに帰す方法、見つけるから」

「ん? あっ、そういう意味じゃないよ?! だからそんな顔しないで、ひぃちゃん! わたしの方こそごめんね~」


 謝りながらぎゅっと私を抱きしめるサクラさん。彼女の服からも、花のような香りに混じって、ほんのり汗と……。


「……? サクラさん」

「うん? どうしたの?」

「少しだけ。ほんの少しだけど、服から血の匂いがするわ」


 そんな私の言葉に、私を抱くサクラさんの腕が強張った気がした。だけど、それはほんの一瞬で。私からさっと身を離したサクラさんは、いつもの笑顔で言う。


「そりゃそうだよ。これ着て依頼とかこなしたこともあるだろうし、動物の解体だって自分でしてるもん。その時に血がついちゃったのかも」


 お気に入りの服なんだけどな~、と、サクラさんの気質を表したような白地に花の刺繍があしらわれた服を示して見せる。別段、血の跡がついているようには見えないから、洗濯をするメイドさんがきれいに血の跡を落としてくれたのでしょう。


「ふふ、そうね。それよりも、良かった。サクラさんもきちんと、汗の臭いがするのね」

「お~? そう言うのは言わないのが暗黙の了解なのに。そう言うひぃちゃんだって、頭、結構頑張って歩いたんだな~って臭いしたけどな~?」

「ついでに。お嬢様の靴からも努力の香りがいたします♪」

「メイドさん?! 私たちの会話、聞いてたの?!」


 どんな会話も噂話も聞き逃さない。『妖精耳』とはまさにメイドさんの耳のことを言いそうね。それと、メイドさんと言えば。彼女、私たちと同じデアの下を歩いてきたはずなのに、汗をかいていないのよね……。メイドさんが汗をかいている姿って、キリゲバとの戦い以外で見たことがない。「これは淑女しゅくじょではなくメイドのたしなみです♪」なんて言っていたけれど、一体、メイドさんの身体はどうなっているのかしら。


「って、そうじゃない! ひとまず汗を流しましょう! メイドさん、タオルと湯浴み着をお願いしても良い?」


 本当はもう少し和室の雰囲気とタタミの感触を楽しんで痛いけれど、今は滝のようにかいた汗を流す方が先決ね。特段臭いがきついと言われる脇や首元を嗅いでみるけれど、さっきの靴下ほど臭いは分からない。とは言え、メイドさんもサクラさんも濁してくれたけれど、恐らく今のわたしは臭うのでしょう。


「かしこまりました。……サクラ様の分も用意しますね?」

「お願いします! 温泉が無いのが残念だけど、湯浴み出来るだけでマシだもんね。……じゃあ行こっか、ひぃちゃん!」


 残っている入室準備チェックインは全部任せて、私とサクラさんとで先に湯浴み場に行くことにする。館内では、館内靴があるからもう一度蒸れたブーツを履くなんてことはしなくて良い。


「サクラさん、早く、早く!」

「サクラ様、気を付けてくださいね」

「あはは……。はい」


 部屋を出る時、急かす私を後目しりめに、メイドさんとサクラさんがそんな話をしている。


「一体何に気を付けるの?」

「ん~? 慌てたひぃちゃんが、お風呂場で足を滑らせないように、かな」


 ……本当かしら。さっきのメイドさんとサクラさんの真剣な表情からすれば、もう少し重たい話かと思ったのだけど。


「ほら、置いてっちゃうよ、ひぃちゃん!」

「あ、待って!」


 微かに血の匂いがする真っ白なサクラさんの服の背中が、いつの間にか遠ざかっていた。

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