○死の行き着く場所
「お嬢様?!」「ひぃちゃん?!」
強烈な熱が、私の身体と脳を侵す。呼吸は粗くなり、前後不覚になって倒れこむ私をメイドさん達が支えてくれた。2人が心配そうに何かを言っているけれど、残念ながら聞き取れない。脳を直接握り潰されているような痛みが、断続的に襲って来る。
それと同時に流れ込んでくるのは、誰かの無念の記憶。
『アズデリを殺せ』『クキを殺せ』『ケヘリデリを殺せ』『ダイリジリクを殺せ』『セインフィレアを殺せ』『ソゥトィネリアを殺せ』『アケボノヒイロを殺せ』『コトを殺せ』『ケィケィを殺せ』『ビッドアを殺せ』『ゲインを殺せ』『ゼェを殺せ』『ガーデホーを全て殺せ』『アートードを殺せ』『リーデックを殺せ』『フォーを殺せ』……。
もう、名前なんかは憶えていられない。ただ殺すべき相手の現在地と姿だけが、次々と脳裏に焼き付いていく。
職業衝動は、一定範囲内、あるいは一定時間内に行くことが出来る場所に居る相手にのみ発生する。ということは、私が今居る場所――イーラでこれだけ多くの抹殺対象が同時多発的に発生したのかと言うと、そうではないでしょう。だって、示された抹殺対象たちの現在地はフォルテンシア全土に及ぶのだから。
これまでは、私の移動できる距離などたかが知れていた。だから、職業衝動も1人か、多くても2人程度に収まっていた。だけど、ここが氷晶宮という名の大神殿で、私がここに来た意味を考えるのであれば、何が起きたのかなど容易に想像できる。
――転移陣の修復が、終わったのね……。
私の予想を裏付けるように、祭壇に登る階段の脇にあった扉の1つが
サクラさんに私を預けて、メイドさんがクゥゼさんと何かを話している。未だに頭痛と職業衝動に伴う声のせいで、何を話しているのかは分からない。
――だけど、どうでもいい。
だって、私がやるべきことはもう、分かっているんだもの。まさか、世界中にこんなにもフォルテンシアの敵が潜んでいただなんて。私がこれまで殺してきた人々なんて、本当に、ほんの一部だったんだわ。
その事実を理解すると同時に、少しずつ職業衝動の熱が引いていく。それでも心の奥底では、フォルテンシアに害をなす存在全てを駆逐しなければならないという使命感は強く残ってくれている。
――そう。私は、スカーレット。“死滅神”スカーレットよ。
私が自身の役割をきちんと思い出した時には、思考も、聴覚も。全てが鮮明になっていた。
「……ちゃん! ひぃちゃん、大丈夫?!」
すぐそばで、懸命に私に呼びかけるサクラさんの声が聞こえる。体にも力が入るようになったし、ひとまず私は自分の力で身を起こす。
「ええ、大丈夫。心配をかけてごめんなさい」
「え、あ、うん……。って言うかその目、お仕事モード……?」
想像以上にしっかりとした私の受け答えに驚いたのでしょう。固まってしまったサクラさんを置いて、私は1人立ちあがる。そして、そのまま、転移陣があると思われる部屋を目指して歩き出す。
「ちょ、ひぃちゃん?! どこ行くの?! 何があったのか分からないけど、まずはゆっくり休まないと!」
私の後を追うように立ち上がったサクラさんが駆ける靴音が聞こえたかと思えば、両手を広げて私の行く手を
「もう1回聞くね。どこ行くの、ひぃちゃん?」
さっきまで見せてくれていた笑顔から一転、私を睨むように見て来るサクラさん。
「どこに行く? ふふっ、サクラさんったら、おかしなことを聞くのね? 人をたくさん殺している私が行く場所を教えてくれたのは、あなたじゃない」
「ひぃちゃんが、行く場所を、わたしが……?」
ビュッフェの話を聞いた時だったかしら。サクラさんは、私のような人間が行く場所を教えてくれた。本当にどうしようもない、まさに外道だけが行くことのできる場所。そうでなくても、私が行く場所には“死”しかないんだもの。私が歩けば、生者の居ない、救いようのない場所が出来上がる。そんな場所の名前なんて、決まっている。
「『地獄』でしょう?」
私の答えに、サクラさんが虚を突かれたような顔をする。
「さぁ、この世の終わりのような場所、地獄へと行きましょうサクラさん。なんたってあなたは、私とずっと一緒に、居てくれるのでしょう?」
「そ、れは……」
そこで俯いて、言いよどんだサクラさん。……やっぱり、そうよね。あなたのような人は、来るべき場所じゃないんだわ。
「……行くわよ、メイドさん。まずは男性6人を薬漬けにしておもちゃにした後、全員を殺した女が居るタントヘ大陸へ――」
「レティ、少し、失礼します」
「――え? あっ……きゅう」
頭か、首か。その辺りに強い衝撃を受けたかと思えば、私の意識は一瞬にして落ちてしまうのだった。
「むにゃっ?!」
次に私が目を覚ましたのは、簡素な寝台の上だった。
「おはようございます、お嬢様。お加減はどうですか?」
私の起床に気付いたメイドさんが本を読む手を止めて、椅子から立ち上がる。私も身を起こしながら彼女の問いかけに答えるにした。
「寝違えたのかしら。少し首の後ろが痛いくらいよ」
言いながら見回すと、そこはほのかな魔石灯の明かりに照らされた小さな小部屋だった。寝台と、衣装棚と、引き出しの付いた小さな机。こうしてみると、安宿の一室と表現するのがピッタリかもしれないわ。机と
首裏をさすりながら言った私に、一瞬だけ、メイドさんは悲しそうな顔を見せた気がする。だけど、瞬きの間にいつもの優しい笑顔になっていた。
「……そうですか。早速で申し訳ないのですが、ヒールを履き次第、祭壇へと赴いて頂いても良いでしょうか?」
「祭壇? 祭壇……。って、ここはどこなの?」
私の問いに答えたメイドさんの話によると、ここは氷晶宮の祭壇の脇にあった扉の1つ、フェイさんが寝泊まりをしていた場所らしい。邸宅はあくまでも休日なんかに帰っていた場所で、普段はこの部屋で生活していたらしかった。ついでに断熱材が使われているのでしょう。氷晶宮の肌を指すような寒さはここには無くて、少し肌寒い程度で済んでいる。部屋には祭壇の横へと続く扉の他に、台所と食卓がある部屋へと続く扉が1つだけあった。
「えぇっと、確か、たくさん職業衝動の声が聞こえて、そうしたら今度はメイドさんの声が聞こえて……」
あれ。ひょっとして私、無理矢理気を失わされたんじゃ……? いいえ、まさかね。従者が主を気絶させるなんてこと、あるわけない。それに、少し眠っていたおかげかしら。職業衝動はあるけれど、すぐに何かをしなくてはという脅迫めいた感情は落ち着いている。今なら、どのように殺して回れば効率的なのか。優先順位なんかも考えられそう。
そうして考えを整理していると、自分が外向き用の真っ黒なドレスに着替えさせられていることに気付く。それに、さっきメイドさんは私にヒールを履くように言った。
「とりあえず、これから私は死滅神としてのお仕事をする、という認識で合っているかしら?」
「はい。祭壇の前で、信者の皆様がお待ちです」
「……そう。分かったわ」
私は“死滅神”だ。フォルテンシアの敵を殺すことは大切だけれど、私を
――陰で支えてくれている信者さん達も大切にすることも、死滅神の役割よね。
ようやく慣れたヒールにつま先を通して、メイドさんの手を借りながら立ち上がる。珍しいことに、メイドさんはメイド服の上からフードの付いた黒い外套を羽織っている。そのことを疑問に思っている私の横で、メイドさんは段取りの説明を始める。
「これからお嬢様には、各地から修復された転移陣を使って集まった信者の皆様に所信演説を行なってもらいます」
私の服と髪の乱れを軽く直してみせた彼女は、硬い表情のまま言葉を続ける。
「今回は氷晶宮での初めての挨拶ということで、シュクルカやカーファ様含む。各地から代表の方々もお見えになっています。集まった方々の数に可愛らしく驚かれぬよう、予め申し上げておきますね」
「分かったわ。どんなに人が居ても驚かないよう、気を引き締めておきましょう」
氷晶とは違って温かみのある木材で造られた木の床板をコツコツと鳴らしながら、寝室の扉の前に立つ。いつだって、神殿の大きさに関わらず所信の挨拶をするときは緊張した。しかも今回は、恐らく氷晶宮に収まる人の数……10,000を超える人が居ると思われる。
――でも、不思議と緊張はしないわね。
さっきから、心が
「行くわよ、私のメイドさん。あなたは私の後ろにつきなさい」
「……はい、死滅神様」
従者が私の命令通り背後に控えたことを確認して、控室兼寝室の扉を開く。同時に差し込んでくるのは、氷晶宮を満たす青白い光だ。美しくも冷たさを感じさせる光に少しだけ目を細めた後、私は寝室の床板から氷晶で造られた床へとヒールを履いた足を進める。
転ばないよう慎重に階段を踏みしめて登る傍ら、ちらりと横目に見た私の目線の先には、青白く輝いているはずの氷晶宮の地面を埋め尽くさんばかりの人が居る。種族も、性別も様々な彼らだけれど、皆一様に黒い外套のようなものを身にまとっていた。
フードを深くかぶって俯く信者さんたちの顔は、周囲よりも数段高い場所にある祭壇に居る私の位置からでは見えない。でも、彼ら彼女らが私の一挙手一投足に注目している事だけは分かった。
「死滅神様は、どうぞ机へ」
小声で呟いた後、フードを被ったメイドさんは机の背後――巨大な黒い鐘が飾ってある壁際に並ぶ4人の人々の列へと加わる。恐らく“死滅神の”と名のついた
メイドさんと別れた私は1人、ゆっくりとヒールを鳴らしながら祭壇にある執務机へと向かい、椅子の前に立つ。すると、
「「救いあれ」」
寸分の時差も無く唱和された言葉と共に、信者たち全員が膝をついて、私に
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