○私が、石ころ……?

 周囲よりも数段分高くなって言いる祭壇には同じく黒い絨毯が敷かれていて、大きな執務机だけがぽつんと置かれている。メイドさんが言うには、少なくともフェイさんはこの執務机を使って各種書類とにらめっこをして、イーラの町のまつりごとを取り仕切っていたらしい。

 同時に信者さんたちが来れば相談に乗ったり、談笑したり。職業衝動があれば転移陣を使って各地に赴き、使命を果たしていたらしい。


 ――そうした人との距離の近さがあだになって、フェイさんは殺されたのね。


 だけど私にはなんとなく、分かる。フェイさんはあえて隙を見せていたんだわ。死滅神を恨む人間に、いつ、どこで殺されても良いように。だって当然でしょう? 人々には“死滅神”を殺す権利があるんだもの。

 私には、堅牢な建物に引きこもって、安全な場所から使命を果たす道もあるのでしょう。だけど、自分は簡単に殺しに行けるのに相手は殺し来れないなんて、命に対して公正じゃない。


 ――たくさんの人を殺す以上、殺されることを恐れてはならない。


 無防備にぽつんと置かれた執務机からは、先代フェイさんのそんな教えが詰まっているような気がした。


「ねぇ、ひぃちゃん。なんでこのおっきい鐘、黒いの?」


 私が、その意味を考えながら執務机を撫でていると、サクラさんの声が聞こえた。年季の入った机から視線を切ってサクラさんの方を見てみれば、彼女は祭壇の背後にある壁のくぼみに吊り下げられた黒い鐘を見上げている。

 これは死滅神の象徴である黒い鐘ね。人が死ぬときに聞くとされる“終わりの鐘”をかたどったものだと、私はウルセウの神殿でメイドさんに教えてもらっていた。


「そう言えば、サクラさんと死滅神の神殿に来るのって初めてだったわね」

「うん。これまでは基本、ひぃちゃんとメイドさん、たまにポトトちゃんだけで挨拶回りしてたもんね」


 召喚者であるサクラさんには、なるべく“死滅神”としての私に近づかせたくない。そんなことにとらわれずに、明るく笑っていて欲しい。そんな思いで、これまでサクラさんに神殿に近づかせたことは無い。各地の信者さんたちへの挨拶も、私たちだけで行なってきた。

 だけど今日は、観光の流れでそのままサクラさんを連れて来てしまった。


「……ごめんなさい。無関係なあなたを連れて来てしまったわ」


 胸に手を当てて謝罪した私に、サクラさんは特段気にした様子もなく笑顔で首を振る。


「ううん、大丈夫。むしろ、ようやく巻き込んでくれたかって感じで、何か嬉しい!」


 少なくとも“死滅神”としての私に付き合っても何も面白いことなんて無いのに。むしろ一緒に居れば、人々の悪意や敵意を同じように向けられるのに。サクラさんは「一緒に居る」と言って、笑ってくれる。……あなたの笑顔に、私は何度助けられるのだろう。


「……ありがとう、サクラさん」

「もう、水臭いなぁ。ま、それってひぃちゃんの優しさでもあるんだけど」

「私は、優しくないわ。人を殺してばかりで――」

「もう~、またすぐそういう卑屈なこと言うな、この子は! ひぃちゃんが自分の価値を下げたら、ひぃちゃんの友達のわたしの価値も下がるってこと、分かってる?」


 分かっていない。そんな意味を込めて首を傾げると、


「だってそうでしょ? わたしが人を見る目無いってことになるじゃん。そこら辺の石ころみたいな人と一緒に居るんだって」

「い、石ころ? ……さ、さすがにそこまで自己評価を下げたつもりはないわ?」


 と、少しだけ抵抗しつつも、なるほど。私の価値は、私だけのものではないんだったわ。死滅神を信仰する人。あるいは死滅神の従者だったり、聖女だったり。私の価値が下がれば、私をあるじとする彼ら彼女らの世間的な価値も相対的に下がる、ということよね。


「つまり、これからは自己評価の言葉には気を付けないといけない。そう言いたいのね、サクラさ――」

「ち、が、う! ひぃちゃんは凄いんだよってこと! わたしはひぃちゃんを格好良いと思うし、尊敬してるし……。あ~、もうっ!」


 そこまで言って自分の髪をきゅっと握ったサクラさんは、


「とにかく、わたしが言いたいのは。その……あれだよ。……ひぃちゃんが好きだってこと」


 私が好きだと、言ってくれる。これまでも、幾度となく言ってくれたけれど、なぜかしら。頬を赤らめて、自分の髪で赤くなった顔を隠しながら言ったサクラさんの言葉が、やけに私の顔と胸を温める。


「まぁ、サクラ様ったら。抜け駆けはよくありませんね? お嬢様、わたくしも、あなたを敬愛していますよ?」

「メイドさんのそれはお世辞でしょう? でも、そうね。2人とも、ありがとう。……って、どうしてこんな話になったのだったかしら?」

「ふふ。お嬢様が自身を大切になさらないからでは?」

「……? 体調と身だしなみ、髪質にはこだわっているけれど……」

「え、待って、ひぃちゃん。未だに、たまにあのダッサイ服着てる人が身だしなみに気を遣ってるって言うのはちょっと」


 本当に、私たちの話はあっちこっちへ行ってしまう。だけど、彼女たちと言葉を交わす度に、こんな私でも大切にされているのだと否が応でも理解してしまう。きっと私が死ねば、メイドさんもサクラさんも悲しんでくれる。2人だけじゃない。多分、ポトトもリアさんも、アイリスさんだってそうだ。私のためにみんな、無茶をしてくれたんだもの。……ダメね。このままだと、傲慢ごうまんにも死にたくないなんて思ってしまいそうになるわ。


 ――“死滅神”である私がそんなこと思うなんて、許されていないのにね?


 まだまだ死滅神としての覚悟が甘い。己の使命を思い出せ。そう忠告してくるように、不意に。


『ペイルを殺せ』


 声が、聞こえた。しかも今回は、1度だけではない。


『アズデリを殺せ』『クキを殺せ』『ケヘリデリを殺せ』『ダイリジリクを殺せ』『セインフィレアを殺せ』『ソゥトィネリアを殺せ』『アケボノヒイロを殺せ』『コトを殺せ』『ケィケィを殺せ』『ビッドアを殺せ』『ゲインを殺せ』『ゼェを殺せ』『ガーデホーを全て殺せ』『アートードを殺せ』『リーデックを殺せ』『フォーを殺せ』……。


 頭の中で、何度も、何度も、何度も、何度も。まるで、私には平穏な日々など似合わない。そう言わんばかりの職業衝動が、私を襲った。

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