○空へ舞う

 リアさんが、浮遊島から飛び降りた。その事実を認識してすぐ、私の足は動き出していた。たどり着いた浮遊島の端――崖から見下ろす地上は遠く、見ているだけで内臓が引き絞られたような感覚になる。飛び降りるなんて簡単だと思っていたけど、改めて意識すると鼓動が高鳴ることが分かる。きっと、私1人だったら恐怖で足がすくんで、腰を抜かしていたかもしれない。


 ――だけど。


 地上に落ちて行く白く美しい影を見たときにはもう、私の身体も大空の中を落ち始めていた。

 最初に感じたのは、寒さだった。落下の速度に合わせて、冷たい風が私の髪と頬を打ちつける。目を開けているのもやっとで、風切り音以外の音は一切聴こえない。

 視線の先、目を閉じているリアさんは手足をばたつかせて、きりもみ状態で落下している。どうやら、気を失っているみたい。このままだと、リアさんが地面に叩きつけられてしまう。


「間に……合って!」


 身体を垂直にして、暴風吹き荒れる中リアさんに向けて手を伸ばす。少しずつ、少しずつ近づく距離がもどかしい。でも、焦らないで、私。どれくらいの高さから落ちたか正確には分からないけれど、まだ地上までの距離はある。落ち着いて、やるべきことを明確にするの。

 雪を被った山々のいただきと、私たちの距離がちょうど並んだ頃。ようやく〈瞬歩〉の範囲内にリアさんが入った。出現する目測を誤れば、カンセイが0になった私とリアさんの距離はまた離れてしまう。そうなったら、もう一度追いつくなんてできない。


「大丈夫、大丈夫……!」


 金属の蛇との戦い。浮遊島での狩りの日々。実戦の中で、私は〈瞬歩〉をしっかりと練習してきた。自分を信じて、あとは行動するだけ!


「〈瞬歩〉!」


 景色が一瞬にして変わる。目の前に……リアさんが居ない! じゃあ一体どこに?! 上下左右を見渡してみても、どこにもいない。眼下に広がる雪をかぶった森に目もくれず、私はリアさんの身体を探し続ける。私の〈瞬歩〉で移動できる距離は10m。リアさんが遠くに行ったとは考えられない。なのに視界に居ないということは。


「後ろね!」


 空中で身をひるがえすと、ちょうど背を向けたリアさんが落ちて来ていて、私の胸の中に納まった。


「あとは、着地……っ!」


 もう山の中腹の高さ辺りまで落ちてしまっている。残された時間は多くない。リアさんの身体を抱いたまま、上下を入れ替えて地上までの距離を確認する。

 そう。これまではリアさんだけを見ていれば良かった。なのに、リアさんを捕まえた安心感のもと、改めて近づいてくる地上を見たとき。私は、自分の中にある落下の感覚――内臓が浮き上がるような、引き絞られるような感覚を思い出してしまった。

まさに血の気が引くと言って良い感覚は、全身から力を奪って行って……。


「あ――」


 短い悲鳴のもと、私の意識は途絶えてしまった。




「――じゃ、無い!」




 【フュール・エステマ】の練習で、たくさん“落ちる感覚”は味わってきた。失敗して、地面に腰とお尻を打ちつけたことだって数えきれない。何度も何度も失敗したけれど、まさかその度に、少しずつ、この落ちる感覚に慣れていたなんて。

 消えそうになる意識を何度も繋ぎとめて、私はもう一度地面を見据える。当初の予定だと、私が〈瞬歩〉で移動して、リアさんを風の魔法で受け止める予定だった。だけど、今思えば、地面には沢山の木がある。たとえ私が地上に無事に着地できても、木が邪魔で落ちて来るリアさんの姿を捉えることが出来ないかもしれない。そうして一瞬でも手をこまねいてしまえば、リアさんは地面に叩きつけられてしまう。


 ――だったら、取れる作戦は1つしかない。


 ある程度の高さ――木の頭くらいの高さまで来たら、一か八か魔法を使う。私とメイドさんとでは文字通りレベルが違う。魔素との相性を示す『魔力』の値も比べ物にならないでしょうし、魔法で大切なこととしていつかメイドさんが語っていた「魔法が導く結果を想像する力」もまだまだ。私の魔法では2人分の身体を浮かせる魔法を起こせないかもしれない。だけど


「『出来ないかもしれない』は『やらない』理由になんて、ならない!」


 挑むことが生きることだと、私は迷宮で学んだ。何か行動を起こせば、どうしようもない未来だって変わるかもしれない。だって、スキルを使えば何でもできるフォルテンシアで唯一、時間だけは……過去と未来だけは誰も操作できないのだから。

 適切な時機を見計らって、見計らって。近づいてくる地面と木に恐怖する自分を、殺して。抱いているリアさんの肩越しに、地上を見つめて――。


「――今! 【フュール・エステマ】!」


 地面から私たちに向けて渦を巻く強烈な風を想像しながら、魔法を使う。すると、雪を含んだ真っ白な上昇気流が発生した。まさに、私の想像通り! あとは、強烈な風が私たちを包んで、落下の速度を相殺……してくれることは無い。確かに落下の速度は和らいだ。だけど、和らいだだけだ。


「嘘でしょ?!」


 私はとっさに空中でリアさんと自分の位置を入れ替える。私が下で、リアさんが上。地面に打ち付けられた時、私の身体を緩衝材にして、少しでもリアさんが生き残る可能性を高めないと。他に出来ることは……そうね。身体が固くなるわけじゃないけれど。


「〈ステータス〉!」


 身体機能だけは、上昇させておきましょう。やがて、私の背中に衝撃が走る。同時にバキバキと枝が折れる音がしたから、どうやら木の枝を突き破っているみたい。当然、私の『体力』が見る見る間に減っていく。

 何本か枝を折ったところで、太い枝が私の身体にぶち当たる。


「きゃっ、あぅっ、いたっ、くっ……」


 何度も何度も枝に打ち付けられては、身体が跳ねる。その度に『体力』は大きく減って、飛び降りてからも減っていたのでしょう。もう既に3桁を切って、2桁になっている。だけど、リアさんだけは絶対に離さない。たとえ私が死のうとも、リアさんを守るという約束だけは果たして見せる。


「ぐぅっ」


 最後にひときわ太い幹に当たって私の身体が跳ねたところで、ようやく雪を被った地面が見えた。この時にはもう『体力』は8。


「でも、耐えきったわ……」


 あとは、地面に落ちるだけ。この感じなら、ぺちゃんこになることは無いはず。でも、落下の速度は相殺できなかった。つまり、多少なりとも地面に叩きつけられるだろう私の『体力』は0になる――。


「……え」


 なんて思っていた私の身体を受け止めたのは、ふかふかの雪だった。そう言えば、魔法を使っていた時に雪が舞い上がっていた。恐らく昨日降った雪なのでしょう。おかげで着地の際に覚悟していた『体力』の減少が訪れることは無かった。


「はっ! リアさん! 大丈夫?!」


 すぐに身を起こした私は、リアさんの無事を確認する。と、安らかな寝息だけが聞こえてきた。軽い打ち身くらいはあるかもしれないけれど、差し当たって命に係わる怪我はしていない……と思う。


「まさに、奇跡ね……!」


 過程はあまりにも不格好だけれど五体満足で、しかも2人揃っての着地。まさに奇跡と呼ぶべきでしょうね。2人とも無事なことを確認した私の全身から、力が抜ける。雪の上で大の字になった私は、木々の合間から見える晴れ渡った空を見上げた。


「ふふ……。そうよね。今思えば、完全に身体を受け止める必要なんてなかったじゃない」


 落下の衝撃を和らげるだけで良かった。そんなことにも気づかなかったなんて、私はやっぱり冷静じゃなかったんだわ。遠く。青空に見える黒い点のように見える浮遊島を感慨深く見つめた後は、現実を見ないと。


 ……じきに私の『体力』は0になるのよね。


 雪のベッドに横たわりながら、私は考える。ここは、極寒の地だ。すぐにステータスには〈凍傷〉が付記されて『体力』が減り始めるでしょう。そうでなくても、枝に打ち付けられた時に、持ってきていたお弁当だが全てどこかに行ってしまった。食べる物がなくなった私はじきに休眠状態になる。そうなれば、待っているのは凍死か、食べられるか。ホムンクルスならではの死に方――身体機能を維持するための魔力が無くなって、身体が崩壊する未来だ。


「〈ステータス〉が無い、つまり魔力が無いリアさんの場合は……どうなるのかしら? 永遠の休眠状態、とか……?」


 まぁ、考えるのは後ね。今は上空から見えた最寄りも町を目指しましょう。雪の上で身を起こして、私はリアさんを背負う。


「リアさん、早く起きて……?」


 じゃないと、あなたも寒さで動けなくなってしまう。休眠状態になる前に、せめて1歩でも前へ。少しでも人里の近くへ。そうすれば、誰かが気づいてくれるかもしれない。たとえ見えた町が、ここから3日近くかかる場所にあったのだとしても。


「はぁ……はぁ……」


 必死で足を進める私だけれど。私たちを助けてくれた雪が、今度は行く手を阻む。1歩踏み出す度に深く沈みこむ地面がどんどんと体力を奪っていく。おかげで、歩みは遅々として進まない。そうこうしているうちに、案の定、寒さで私の『体力』が減り始めた。


「でも、まだよ、スカーレット……。あなたが、リアさんを守るのでしょう……?」


 でも、私のちっぽけな意気地なんて、フォルテンシアには関係なかった。

 リアさんを背負って5分ほど歩いたところで、ついに私の『体力』が0になる。同時に、まるでそうなることが決定づけられていたように、身体が全く動かなくなった。

 リアさんを背負った状態のまま、私はぱたりと前に倒れる。次第に意識も遠くなってきた。


 ――しまったわ。せめて、町がある方向をリアさんに教えておけば良かった……。


 最期の最期に後悔するなんて。中途半端な私らしいのかしら。だとしたら、やっぱり。そうほんのちょっとだけ悔しい。何一つ達成できない自分が情けない。……ああ、もう。こんなこと死滅神として思いたくは無かったのだけど。


 ――死にたく、ないなぁ……。


 涙を流すことしか出来ない私は、今度こそ、意識が途絶えてしまうのだった。






…………………………

※いつもご覧頂いて、ありがとうございます! 物語も一区切りということで、土曜日まで更新をお休みさせて頂きます。また土曜日から、スカーレット達の旅路を楽しんで頂ければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る