●イーラにて

○side:F イーラにて①

 リア……フリステリアが目覚めたときに感じたのは、冷たさでした。起き上がると、リアの背中に積もっていた雪がはらりと落ちます。曇り空からは雪が舞うように落ちて来ていて、時折吹く風でどこか遠くへ飛んで行ってしまいました。

 今、リアの目の前にあるのは、大好きなスカーレット様の背中と黒く長い髪です。横を向いた顔の、長いまつげに縁どられた瞳は閉じられています。どうやら積もった雪の上で、スカーレット様はうつぶせのまま眠っているみたいでした。


「スカーレット様。信じて、いました」


 うなじに顔をうずめて、匂いを堪能します。少し汗のにおいが混じった、ふわっと柔らかなスカーレット様の匂い。リアはこの匂いも大好きです。……良かったです。スカーレット様は、今もこうしてここに居ます。無茶をしたリアを守ってくれました。どうやって着地したのでしょうか……? スキルというものが関係しているのであれば、スキルはやっぱりすごいです。リアも〈ステータス〉と言えば、使えるようになるのでしょうか。


「……?」


 そこでリアは、気付きます。いつもなら「やめて」と怒ったように、でも、優しく言ってくれるスカーレット様。ですが今日は、いつまでも好きにさせてくれます。


「スカーレット様……?」


 心配になってスカーレット様を仰向けにしてみると、いつもは赤らんだお顔が見たこともないくらいに真っ青です。どうしたのかとスカーレット様の身体に触れてみれば、雪と変わらないくらいに顔も腕も身体も、冷たくなっていました。


「……お嬢様?」


 メイドさんをマネして話しかけてみますが、反応がありません。


「起きて~、ひぃちゃん~!」


 サクラ様のように頬を軽く叩いてみても、起きてくれません。


「おっはよ~!」


 ククル様のように言っても、やはり、朝焼けのような瞳でリアを見てくれることはありません。どうやら、ただ眠っているだけではないようでした。

 スカーレット様が動けない。そして、気を失っている。


 ――リアは、何をしてあげればよいのでしょうか……?


 これも、スカーレット様がいつもしてくる“自分で考える”問いかけなのでしょうか。だとするなら、リアが自分で考えて、頑張るしかありません。


「えっと、確かこういう時は……」


 スカーレット様が大きな独り言で言っていました。緊急事態では、落ち着いて優先順位を考える、と。最初にリアがするべきことは何でしょうか。思い出すべきは、浮遊島でのスカーレット様の行動……?

 まずは持ち物の確認です。リアが持っている物は「護身用として常に持っていて」とスカーレット様に渡されたきれいな赤色のナイフだけです。倒れているスカーレット様は……何も持っていません。


「食べ物も、飲み物も無い……」


 まずは食べ物を探すべきでしょうか? それとも、飲み物? ですがスカーレット様が浮遊島に着いて最初に行なったことは、家を探すことだったと思います。確かその理由は、寒さをしのぐためでした。では今、寒さをしのぐべきかというと。


 ――必要ない、です。


 寒いし、手足が冷たくて痛いですが、何も問題はありません。我慢できます。となると、食べ物を探すべきですね。でも、リアが辺りを見回してみても、雪を被ったたくさんの木と、どこまでも続く雪原だけしかありません。動物さんたちが居れば食べ物の場所も教えてもらえるのですが、近くには見当たりません。


 ――ひとまず行動しないと、ですよね。スカーレット様。


 ここ1か月、スカーレット様はたくさんのことをリアに教えてくれました。それこそ、いつ自分が居なくなっても良いように、と言っているようでもありました。

 そうして一生懸命、言葉で、行動で、想いで。色々なことを教えてくれたスカーレット様の教えには、行動することの大切さがあったように思います。きっと、少し前のリアなら、ただスカーレット様を起きるのを待っていたかもしれません。ですが、スカーレット様を好きなのだと気づいた今は。自分で考えて、大好きなスカーレット様の役に立ちたいと思っています。だから、


「考えた後は、行動あるのみよね!」


 スカーレット様の言動を真似て、リアも行動を始めることにします。どこに向かうのかと言えば……。

 リアが振り返ると、そこにはスカーレット様が残したらしい小さな足跡がいくつかあります。ほとんど雪で消えてしまっていますが、リアを背負って歩いたせいで深く沈みこんだのでしょうか。まるでこの先に何かがあると言うように、スカーレット様が教えてくれています。


『リア、良いですか? お嬢様はお喋りですが、肝心なことは言わないことが多いです。なので、しっかりと見ていてあげて下さい』


 裁縫をしながら、メイドさんが教えてくれました。だからスカーレット様がどこかに行こうとしていることに、気付けたのかもしれません。

 スカーレット様がどこに行こうとしていたのか。今もリアには分かりません。ですが足跡の先にスカーレット様が目指す場所があるというなら。


「リアが、ご奉仕してみせます」


 冷たくなったスカーレット様を背負って、リアは雪が積もった木々の間を歩き始めました。




 どれだけ歩いたでしょうか。最初になくなったのは、足の痛みでした。これで問題なく足を動かせるので嬉しいのですが、足の感覚がなくなってしまって少し歩きづらくなりました。

 次に、スカーレット様を支える腕の感覚がなくなりました。指先からゆっくりと、少しずつ。冷たさによる痛みがなくなっていきます。これで、いつかクシが私を使って行なった遊び……手に釘を打ちつける遊びにも耐えることが出来ます。より幅広く奉仕できるようになった反面、スカーレット様の柔らかな肌や髪の感触を感じられなくなるのは、とても残念です。

 次になくなったのは、震えでした。たくさん服を着て、たくさん歩いたからでしょうか。ついさっきまで感じていた寒さが無くなって、今はとても暑いです。今すぐにでも服を脱ぎたいですが、スカーレット様を冷たい雪の上に下ろすわけにはいきません。


「我慢、です……ふぅ……ふぅ」


 暑さのせいで、視界がぼやけてきました。ですがそれも、あまり問題はありません。まっすぐ、前に歩くことさえ出来れば、スカーレット様が求めていた場所があるはずです。

 リアの歩みが遅くなっていることが分かります。原因は、何も食べていないから。リアたちホムンクルスは食事をとらないと動けなくなってしまうそうです。このままでは、目指している“どこか”にたどり着くことが出来ません。


 ――何か、食べ物を探さないと……。


 そう思って辺りを見渡してみますが、景色はほとんど変わりません。雪と細くとがった葉を持つ木があるだけです。浮遊島にあったキノコも木の実も、どこにも見当たりません。

 そうしてリアが周囲を見ていると、木の陰に隠れていた1匹の大きな熊さんと目が合いました。良かったです。これで食べ物の場所を聞くことが出来ます。と、熊さんが勢いよくリアたちの所へ駆けてきました。


「こんにちは、熊さん。少し聞きたいことが――」

『グルゥァッ!』

「きゃっ」


 食べ物に心当たりがないか聞こうとしたリアに対して、熊さんが飛びかかってきました。驚いて尻餅をついたリアの頭上を、熊さんが通り過ぎて行きます。もし雪に沈んでいなければ、押し倒されていたかもしれません。ともかく、スカーレット様を離さなかったリアを、リアは褒めます。

 もう一度スカーレット様を背負い直して立ち上がると、両足で立ち上がる熊さんが目の前に居ました。大きさはリアの倍くらい……3mはありそうです。雪に紛れる白い毛並み。腕を大きく広げてリアたちを威嚇いかくしているので、大きな壁みたいでした。

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