○ともに、明日へ――
「待って、いました。スカーレット様」
やって来た私を、宝石よりも美しい紫色の瞳で真っすぐに見たリアさん。朝日を背にして白く美しい髪を揺らすその姿に、私は思わず見惚れてしまう。だけどすぐに気を取り直して。
「り、リアさん。おはよう。どうしてここに居るの?」
「スカーレット様を、待っていました」
「ええ、それはさっき聞いたけれど……」
このままでは、まずい。リアさんが見ている前で私が飛び降りると、彼女も後を追って来る可能性がある。そうでなくても、朝方は風がかなり強い。線の細いリアさんであれば、少しよろめいただけで崖の下に真っ逆さまだ。
「リアさん。とりあえず崖から離れましょう? そこに居ると危ないわ?」
「……?」
私の忠告に、リアさんは1つ首を傾げるだけだ。どうしてここに居るのか。さっきまで寝ていたのではないか。私を待っていたとはどういうことか。聞きたいことはたくさんあるけれど、まずは崖から離れてもらわないと。
「リアさん。朝食を作っておいたの。冷めてしまう前に、今から食べてきたらどうかしら?」
「では、スカーレット様と一緒に食べます」
「私はもう食べてしまったの。悪いけど、1人で食べてくれる?」
「はい。1人で食べます。スカーレット様はリアを見ていてください」
「そうね。ここから見ているわ」
「いいえ。温かい家の中で、リアのそばで、見ていてください」
頑として譲らない様子のリアさん。ひょっとしなくても、リアさんは何かしら私の決意に気付いている様子。飛び降りるとは思っていなくても、何かをすると感づいているみたいだった。こうなったなら、仕方ない。一度ここは引き返して、リアさんの隙を見てもう一度飛び降りに挑戦しましょう。
「はぁ……。分かった。分かったから、一度家に戻りましょう。だから、早くこっちに来て?」
崖に立って、暗い色の服の裾を揺らすリアさんに右手を差し出す。その時、ひときわ強い風が吹き荒れた。リアさんが大きくよろめいて2、3歩後ずさる。
「あっ――」
落ちる! そう思って〈瞬歩〉を使おうとしたのだけど。
「……っ」
リアさんは踏ん張って、ギリギリのところで耐えて見せた。……良かった。私がほっと息をついていると、リアさんがゆっくりと口を開いて、
「リアは、考えました」
一言だけ、言葉を紡いだ。
「考えた? 何を……ってそれより、まずは早くこっちに来て。お願いだから、困らせないで?」
今度こそ崖から離れるように
「リアは考えました。どうすれば、スカーレット様が遠くに行かないのか。リアとずっと一緒に居てくれるのか」
「ねぇ、リアさん。私の言うことを聞いて? お願いだから、こっちに来て」
私のお願いに、リアさんは首を振った。
「嫌です」
「どうして……? どうして今になって、そんなわがままを言うの?」
また少し、風が強く吹いた。でも、リアさんは上体を揺らしただけで、よろめくことは無い。風に揺れる白い髪を手で押さえて、もう一度無表情のまま私を見つめて来る。
リアさんに
「それで? どうしてリアさんは今になって我がままを言うの? これまで、私を困らせたことなんてなかったじゃない」
これは、リアさんが“自分”を持ち始めた
「……スカーレット様が、リアを我がままにしました」
「何よ。私のせいだって言うの?」
「はい。スカーレット様のせいです」
ここまでまっすぐに肯定されるとは思っていなくて、私は二の句を告げなくなってしまう。私がリアさんを我がままにした? どういうこと? 言葉にならない疑問に、リアさんが答えてくれる。
「心を、感情を捨てたいのに。スカーレット様は、そうさてくれませんでした。何度も『フリステリア』に呼びかけて、リア自身の心の所在を聞いてくるのです」
それは、そうでしょう。私はリアさんに幸せになって欲しい。そのために、まずは“自分”を持って欲しかった。だから私は意識して、リアさん自身の答えを聞いてきた。そうして生まれたリアさんの自我が、まさか私の作戦を
「リアは、ぽかぽかを知ってしまいました。好きを知ってしまいました。リアは、スカーレット様が大好きです」
「あ、ありがとう……?」
元から好きを行為としてまっすぐに示してきたリアさん。その真っすぐさが表れた言葉だと思う。
そっと視線を落として、見えない何かを握りしめるように。リアさんは胸元で手を握る。
「リアにぽかぽかをくれるスカーレット様。リアは……ワタシはスカーレット様を手放したくありません。守りたいです。ずっと、そばに居て欲しいです。ワタシの中にあるフォルテンシアの闇……“死滅神”そのものを明るく照らしてくれるあなたのそばに、ワタシは居たいです」
リアさんが初めて使う「ワタシ」という自分を示す言葉。そこには、誰かから借りた名前を使って演じる誰かでは無く、自分の意思が芽生えた証だ。リアさんにとっては大切な意味を持つ一人称を使いながら、リアさんは自分の願いを口にする。
「なので、ワタシは考えました。どうすれば、遠くに行こうとするスカーレット様と一緒に居られるのか」
そうして話は、最初に戻る。
「何を、するつもりなの、リアさん……?」
「今のワタシのままでは、スカーレット様が遠くに行く姿を見つめることしか出来ません。なので――」
そう言ってリアさんはもう一度、両手を大きく広げて見せる。朝焼けはいつしか朝日になっていて、世界を明るく照らし始めた。
「スカーレット様。どうかアナタと一緒に――」
白む世界を背景にしたリアさんは、それはもう、見惚れるくらいにきれいな顔で、笑って。誰も指示をしていない。私が知る限り、初めての満面の笑顔で。
「――ワタシを明日へ連れて行ってください」
言った後。ゆっくり、ゆっくり。後ろに倒れて行くリアさん。彼女の動きはいつものように滑らかで、私の意識の端を滑って行って。気付いた時にはもう、手遅れなくらいに彼女の身体は後ろに傾いていて――
「待って、ダメ、リアさ――」
「行って、きます」
さようなら、ではない。再会を願う言葉を口にしたリアさんは、そのまま。大空に身を躍らせた。
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