○さようなら、リアさん
浮遊島に来て、30回目の朝。6月11日。ついに、この日が来てしまった。ここまで地上に帰る有効な手段を見つけられなかった私は今日、浮遊島から飛び降りる作戦を決行する。上手く行けば〈瞬歩〉で地上に着地。のち、近くの村か町に行って保護してもらった後、今度はこの浮遊島に行き来する手段を探すことになるでしょう。逆に、失敗すれば私は地面に叩きつけられて即死。フォルテンシアのどこかに居る誰かに、“死滅神”の
――きっと、次の人は私よりも上手く“死滅神”をしてくれるでしょう。
結局、私がこの浮遊島で出来たことと言えば、度重なる練習で、ごくたまに【フュール・エステマ】が成功するようになったことくらい。結果を想像する力が足りないのか。それとも、単に『魔力』が低いからなのか。人1人を浮かせられる風が起きるのは、1日に1回程度だった。この成功率じゃあ、リアさんを安全に着地させることなんてできない。
結局、私は1人で飛び降りる道を選んだのだった。
「……はぁ」
早朝。何も成長できなかった無力感で眠気を振り払った私は、隣でリアさんが寝ていることを確認する。観察力が高いからか、察しが良いリアさん。もし私が飛び降りようとしているところを見れば、一緒に飛び降りると言いかねない。だから、気づかれないように行動するのは一苦労だった。
――置手紙は、昨日のうちに準備したから……。
あとは服と、町に向かうための食料を数日分持つだけね。一応、上手く行く可能性だってあるもの。地上に下りられた後のことも、考えておかないとね。
まずはリアさんが作ってくれた一回り大きい服を3つ重ねて着ることで、寒さ対策にする。ズボンの作り方は聞いていなかったらしくて、試行錯誤しながら作った服は着心地が悪い。ベルトもどきが無ければずり落ちてしまうほどだけれど、それでもないよりはマシでしょう。
「ズボンも、2枚重ねてはいて。あとは、靴ね」
私もリアさんも、ここ1か月はフィンデリィで使っていた館内靴のままだった。しかも、長期間使うことなんて想定されていないから、もうボロボロだ。地上に下りられた場合、待っているのは一面の銀世界。雪の上を歩くことになる。
「一応、ソラウサギの毛皮を使った靴もどきは作ったけれど……」
正確には、館内靴を覆うだけのものだ。そうね、『靴包み』とでも名付けましょうか。毛皮の処理方法なんて知らないから、解体して
「よしっ! これで服装は大丈夫。最後は食料ね」
結果の可否に関わらず、リアさんとはしばらく会えなくなる。置いていくことになるんだし、せめて美味しいものを作り置きしておいてあげたい。私は冷蔵庫から兎肉を取り出して
続いて取り出すのは、山菜採りをしていた私を襲ってきた鳥肉ね。羽を広げて3mはある巨鳥だったけれど、私にとってみれば新しい食材でしかない。空飛ぶ生物と〈瞬歩〉を使って渡り合う方法は、キリゲバとの戦闘でメイドさんが見せてくれていた。おかげで、特に私が怪我をすることも無く。巨鳥は肉と羽毛になった。
「羽毛は、リアさんのために置いておきましょう。きっと良い感じの布団になるでしょうね」
どうしても多くなってしまう独り言を言いながら、鳥肉を調理していく。昨日食べた感じだと少し臭みがあったから、香草と一緒に煮込みましょう。同じ鍋で、あく抜きしたガラ芋も茹でてしまいましょうか。
タレには木の実と塩を煮詰めた甘じょっぱい物を。そうしているうちに焼き上がった兎肉はそばで粗熱を取る。
「初めて料理が出来るようになった時は、嬉しかったわね」
こう思うと、私たちの旅の中には沢山の“食”があったように思う。
初めて料理に挑戦した、ウルセウ。最初は失敗続きだったけど、一番簡単な料理――サンドイッチを作った私にメイドさんが初めて「美味しいですよ、お嬢様♪」と言ってくれたこと、今でも忘れない。初見でもこうしてそれなりの物が作れるようになったのは、間違いなくメイドさんのおかげだ。
「このガラ芋。少し硬めだから、ポトトは好きそうね。味もそうだけど、あの子は食感を結構重視するから」
いつもボウル一杯の野菜と木のみをつついているポトトが嬉しそうに、美味しそうに羽を広げる姿。今でも思い出せるわ。ポトトの歌が、仕草が。その存在全てが、旅に安らぎと出会いをもたらしてくれた。
「アイリスさん。この料理も美味しいとは言ってくれるでしょうけれど、やっぱり物足りないのかしら?」
何かと味付けを大胆にしがちなアイリスさん。ギルド職員の時も、王女の時も繊細な気遣いが出来るのに、料理だけは……そうね。正直に言うと、下手だったわ。手際では無く、主に味付けがね。裏があるメイドさんとは違って心から信頼できるお姉さんの、ちょっと意外な弱点には思わず笑ってしまった。
「最後に、サクラさん……」
素材の味を生かす優しい味付け。ミソを使ったワショク。どれもサクラさんにしか作れなくて、彼女が食事当番の日はとても楽しみだったわ。私の知らない味、知らない調理法で、私たちに合わせた料理を作ってくれる。将来、きっと良い奥さんになるでしょう。いつでも私を抱きしめてくれて、励ましてくれる大切で、大好きなひと。
「フィッカスに行く前にした『ずっと一緒に居る』って約束。果たせなくて、ごめんなさい……。チキュウに帰してあげられなくて、本当に、ごめん、なさい……っ」
沸騰する鍋を見つめている私の視界が、涙でぼやける。本当に、悔しいし、情けない。友達との約束1つ守れない私が、リアさんを守れるはずも無かったわね。簡単に罠にはまって〈転移〉させられて、頑張るなんて息巻いたわりには何の成果も得られなかった。……いいえ。この1か月で少しだけ。ほんの少しだけ、私たちの妹であるリアさんのことを知れたように思う。なんと言っても2人きりだもの。話をする回数も、触れあう回数も、以前とは比べ物にならない。
「手先は器用なのに口下手で、だけどやっぱり色々考えてくれていて。動物に……命に愛されていて。一生懸命、わたしなんかのために役に立とうとしてくれた」
そんな、私の可愛い姉妹のための料理が、出来上がった。1つは『潰したガラ芋に塩漬け兎肉を混ぜて』。全ての食材の味を受け止めるガラ芋(の仲間)の良さを生かして、味付けの濃い塩漬け肉を小さく刻んだだけのものを入れる。食感と塩気が溜まらない1品だ。
もう1つは『
「これなら、リアさんにも満足してもらえるはず」
これで、もう、大丈夫。やり残したことは数えきれないけれど、心残りは、無い。……無い、はずよ。作った料理の横に昨日書いておいたリアさんへの手紙を置く。内容は島の生態について書かれた研究資料の話と、「ちょっと待っていてね」くらいの軽いものにしておいた。たとえ私が死んでも、メイドさんとサクラさんなら必ずこの浮遊島のことを調べて、リアさんを迎えに来てくれるもの。
「さぁ、行きましょう、
せめて別れの挨拶を。そう思って「行ってきます」と言いそうになって、首を振る。きっと、今使うべき言葉はそれじゃない。
「さようなら、リアさん。あなたのこと、大好きだったわ。これからもリアさんらしく、自由に生きてね」
ステータスのない……魔素の影響を受けないリアさんは、きっとフォルテンシアに生きる誰よりも自由なのだから。
――だから、メイドさんたちが迎えに来るまで、あなたは、生きて。
その我がままだけは、口にせずに。私は玄関の扉を開ける。待っているのはむき出しの頬を差す冷たい外気と、朝焼けに満ちた世界だ。
澄み切った空気を肺一杯に吸い込んで、吐き出して。私はログハウスの裏手に回る。そこにはログハウスの居間から見えていた浮遊島の東の端にある崖と。
朝日を背にして長い髪を揺らす人影が1つある。
「まさか……。いいえ、そんなはずは!」
そんなはずない。いくら
あり得ないと言いつつも、だけど、この浮遊島には彼女以外に人は居ない。やけに早い鼓動の音を聞きながら、駆け寄った私に対して。
「待って、いました。スカーレット様」
リアさんは打ちつける激しい風に白い髪を揺らしながら、両手を広げて見せた。
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