○あなたは、あなたのままで
髪を撫でる優しい指使いに、私は目を覚ます。
「んゅ? んん……。メイドさん?」
「いいえ。リアです。お望みであれば――
メイドさんそっくりの呼吸、言葉遣い、優しい瞳で私を見つめるリアさん。きっとこれまでも、リアさんではない誰かとして。心も、体も、その全てを求められてきただろう彼女は、人をよく観察している。そして、求められればその人を演じる。リアさんの器用さの根底にあるのは、最も愛されるための誰かを演じようとする、その演技力のたまものなんじゃないかしら。
――ほんと、尽くしたいと願う奉仕の精神が強い子なんだから。
「……ふふ。大丈夫。リアさんは、リアさんのままで良いわ」
私に膝枕をしていたらしいリアさんに言って、私はソファの上で身を起こす。と、私の薄い胸の上からこぼれ落ちたのは数枚の資料だ。手に取ってみて見れば、この島についての研究成果が書かれている。
「まったく、お嬢様は。リアを放って暢気にお昼寝ですか? だらしのない」
必要が無いと言ったのに、リアさんはメイドさんを真似て呆れて見せる。その一挙手一投足は、あの小憎らしくて、小言が多くて、だけど可愛いくて頼りになるメイドさんそのものだ。
「そう、ね。この資料を読んでいたら、うたた寝をしてしまったんだったわ」
「部屋もこんなに散らかして……。きちんとご自分で掃除をしてくださいね?」
メイドさん……じゃない。リアさんが視線で示した私のソファの周囲には、見るも無残に破り捨てられた紙片が散らばっている。
「これ……私がやったの、
「……はい。リアが裁縫を終わらせてこっちに来た時には、この有様でした」
部屋を掃除しようか迷ったらしいけれど、私の安眠を優先してくれたみたいだった。
私、馬鹿ね。恐らく寝ぼけていたのでしょうけれど、大切な手がかりを粉微塵にしてしまうなんて。しかもかなりの量になる。一体何が書かれていたのか、少しでも分からないかと紙片に目を凝らしてみるけれど……。
「さすがに、分からないわよね」
「リアが掃除しますか?」
「いいえ。私が散らかしたんだもの。私がするわ」
ソファの背後にある大窓の外はもう夕日の色に染まっていて、かなり長い時間眠ってしまっていたのだと分かる。ただでさえ残された時間が少なくなってきているのに、お昼寝なんて。
「夕食にしましょうか。私がここを片付けるから、リアさんは料理の方をお願いできる?」
「はい。任せて下さい」
無表情の中にやる気をみなぎらせて立ち上がったリアさんは、足取り軽く台所へと駆けて行く。私もさっさと散らかした紙を片付けましょう。そう思って立ちあがった時、
「痛っ……」
頭の奥に響くような鈍い痛みが襲ってきた。寝過ぎたかしら? それとも、しばらくソファで変な姿勢で眠っていたから? というより、そもそもの話。私は本当に、うたた寝をしてしまったんだっけ?
「何か……。そう、何か大切な疑問を持った気がするのだけど……」
その疑問が分からなくて、むしゃくしゃして紙を破り捨てたのだとしたら、私はとんでもない阿呆ということになる。相変わらず短絡的な自分に
狩って、採って、調べて、時々魔法とスキルの練習をして、眠る。そんな代わり映えのしない日々。
季節は6月の3日目のこと。そろそろ飛び降り作戦が現実味を帯びてきた、そんな時期。あいにくの嵐ということで、今日も私は暖炉の前のソファに座って、帰還の方法を模索していた。リアさんは、私が座る2人がけのソファの横にある、1人用のソファで暖を取るための服を今日も作ってくれていた。
「気持ち、気温が高い日が多い。ということは間違いなく火の季節だから……、この浮遊島があるのは北。そして、足元にあるのはハリッサ大陸ね」
さすがに1か月近く経てば、ある程度気温の移り変わりが分かって来る。確かにこの浮遊島は半袖でうろうろするにはあまりに気温が低いけれど、それでも、〈凍傷〉による『体力』の減りがほんの少しだけマシになったということは、気温が上がっているということ。
土、火、風、水の順番で季節が移ろうのは、フォルテンシアの北半分。南半分だと季節は逆にめぐる。気温の上がり方から考えて、私たちは北の大地の上に居るということが分かった。
「とすると、下の大地のどこかに死滅神の総本山がある、ということね」
幸い、もともと私たちはハリッサ大陸にある死滅神の大神殿を目標にして行動していた。その大神殿にある転移陣を修復する過程で、私とリアさんはこうして浮遊島に飛ばされてしまったわけだけれど……。
「もしかしたら、メイドさん達が技師さんを見つけて、大神殿に向かっているかもしれない」
そうだとすると、合流の目も出てくる。問題は、メイドさん達がカルドス大陸を出られたのか分からないことね。だって、狂人病が流行っているから。感染経路が分かったという話は長身族の男性・サハブさんから聞いたけれど、治療の目処が立ったという話はまだ聞いていない。
とまぁ、こんなことを考えるのは、地上に帰る手段を見つけてからよね。結局、今の今まで確実な方法というのは見つかっていない。
「最近、ようやく【フュール・エステマ】がマシになってきたけれど」
浮遊島に来てから、時間があれば魔法の練習をしていた。そのおかげか、最近は1日に1回程度であれば、自分の身体をどうにか浮かせられる風を起こすことが出来るようになった。だけど、そんな確度の低い状態でリアさんと一緒に飛び降りるわけにはいかない。
――あと5日で、確実に魔法が上手く行くところまで持ってけるとは思えないし……。
このままいけば、私が地上へ行って近くの村か町へ。浮遊島への渡航手段を手にするまでの間、リアさんには研究資料なんかを使ってどうにか生き残ってもらう。肝心の渡航手段は、やっぱり、アイリスさんを頼るべきかしら。この家もあるし、リアさんには動物たちという心強い味方もいる。ある程度の時間なら、浮遊島で生活もできるでしょう。
「……そうね。これが比較的現実的な手段、かしら」
地上に下りてからの服は、ありあわせの布を使ってリアさんに作ってもらった。なんと言ってもメイドさんから直接手ほどきを受けているリアさんだ。元々の器用さもあって、私以上に裁縫は上手だ。飾り気がなくて採寸が少し甘いけれど、暖を取るだけなら申し分ない。
そう。あとは、私が空中で気を失わないことを祈るだけ。
――もし、空中で気を失っても、私がぺちゃんこになって死んでしまうだけだから、問題はない。
だってそうでしょう? 私は死滅神。元より殺されるべくして……死ぬべくして生まれたんだもの。
「よし、これで完璧――」
「スカーレット様」
「わぁっ?! り、リアさん?! どうしたの?」
急に声をかけられて、私はいつの間にか下を向いていた顔を跳ね上げる。すると、すぐ目の前にリアさんが居た。彼女は立ったまま、私をジィッと見下ろしている。その顔は、そう。この家に来る途中、あの日の森で見せた怒りの顔に似ていた。
「えっと。リアさん、また私、何か怒らせてしまった? もしかして、裁縫に行き詰まったとか」
一度、自分の気持ちを確かめるように考え込む仕草を見せたリアさん。やがて、私の言葉にゆっくりと首を振ってみせて、
「いいえ。スカーレット様が、リアを置いていくような気がしました」
そんなことを言ってきたのだった。
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