○生活の決まりが必要ね

 食べてすぐに読書をすると眠くなることを、私は経験からよく知っている。だから食後1時間は鍛錬を含め、体を動かすことにしていた。

 〈凍傷〉による体力の減少だけでなく、“死滅神”でもある私に許されている時間は多くない。地上への帰還に向けて、色々と準備を進めなければならない。というわけで、私は早速、魔法の練習をすることにする。なぜなら今、私が考えている脱出方法は、単純に浮遊島から飛び降りると言うものだった。


「思い出すのよ、スカーレット! 飛空艇ミュゼアから飛び降りたあの日のことを!」


 木のうろの縁に立って、3mほど下にある芝生を見つめる。たかが3m、されど3m。落ち方が悪ければ、足の骨が折れたりもするでしょう。そうならないように、落下の衝撃を風の魔法【フュール・エステマ】で緩和する……予定よ。


「スカーレット様?」

「大丈夫よ、リアさん。あなたはとりあえず、暖炉の世話をしていてね」


 うろの中、少しだけ眉根を寄せて不安そうに私を見上げるリアさんの姿がある。この実験には、彼女を無事に地上に送り届けられるかどうかという命運がかかっていた。

 小さく浅い呼吸を繰り返して……いざ! 私は洞の入り口を思いっきり蹴って、空中に身を躍らせる。ホムンクルスが空を飛べるはずもない。私の身体はすぐに地面に引っ張られる。

 想像するのは、飛空艇ミュゼアから飛び降りたあの日、地面に落ちようとする私たちを受け止めてくれたメイドさんの魔法だ。森の木々を吹き飛ばすほどの暴風も、使い方によっては落下の衝撃を和らげる手段に変わる。


 ――鳥の巣みたいに風を集める感じで……。


「今っ! 【フュール・エステマ】!」


 足元の地面に向けて、風を起こす魔法を使う。すぐに私の言葉に呼応するように暴風が吹き荒れて、私の身体を包む。確かに、少しだけ。そう、ほんの少しだけ落下の勢いはマシになった。だけど全然、落下の勢いが無くならない。たった3mの落下だ。気づいた時には、私は芝生の柔らかな地面にお尻から着地することになった。


「~~~~~~っ!」


 小屋に続いて2回目。声にならない悲鳴を上げながら、地面でもんどりを打って転がる。……私、馬鹿なの?! まずは地面に立って、私が使う【フュール・エステマ】がどれくらいの風量なのかを確認すれば良かったじゃない!

 じんじんと痛むお尻の熱で逆に冷静になった私は、少し前の自分をののしる。食事後の高揚感と「やってやる」と言う意気込みが裏目に出てしまったわ……。


「減ったスキルポイントは10。現在値が34。食事次第だけど、1日で大体半分くらい回復するから……」


 狩りのことも考えると、日に練習できる回数は10回前後かしら。1か月続けるとして、300回。


「他に飛び降りる手段としては〈瞬歩〉もありね」


 〈瞬歩〉を使うと、特定の場所に出現することが出来る。この時あらゆる勢い……進む力……えっと、カンセイ? が無くなるから、実は私1人だけなら結構楽に地上に帰ることが出来ると思っている。でもそうすると、この浮遊島にリアさんだけを取り残すことになる。


「後から飛空艇なんかで迎えに来る? ……でも飛空艇が手配できるとも限らないし、いつまたここに戻って来られるかも分からない」


 でも、待って。私の数少ない持ち物の中には、〈転移〉の魔石がある。これを使えば恐らく、あの小屋の場所に行くことが出来る。


「だったらまずは私が地上に下りて、メイドさんたちと合流。〈転移〉でリアさんを迎えに行って……ダメね。いつメイドさんたちと合流できるかも分からない」


 それに今思えば、そもそも〈瞬歩〉が上手くいく保証なんてどこにもない。落ちている時、一瞬、気を失いそうになる時がある。この浮遊島の高さだ。落下する時間だって長いはず。もし落下中に気を失うようなことがあれば……。


「【フュール・エステマ】も〈瞬歩〉も、最後の手段ね」


 まずは地道に島の探索を進めながら、小屋の持ち主がどうやって地上に行ったのかを考えるべきでしょう。お尻を痛めたおかげで良い感じに目が覚めた。これなら、日記を読んでも眠くならないと思う。


「ゆっくり丁寧に、急ぐ」


 器用だけど不器用だとサクラさんに言われている私にどこまで出来るか分からないけれど、とりあえず頑張ってみましょう。




「ふぅ……」


 厚さ3㎝くらいの日記を読み終える頃には、少しずつ空が夜に向けた準備を始めていた。ということは4時間近く読書にふけっていたことになる。時間が過ぎるのって本当にあっという間ね。


「あれ? リアさん?」


 ふと。暖炉の明かりに照らされる洞の中にリアさんの姿が無いことに気が付いた。読書に夢中になるあまり、リアさんから意識を逸らしてしまっていたみたい。


「リアさん? リアさん?!」


 急いで洞から顔を出して目の前に広がる森を見てみるけれど、どこにもその姿はない。髪も服装も真っ白なリアさんだ。森の中に居れば目立つから、見逃すようなことは無いはず。……どうしよう?! 自分から何か行動を起こす人じゃないから大丈夫だと思っていたけれど、最近は、少しずつ自主性が出て来ていた。

 きっと私が目を離した隙に何らかの理由で洞を出た。そして……。


「迷子になったんだわ!」


 もしそうなら、急いで探してあげないと。じきに日が暮れる。気温はぐっと下がって、暖炉なしではすぐに凍え死んでしまうでしょう。そうでなくても、まだ見かけていないだけで森には肉食動物だっているかもしれない。ステータスが無いリアさんなんて、簡単に食べられてしまう。

 私は日記を洞の中に放り投げて外に出る。


「お、落ち着いて、私! 焦らず急ぐ、そうでしょう?!」


 何をするべきか、どこから探すべきか。急いで考えて、だけど何も思い浮かばない自分自身に焦りがつのっていく。


「リアさーん! リアさーんっ!」


 結局、私は大声で呼びかけることしか出来ない。こんなの、無駄な行為だ。むしろ、肉食動物たちに私たちの所在を知らせる危険な行為。分かっている。分かっているのに、どうしてだかリアさんを探す声を止めることが出来ない。


「リアさん! リア、さん……」


 どれだけ叫んでも、返ってくるのは動物たちの声だけだ。……私のせいだ。リアさんを無事に帰還させることを急ぐあまり、一番大切なリアさんから目を離してしまった。

 もし私に彼らどうぶつの声が聞こえたのなら、あるいはリアさんを探せたのかもしれない。サクラさんの〈空間把握〉、ポトトの〈感知〉でも良い。探索・索敵系のスキルがあれば、簡単に助けに行けるのに。


 ――いつだって、私には殺すことしか出来ない……っ。


 つくづく、何もできない自分が嫌になる。浮遊島に来てからも、一体私に何が出来たのかしら?


「く……くよくよしている場合じゃないわ。急いで探しに行かないと」


 私には、何もできない。だけど「何もできないこと」は何もしない理由にはならない。言い訳には、ならないはずよ。せめて私にできること――行動することだけはしないと。


「待っていてね、リアさん」

「はい」

「リアさん。早くリアさんを探しに行きしょう!」

「……? はい」


 ワンピースドレス風の寝間着を広げて、山菜やキノコを大量に抱えてきたリアさんの了承を得たところで、私は改めてリアさんの捜索に向かうことにする。


「とりあえずリアさん。その食べ物をうろに置いて来て? 後でリアさんと食べるから」

「……? ……? はい」


 そこから約10分。リアさんと一緒に森で迷子になっているリアさんを探すという、これ以上ないくらい馬鹿らしい時間が過ぎた。振り返った私が1歩後ろを歩いていたリアさんを見つけて感動したこと、状況の違和感に気付けなかった自分の愚かさに崩れ落ちたこと。何よりアホらしい言動を繰り返していた羞恥にもだえたことは言うまでも無いわね。


「お、お願いだから。お願いだからリアさん。もし私が変なことを言っていたら止めて……っ」

「はい、分かりました」


 お察しだけれど、どうやらリアさんは気を利かせて夕食の食材を取りに行ってくれていたみたいだった。ともかく、無事で何よりだわ。

 この日から、お互いに何かをするときは一声かけることを始めとするいくつか生活の決まりルールを作ることにしたのだった。

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