○狂人病の正体
狂人病。それは“キャルの町”ジィエルで流行っていた、未知の病気だ。
「スカーレットちゃん。『狂人病』って、聞いたこと無いか?」
雨のファウラル。行政府デッドリンの上階にある高級な宿のエントランスの一角で。私の目の前のソファに座る黒髪黒目の召喚者ショウマさんによって投げかけられた問いに、私は大きく頷いた。
「知っている、というよりは私、狂人病に
「ほ、本当けぇ?!」
私の答えに驚いた声を上げたのは、ショウマさんの隣に座る長身族の男性サハブさんだった。静かなエントランスに響いた声に、他のお客さんや従業員さん達が私たちを見る。だけど、サハブさんが気にした様子はない。身長に伴って長い腕と大きな手で軽々と座卓を超え、私の両肩を掴むと、すごい勢いで聞いて来る。
「
「ちょ、落ち着いてサハブさん。紅茶がこぼれてしまうわ」
「そうです落ち着いてください、サハブさん! 他のお客さんだって居ます」
興奮状態のサハブさんを、私とショウマさんでなだめる。どうにか私の肩から手を離したサハブさんだけれど、まだ興奮は収まらない様子。言葉がまとまらないサハブさんに代わって、ショウマさんが狂人病について聞いてきた理由を話し始めた。
「迷宮で会った時、俺たちは国からの依頼で来たと言ったこと、覚えているか?」
「えぇっと……」
頭を使うためにシーナのケーキを一口食べて、ショウマさん達に会った時のことを思い出す。たしか、依頼を受けて迷宮に来てみたら、ユートさんやハゥトゥさん達の徒党と鉢合わせたんだったかしら。
「依頼とだけ言っていたから、私はてっきり冒険者ギルドで受けたものだと思っていたわ」
「いや、まぁ間違ってない。ファウラルでは公的に分かりやすいよう、国が冒険者ギルドを通して俺たちに依頼するんだ」
召喚した勇者という強力な力がどこにあって、何をしているのか。国民に示すために、ファウラルではショウマさんが言ったような形式を取っているらしい。
「で、話を狂人病に戻す。俺たちが迷宮探索……つまり、迷宮の破壊を頼まれた理由がそこにある」
「迷宮を破壊する理由……?」
人は、何か困ったときに冒険者ギルドを通して依頼という形で協力を乞う。私も知った事だけれど、迷宮探索はとても危険な依頼だ。常識が通じないし、出たくてもすぐに出られないことも多い。いくら高純度の魔石が採れるからと言って、死を恐れないようなもの好きしか依頼を受けない。だからあの時、私は迷宮探索の依頼で鉢合わせたことに驚いたのだけど……。
――もし、あの迷宮をすぐに破壊しないといけない理由があったのだとしたら?
例えば、周辺各国が急いで迷宮を破壊することを望んだのだとしたら。あの日、あの時、小さな洞穴で8人もの人が鉢合わせていた「偶然」にも、ある程度の理由が付く。
「でも、待って。ユートさん達の事情は聞けなかったけれど、ショウマさん達は迷宮に魔石を取りに行ったのでしょう?」
「それはあくまでも俺たちが依頼を“受けた”理由だ。しかも副次的な、だな。言ったように、俺たちは……俺は誰かを助けるのに理由はいらないと思っている」
魔石を採るというのはあくまでも1人1人考えが違う徒党全体が同じ方向を向くための理由付けなのだとショウマさんは語る。
「それに、迷宮を出るには結局、魔石を探して破壊しないとだからな」
「なるほど……」
そして、依頼を受ける側に理由があるように、依頼を出す側にも理由があると語ったショウマさん。今回の場合、ファウラル政府が迷宮を破壊するように依頼した理由があるということ。
苦みが強い紅茶で唇を湿らせて、私は話の流れからたどり着いた推測を言ってみる。
「じゃあ、ファウラル政府があの迷宮を破壊するように言った理由に、狂人病が関わっているのね?」
ショウマさんとサハブさんを順に見て言うと、2人は間の抜けた顔を見せた。
「……2人とも、どうしたの?」
「いや、スカーレットちゃんも、ちゃんと考えているんだなって」
「あれ、もしかしなくても私いま、馬鹿にされた?」
「あはは、ごめんごめん。てっきり、もっと抜けた子だと思っていたから」
苦笑しながら頭をかいたショウマさん。口では謝っているけれど、やっぱり馬鹿にしているわよね? ショウマさんの失礼な言葉に
紅茶と受け皿を手に、ソファに背を預けて脱線しかけた話を戻す。
「それで? あの迷宮と狂人病の関係って? あ、従業員さん。この『温室育ちのピュルー卵を使ったタルト』をお願いするわ?」
新しい紅茶のお供を注文しながら聞いた私に答えたのは、冷静さを取り戻したらしいサハブさんだった。
「おいらはファウラルの宮殿付きの“医師”でなぁ。政府の申し出を受けて狂人病について調べてたんだけんど、あの迷宮が狂人病の病原の可能性があったんだぁ」
「ぶぐっ……。そ、そうなの?」
驚きのあまり紅茶を吹き出しそうになる。だって、もしそうだとしたら、私は自分の我がままでとんでもない所にメイドさんとサクラさん、ポトトを連れて行ったことになる。ただでさえヘンテコな鉄の蛇や立方体が居たのに、まさか現状、不治の病である狂人病の中心地だったなんて。
「だけど。病気の中心地なんて雰囲気は無かったように思うけれど……」
人の正気を奪う狂人病は間違いなく凶悪な病気だ。実際、私が罹った時は誇張なくフォルテンシアの危機だったと思う。誰彼構わず〈即死〉を使うようなことがあれば、私だけじゃなく“死滅神”という存在そのものに傷がついていたでしょう。犯罪の抑止力にもなっている死滅神がそんな有様じゃ、フォルテンシアの治安も乱れかねなかった。私を治してくれたメイドさん達には感謝しかないわね。
そんな恐ろしい病気の発生源にしては、これと言って何もなかったような……。
「まぁ、そうだな。俺と、千本木、それからスカーレットちゃんは
ショウマさんがそんなことを言う。続けて、顎に手を当てると、
「でも、なるほど。俺と千本木は多分、召喚者が持ってる〈加護〉。スカーレットちゃんの場合、狂人病を克服したことがあったから、なのか」
何か思い当たることがあるように、独り言ちている。ショウマさんが口にした「不調」で思い当たる者と言えば……。
「あっ。〈病気/小〉ね。え、じゃあまさかアレが……?」
私たちに時間制限を設けてきた正体不明の〈病気/小〉。迷宮内を満たしていた霧のようなものが狂人病の正体なのか。聞いた私に、元から細い目を皿に細めた笑顔で頷いたのは、サハブさんだった。
「そうですぁ。あの迷宮内を満たしていた毒の霧。あんれが、狂人病の正体だと、おいらは考えていますぁ」
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