○勝ったわ!

 行政府デッドリン。地下5階、地上20階の高さ90mにもなる高層建造物。大きさの違う2つの箱を重ねたような形をしていて、影だけ見たら大きな2段ケーキにも見えなくもない。

 地上10階と地下部分に役所などがあって、11階以上が居住区と高級宿になっている。そんなデッドリンの、11階。2階層ぶち抜きになっている宿の総合受付場所……『エントランス』に、私とショウマさんは来ていた。私と違って雨に濡れたショウマさんは、一度シャワーを浴びに自室に帰ると言う。


「さすがに俺が使っている部屋にスカーレットちゃんを呼ぶわけにはいかない。部屋が空いていないか聞いてくるから、ここで待っていてくれ」


 私を適度な弾力がある皮のソファに座らせた後、爽やかな笑顔で言ったショウマさん。彼を見上げて、私はそれには及ばないことを告げる。


「……? 私は別にここで待っているし、ショウマさんの部屋でも良いわよ?」


 手間をかけるくらいなら、ショウマさんの部屋に行く。そう言った私にショウマさんは苦笑した後、ため息交じりに聞いてきた。


「……スカーレットちゃん。これまでも同じようなことを、男に言ったことがあるか?」

「うーん、どうだったかしら」


 まともに関わりを持った男性というと、最近で言えばチョチョさん、“死滅神の従者”であるところのカーファさん、他にはライザ屋の受付をしていたライザさんの旦那さんくらい? あとは行く先々で配達依頼をしていると、なぜか私を気に入ってくれる男性のお客さんも居たけれど……。


「そうね。家にお邪魔したことがあるのは、あまり多くないかしら」

「無いわけじゃないのか……。はぁ……」

「ふふん、心配しなくても大丈夫。私は“死滅神”。もし変なことをされても、してみせるわ」


 実際、リリフォンでだったかしら。不埒ふらちなおじさんがセクハラをして来ようとしたけれど、軽くあしらったことはある。もし強引に変なことをされそうになったら、その時は〈即死〉を使うわ。イチマツゴウの時と同じようにね。

 胸を張って得意顔で言った私に、それでもショウマさんは心配そうな顔をする。


「じゃあ、もし。もしスカーレットちゃんがスキルで眠らされたりしたら、どうする?」

「え? そうね……。どうしようもない、かしら。きっと好き勝手されるでしょうね」


 もとより私は眠気に弱いとメイドさんに口酸っぱく言われてきた。この点については、私は私の弱点であることを把握している。


「でも、私如きにそこまでして何かをしようとする物好きなんて、居ないわ」


 スタイルの良いメイドさんやリアさん、人懐っこいサクラさんとは違って、私に女性としての魅力は薄いはず。イチマツゴウだって、私はあくまでもメイドさんの前座、みたいなことを言っていたような気もする。


「私の〈魅了〉スキルに当てられでもしない限り、心配ない。最悪、襲われたとしても、心まで許すわけじゃないんだもの。身体の1つや2つ、好きにすればいいわ」


 大切なのは、私が私であること。そう言った私に、ショウマさんはこれ以上の議論は無駄だと悟ったみたい。


「この子、危なっかしすぎるだろ……。千本木とメイドさんの気苦労が分かるな……はくしょいっ!」

「ふふっ! 大きなくしゃみね。私のことは良いから、早くシャワーで身体を温めてきて?」

「……そうだな。いいか、スカーレットちゃん。誰が来ても、何を言われても、ついて行っちゃダメだ」

「はいはい、分かった! 分かったわ!」


 私が頷いたことを確認して、ようやくショウマさんは昇降機の向こうに消えて行った。


「妹さん……ユズハさんも幸せ者ね」


 あれだけ格好良くて、面倒見がいいお兄さんが居たら、私はみんなに自慢して回ると思う。まぁ少しだけ過保護が過ぎる気もするけれど。それでも、生まれたときから一緒に居る家族が居て、無条件に心配してもらえることは幸せなことよね。

 私みたいに身寄りのない人を心配してくれる人なんて、普通はどう探しても見つからないもの。その点、メイドさん……は分からないけど、少なくともサクラさんやアイリスさんという友人を得ている私は、幸せ者なのでしょう。

 ソファに腰掛けて濡れたブーツと靴下を脱ぐ。蒸れた臭いを早くごまかしたくて、湿った足をブラブラと振る。空調が効いた部屋の中、足が乾いていく感覚が何とも心地よい。


「ふふ。メイドさんが居たら、『はしたない』とかなんとか言って怒られてしまいそうね」


 1人で居ても、誰かを待つ時間だと思うと安心できる。1人だけど、ひとりじゃない。自分の幸運に感謝しながら、私は1人の時間を満喫するのだった。




 20分後。まだ髪も乾ききっていない状態で、ショウマさんが帰って来た。


「お帰りなさい、ショウマさん。そんなに急いでどうしたの?」

「……いや、大丈夫だ」


 私の疑問に、ショウマさんは首を振る。私を心配して、なんて思ってしまうのは、思い上がりよね。恐らく待たせるのが悪いと急いでくれたのでしょう。

 安堵の息を吐くショウマさんから目線を切って、私はショウマさんの隣に居る長身族の男性に目を向ける。


「サハブさんも久しぶりね。元気だった?」

「久しぶりですぁ、死滅神さま。元気も元気。身体が丈夫なことだけがおいらの取り柄だかんな」


 なまりのある話し方で気さくに挨拶してくれたのは、ショウマさんの徒党の1人であるサハブさんだ。私の倍近くある身長と、それに伴って大きな体躯は存在感がすごい。別荘で会った熊ヘズデックにも引けを取らないんじゃないかしら。


「ショウマが死滅神さまに会うってんでついてきたわけなんですぁ」

「そうなの? つまり、私に用があるのね?」


 ソファに座ったまま顔を上げて、高い位置にあるサハブさんの細い目に尋ねる。……首が、痛い。と、私の状態を察してくれたのでしょう。ショウマさんがサハブさんに話しかける。


「サハブさん。立ち話もなんだから、座って話しませんか?」


 敬語を使っているってことは、ショウマさんよりもサハブさんの方が年上なのね。迷宮に居た時のショウマさん達の様子を思い出す限りでは、サハブさんが徒党全体の意見の調整をしていたように思う。恐らく、一番年上なのでしょう。

 190㎝はあるショウマさんすら見下ろして、サハブさんが親しみやすい笑顔で頷く。


「あぁ、そうだなぁ。話を聞かせてもらう以上、おいらがおもてなししましょうなぁ?」

「おもてなし? ……はっ! お菓子ね?!」


 聞けば、この宿のエントランスでは軽食と紅茶を頂けるらしい。今は、メイドさんもサクラさんも居ない。……これは、好機チャンスね!


「ど、どれくらい食べて良いの?」

「そうだなぁ。おいら、研究詰めで金は余ってるんですぁ。折角だんし、お腹いっぱい――」

「勝ったわ! 早くお品書きを見ましょうっ!」

「あっはっは。死滅神さまも、甘味には弱いんだぁなぁ」


 サハブさんが近くに居た宿の従業員さんにお品書きを持って来て欲しいと声をかける。


「どんなお菓子があるかしら? ケーキとクッキーは王道よね! あ、シーナだって外せないわ」

「スカーレットちゃん。悪い奴らにお菓子で釣られるんじゃないかって不安になるから、お菓子でそこまで目を輝かせないでくれ……」


 ショウマさんはそう言うけれど、甘いわ。シーナの果汁くらい、甘ったるい考えね。私は別にお菓子だけで高揚しているんじゃない。食べ放題というその魅力的な単語に、心が躍っているの。

 従業員さんが持ってきてくれたメニューの内、まずは苦みが強めの紅茶と、赤くて強い酸味が特徴のクォの実と牛乳のクリームを使った無難なケーキを選択する。運ばれてきた赤白のケーキを早速頂いて――。


「ん~~~~~~~~~っ! 美味しい!」


 ソファに座ったまま地団太を踏んで、美味しさを噛みしめる。すぐにお皿は空になって、次は気になっていた『シーナのケーキ』を頂くことにする。あの癖が強いシーナの甘みを生かしたケーキってどんな物かしら。


「スカーレットちゃん。そろそろサハブさん話を聞いてあげてくれないか?」

「あ、そうね。もちろん忘れてないわ」


 さっと居住まいを正して、咳ばらいを1つ。


「それで? 私に聞きたいことって何かしら、サハブさん?」

「死滅神さま、ジィエルから来たって言ってましたなぁ?」


 迷宮内で1日一緒に居た時、ショウマさん達とは世間話程度にお互いの情報は交換している。その時、私たちは世界を知って誰もが認めてくれる立派な死滅神ために、フォルテンシア全土を巡っている事なんかも話していた。


「そうね。ちょうどあなた達に会う2週間くらい前まではジィエルに居たけれど?」


 人目があることを思い出した私はシーナのケーキを出来る限り上品に食べながら、サハブさんの問いに答える。ねっとりとしたシーナの果汁と合わせられている酸味の利いたチーズとの相性を語りたいけれど、今は話に集中しましょう。

 ジィエルに居たと言った私の言葉で、一度ショウマさんとサハブさんが視線を交わす。そして、今度はショウマさんが硬い表情のまま、私に聞いて来たその内容は。


「スカーレットちゃん。『狂人病』って、聞いたこと無いか?」


 迷宮と1か月の旅の間で忘れそうになっていた、カルドス大陸を包む暗い影についてのことだった。

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