○……また?!

 それは、ファウラルに来てしばらく経った頃。ルゥちゃんさんのお店で働くことにも慣れてきた時のことだった。ファウラルの内外で雨が降る中、午前中にトーラスで2軒の配達依頼をこなして、魔石の補充と次の配達の品を取りに工房・ルゥに戻った私。


「帰ったわ」


 雨に濡れた外套の水滴をお店の入り口で丁寧に落としていると、受付台の奥にあるドアが開く。


「お帰りなさい、スカーレットちゃん。帰って来てもらってすぐにで悪いんだけど、注文していた生地を取って来てくれないかしら?」


 今日もやつれた様子で働くルゥちゃんさんから、そんなふうにお使いを頼まれてしまった。買い出しなんて事前に話していた仕事の内容には無いし、断ることも出来る。けれど連日、お客さんのために服を作っているルゥちゃんさんを見ていると、


「いいわ、今回だけよ? それで、今日はどこに行けばいいの?」


 つい、そんな言葉が出てしまう。


「うふふ! 『今回だけ』なんて言いながら、この間もお昼ご飯を買いに行ってくれたじゃない」

「頑張っている人を助けたいと思うのは、仕方ないことじゃない。ルゥちゃんさんこそ、今日はしっかり休むのよ?」

「ええそうね。いま仕立てているお貴族様用のドレスが終わったらね」


 全く同じ言葉を3日前にも聞いたわ。普段の言動とは違って、ルゥちゃんさんは仕事に対してはびっくりするくらい真摯だ。この辺りもメイドさんと似ていて、今では親近感すら覚えてしまっている。

 だからかもしれないけれど、平気な顔で無理をするルゥちゃんさんが私は凄く心配だ。トトノさん始め他の従業員さん達も、ルゥちゃんさんを心配している。だけど、私たちが何度「休んで」と伝えても、結局、ルゥちゃんさんが休んでくれることは無かった。

 少しでもルゥちゃんさんに休んで欲しくて、私はお使いを受けることにする。そうして雨の中、傘をさして工房・ルゥがある大通りの道を歩いていた。


「仕方なく、仕方なくよ、私。毎回、雇用主の“お願い”を聞いていたら身が持たないわ」


 受け取り札と地図を見比べつつ、取引先に当たる生地屋さんを目指す。ファウラルにある建造物で最も高い建物、行政府デッドリンにもほど近くて、貴族が住む宮殿だってある中心街。背を競うように乱立する高い建物とあいにくの雨のおかげで、いつも以上に空が窮屈に見えた。

 だけど、私は雨、意外と好きよ。だって、


「おい、あの子……」

「うわ、死滅神様だ。道を空けろ、殺されるかもしれないぞ」

「ホゥマン、こっちにおいで。くれぐれもあの女の子に話しかけちゃダメよ?」


 そんな人々の声と視線を、ほんの少しだけ遮ってくれるから。

 新しい死滅神である私が生まれて半年以上が経つ。王国ウルの第3王女セシリアさんを殺したという衝撃的な出来事もあって、新聞などを通して私が死滅神であることが少しずつ周知の事実になりつつある。

 町を歩けば陰口を叩かれ、避けられる機会も多くなってきた。町に滞在する期間が長くなればなるほど、冷たい視線と言葉が飛んでくる数が増える。そのことを、私はここ最近でようやく理解し始めていた。


「大丈夫。私は、死滅神よ。だから大丈夫」


 自分に言い聞かせて、傘の柄を握る手に力を込める。悲観的になることは無い。だって、死滅神を信仰してくれている人だって、たくさん居るんだもの。何より、私にはメイドさんとリアさんという家族もいるし、サクラさんやアイリスさんという友達だって居る。


 ――だから私は、大丈夫……。


「きゃっ。もうっ、最悪……っ」


 周囲を見ずに地図とにらめっこをしていたせいかしら。大きな水たまりに気付かずに踏んでしまって、ブーツの中まで水が沁みて来た。こうなってしまったブーツは結構重くて、歩くたびにぐちゅぐちゅと不快な音を立てるようになる。これは、雨の良くないところね。

 思わず出そうになった溜息を飲み込んで、信号の赤い魔石灯が青に変わるのを待つ。大きな交差点なだけあって、待ち時間が結構長い。それに、かなり人も居る。


「死神だ」

「死滅神だわ」

「近づくな」


私がいる場所だけ穴が開いたように、人が居なくなる。当然私はさらに目立って、もっと多くの人に存在を認知される。


「「ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ」」


 決して私に目を合わせることは無いけれど、意識だけはきちんと向けられている。


「「「ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ」」」


 きっと私に関係ない話をしている声の方が多い。それは分かっている。分かっているけれど、


「「「「ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ」」」」


 少しだけ、人の声がうるさく感じる。……これは、ダメね。雨と濡れたブーツのせいで、少し気分が落ち込んでいる。そのせいで、人々が向けて来る負の感情に反論したくなっている。


「そう簡単に私の手で死を迎えられると思わないで欲しいわね」


 自嘲気味に呟いた私の声は、雨の音にかき消される。ただでさえ遠巻きにされて、距離があるんだもの。叫ぶくらいしないと誰の耳にも入らないんじゃない? 犯罪の大きな抑止力になるから、死滅神は怖がられてこそ、嫌われてこそ、の存在だ。だったらいっそ今すぐに叫んで、私を見て見ぬふりしている人たちを怖がらせて……。


「なんてね」


 益体も無いことを考えながら、どうにか気持ちを落ち着ける。信号、早く変わらないかしら。このままだと叫びたくなってしまう。怒り、恨み、恐怖、忌避……。負の感情を受け入れるという死滅神としての役割から、逃げ出したくなってしまうじゃない。そんなこと、目覚めた生まれた時から私には許されていないのに。

 私はホムンクルスだ。寿命が無い。つまりこの先、殺されない限りは“永遠に”同じような冷たい目と感情を向けられることになる。だから、早く慣れないと。

 この程度の言葉と視線に落ち込んでしまう自分の情けなさに、笑ってしまいそうになっていた時だった。


「スカーレットちゃん? どうしたんだ、こんなところで」


 遠巻きに私を見ていた人々の間に割って入ってくる男性がいた。その聞き覚えのある声に、私は思わず振り返る。

 黒い髪に、私よりもずっと高い身長。今日は鎧姿ではなく、半そでに膝下までの短パン姿という普段着姿だ。おかげで、細身ながらしっかりとついた腕と足の筋肉がよく分かる。人混みだったら、身長が低い私の存在になんて気付かなかったでしょう。けれど皮肉にも、集団の中にポツンと空いた穴のようになっていたからこそ、彼は私の存在に気付いたみたいだった。


「ショウマさん……?」

「久しぶりだな。ハルハルから話を……って、何かあったのか?」


 言葉の途中、私の顔を見た途端、ショウマさんが目つきを鋭くして聞いてくる。


「……? 何もないわ。今は仕事先からお使いを頼まれてお使いをしているところなの」

「いや、そうは言うけどそんな顔――」

「本当に何でもないの、心配いらないわ。それよりショウマさんはここで何をしているの? お買い物? こんな雨の中?」


 あれ、おかしいわね。どうしてだか分からないけれど、言葉が止まらない。ショウマさんの答えを待つことも出来ないまま、私は1人でしゃべり続ける。


「私、雨って好きで嫌いだわ。雨粒が跳ねる音は音楽みたいで聴いているだけで落ち着く。だけど、お気に入りの靴が濡れちゃうし、借り物の服も触れないようにするのが大変。あ、だけど、2人で傘に入るのって良いわよね。昔、傘を忘れたことがあって、メイドさんと一緒に帰ったことがあるのだけど、お互い濡れないようにするには引っ付くしかなくて、それでも濡れてしまって」

「……そうか」

「私はメイドさんに濡れて欲しくなかったから場所を譲るのだけど、『お嬢様、風邪を引いてしまいます』ってメイドさんも私に場所を譲るの。ほんと、頑固よね」

「そうだな。それで? その後はどうなったんだ?」

「それで最後には、どっちが濡れたか競う形になって。これじゃあ傘がある意味がないじゃないって笑ったわ。そういう、雨だからこその出来事があるから、私はやっぱり雨が好き。それから、それから……」


 と、いつの間にか人々の雑踏が聞こえるようになっている。見れば、信号がいつの間にか青に変わっていた。ショウマさんが上手く相槌あいづちを打ってくれるから、話し過ぎたみたい。


「えっと、それじゃあ私は仕事があるから失礼するわ? 話を聞いてくれて、ありがとう。心配しなくても、私は大丈夫だから!」


 地図と受け取り札をカバンにしまって空いた手を大きく振って、私はショウマさんに背を向ける。知っている人に会って気が緩んだのかしら。ちょっと泣きそう。ショウマさんに感づかれないように、早く離れないと。

 交差点に踏み出したはずの私の身体は、気付けば横抱きに抱え上げられていた。


「……ショウマさん? さっきも言ったように、私いま、お使いの途中で――」

「俺のせいにしてくれていい。そのお使いは、一旦ストップだ。自分から『大丈夫だ』なんて言う女の子を、1人にさせるわけにはいかない」


 自分が差していた傘を中空〈収納〉にしまったショウマさんが、足元を確かめるようにつま先を鳴らす。


「しっかり自分の傘を握っておくんだ、スカーレットちゃん。〈ステータス〉」

「何を言っているの? 〈ステータス〉のスキルまで使って……。ひとまず、下ろし――」

「悪いけど、黙ってくれ。舌を噛むぞ?」

「どういう……って、わぁっ!」


 言うが早いか、ショウマさんが地面を蹴って高く跳んだ。同時に、押さえつけるような強烈な力が私を襲う。私は言われた通りに、傘を手放さないように握りしめることで必死だ。そうして次に襲って来るのは、浮遊感。これは、落ちている時のものね。


「ショウマさん?! 何をしているの?!」

「スカーレットちゃん。実は近いうちに会いに行く予定だったんだ。ちょうどいい機会だし、このまま君を俺たちが住んでいるデッドリンまで誘拐する」


 ゆ、誘拐? また?! それに私たちに用って何かしら。確かに迷宮で別れた時に「また会おう」とは言ったけれど、てっきり社交辞令だとばかり――。


「しっかり掴まっててくれ」

「ちょっと待って、先に説明を……って、きゃぁ~~~っ!」


 私の言葉に聞く耳を持たず、ショウマさんは高い建物群の屋上を何度も跳び回る。こうして雨の中、私はファウラルに来て2度目の誘拐を経験することになった。

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