○冗談じゃない

 自分には相手の〈ステータス〉を見ることが出来るスキルがあると公言したショウマさん。黙っていたことを詫びて、座ったまま姿勢を正して、私たちに深々と頭を下げた。


「これだから、外来者は」


 目つきを鋭くして私の前に立つメイドさんが吐き捨てるように言う。警戒も当然で、〈ステータス〉には“自分”にまつわる全てのことが記載されている。どんな職業で、どんなスキルを持っていて、各種値はどうなっているのか。戦う前から知ることが出来ることには、計り知れない利点がある。

 それに、メイドさんが持っている〈収納〉なんかの強力なスキルだってお見通しだ。自ら手を下さずとも、その情報を欲している人に売るだけで、十分な額のお金を稼ぐことが出来る。戦闘だけでなく生活面でも生かされる、まさに唯一無二、強力無比なスキルだと言えるわ。


「でも、これは誓って言える。スカーレットちゃんを含めた君たちのステータスを見てはいない」

「どうしてわたくしたちがそれを信じられるのです? 証拠でもあるのですか?」

「それは……無いな。信じてもらうしかない」

「今になってその情報を明かした外来者風情を信じろと? 冗談を」


 私に背中を向けたまま、メイドさんがショウマさんに冷たく当たる。見なくても分かるわ。今、メイドさんは嘲るような顔でショウマさんを見下ろしているでしょうね。やっぱり、メイドさんは召喚者を心の底から嫌っているみたい。……だけど、リィリさん達を助けるにしても迷宮の核を持っている金属の蛇を倒すにしても。私たちが迷宮を出るにはショウマさん達の協力が必要不可欠なはずよ。

 私はメイドさんの背中と、彼女のスカートの向こう側に居るショウマさんに告げる。


「メイドさん。私はショウマさんを信じるわ。だって、信じる方がずっと楽だもの」

「毎度のことながら能天気ですね、お嬢様は」


 人を疑うことの大切さは、折につけてメイドさんとサクラさんに言われてきた。エルラの町では、実は騙されて壺を売りつけられそうになっていたことも後から聞かされた。それでも私は、死滅神だもの。フォルテンシアに生きる全ての命を預かる者として、その全てを信じるべき――。


「――いいえ、違うわね。私は死滅神として、フォルテンシアに居る全ての命の善性を信じたいの」


 きっと、どこかには根っからの悪人だっているのでしょう。人や動物の暮らしを平気で踏みにじる、そんな人が。でも、そんな人はほんの一部。これまで私が出会ってきた人々はみんな、良い人ばかりだった。悪いことをしていた人も、私が手を下した人も。きっと彼らなりの事情があって、正義があったはず。


「あなたはどう? メイドさん。私と、あなたのご主人様……フェイさんが守っているこの美しいフォルテンシアに生きる命。彼らを信じることが出来ない?」

「出来ます。信じています。ですが、シノヅカショウマは外来者。フォルテンシアで生まれた命ではありません」


 長い付き合いだものね。そう言うと思ったわ。メイドさんの信じているという言葉も本当で、彼女はフォルテンシアで生まれた人々に対しては必ず敬称をつけて接する。逆に、召喚者に対しては絶対につけない。一応の例外として、シンジさんとサクラさんがいるけれど、メイドさんなりの考えがあるのでしょう。

 その徹底ぶりは、メイドさんの忠誠心の裏返しであるはずよ。私やフェイさんが守っているフォルテンシアを、メイドさん自身もまた、愛してくれている。


 ――だからきっと、私の言っていることも分かってくれる。


 私はそう信じている。だってメイドさんも、フォルテンシアに生きる命の1つなんだもの。


「だけど今は、フォルテンシアに生きる命の1つ。違う?」

「ですが、お嬢様。それは、屁理屈というものです」

「そうかしら? 生きとし生けるものは全て、死を前にすれば平等よ。生まれた場所も、育ち方も、些細なことじゃない。全てはわたしに帰結するわ」


 大切なのは過去じゃなくて今だと思う。だって、そうじゃないと、人はどうしようもない過去にとらわれて動けなくなってしまう。積み上げてきた過去は、出来ること――未来へ進むための「思い出」なのであって、可能性を縛る「妄執」や「失態」ではないはずよ。

 失態ばかりの私がこうして自由に動けているのが証拠になるんじゃないかしら。


「お嬢様……」


 メイドさんもようやく私の方を振り返って、翡翠の瞳で私を見下ろす。……そう、あなたにはそうして、私を見ていて欲しい。くだらない過去になんて、とらわれないで欲しい。だってあなたは、今、こうして生きているんだから。


「どう? あなたが大好きなフェイさんは、なんて言っていたの? 彼は召喚者を信じていなかった? 召喚者シンジさんと仲良くしていたのに?」


 ポトトの羽毛という最高級の背もたれから身を離して、姿勢を正した私は翡翠の瞳に問いかける。見つめ合うこと数秒。ゆっくりと目を閉じたメイドさんが、小さく息を吐く。


「かしこまりました。シノヅカショウマではなく、彼を信じるお嬢様とご主人様に免じることにいたします」

「素直じゃない言い方ね。つまり、ショウマさんが〈鑑定〉をしていないってことを信じるのね?」

「……。……。……はい」


 長い沈黙の後、メイドさんはようやく折れてくれる。これで一件落着かしら。

 ひとまずメイドさんのスカートの影から身を乗り出して、呆けた顔をしているショウマさんにお詫びをする。


「疑ってしまってごめんなさい、ショウマさん。それから、金属の蛇のステータスを見て置いてくれてありがとう!」

「あ、ああ。こちらこそ、信じてくれてありがとう」


 私とショウマさん。2人で笑い合ったことで、場の空気が弛緩する。休憩していたはずなのに、どっと疲れたわ。

 改めてポトトに背中を預けつつ、心身を休める。と、少し上を向いた私とメイドさんの目がぴたりと合った。


「メイドさん? どうかしたの?」

「はぁ……。一体いつ、お嬢様は、今のような卑怯さを手に入れたのでしょうね?」

「ひ、卑怯……?」


 ズルいってことよね? 私はただ思ったことを言っただけなのに、その言いようはないんじゃないかしら。


「えっと、何か分からないけど……ドンマイ、ひぃちゃん!」


 私の隣で事態を静観していたサクラさんが、落ち込む私を慰めてくれる。……その優しさがとっても嬉しい。嬉しいけれど。


「……つん。サクラさんの慰めなんていらないわ」

「あれ?! ここは『ありがとう、サクラさん大好き!』ってなるところじゃ?!」


 私を放ってショウマさんと仲良くするサクラさんなんて知らない。いつも私が同じ反応をすると思ったら大間違いなんだから。人間関係には押し引きが大切だと教えてくれたのは、サクラさんだもの。今こそ教わったことの成果を見せるべき。そう思って素っ気ない態度を取ってみたけれど。


「は~ん? ひぃちゃん、そういうことするようになったんだ?」

「……え?」


 あれ、おかしいわ。私の想定だとサクラさんが「ひぃちゃん!」って抱き着いて来てくれると思ったのだけど。


「残念だな~。折角、最近はもっと仲良くなれたと思ってたのに。ずっと一緒だって、約束もしてくれたのに」

「あれ……サクラさん?」

「そっか。うん、でも、分かった。わたし、もういらない子なんだ?」


 寂しそうな顔で、サクラさんが言う。


「ど、どうしてそうなるの? いらない子なんて一言も――」

「『サクラさんの慰めなんていらない』んでしょ?」

「あっ……」


 つまらない意地を張ったせいで出た言葉だけれど、サクラさんの言うように聞こえなくもない……?


「そっか~。わたしはいらないのか~……」

「あ、えっと! そうじゃないの、サクラさん! そうじゃなくて冗談で――」

「なるほどね~。ひぃちゃん、迷宮にわたしを置いていくために、ここまで一緒に旅をしてくれてたんだ?」


 賢いからこそ、サクラさんは私の冗談からどんどんと間違った答えを出していく。


「いいもん。ひぃちゃんがそんなこと言うなら、わたしは篠塚君の所に入れてもらおうかな?」

「ま、待って! 行かないで、サクラさん!」


 立ち上がろうとしたサクラさんに飛びついて、全力で引き留める。


「私を1人にしないって、約束したじゃないっ」

「でもひぃちゃんにはメイドさんも、ポトトちゃんもいるけど?」

「ダメなの! サクラさんじゃなきゃ、ダメなことだって、あるじゃない……っ」


 鎧が無い、サクラさんの柔らかいお腹に顔をうずめて、行かないで欲しいと伝える。


「噓、ひぃちゃん泣いてるの?!」


 驚いたようにサクラさんが言うけれど、当然じゃない。サクラさんが居なくなることが悲しくない訳なんて、無い。


「いらないって言ったこと、謝るわ! 他にも私にダメなところがあったのなら、謝る! だ、だから……行かないで。お願い……っ」


 絶対に行かせない。そんな思いでステータスを全力で使ってサクラさんに抱き着く。


「あ、えっと。う~ん、そっか、泣いちゃうか~……」

「サクラ様?」

「あ、あはは。メイドさん、目が怖いです、怖い……」


 この後、サクラさんによる美しい土下座をなぜか見ることが出来た。指先からつま先に至るまで、神経を研ぎ澄ませるように行なわれる土下座が美しいものだと学ばせてもらったわ。チョチョさんがしていた情けない土下座とは比べ物にならないわね。

 ともかく、サクラさんを引き留めることが出来て良かった。自分の言葉が思い通りに伝わらないこともある。冗談だとしても、改めて発言には気をつけないと。迷宮にいるにしては普通の学びを、私は再確認することになった。

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