○迷宮に出会った
それは、ジィエルからファウラルに向かう旅路が10日目を迎えた頃だった。
「そろそろ湯浴みをしたいわ……」
「そうだね~。わたしも
サクラさんと並んで御者をしながら、今日も海沿いの街道を行く。潮風のおかげで私の自慢の髪も少し張りを失っている。毎日水浴びの時に洗髪はしているけれど、外で髪の保湿なんかは出来ない。風邪を引いてしまうものね。
私たちの背後。荷台では、メイドさんによる淑女としての嗜みの授業が行なわれている。リアさんはいつも通り表情のない顔で頷きながら、話を聞いている。
「リアさんの夜這い癖、治ると良いのだけど」
「急務だよ、急務。わたし、危うく流されそうになったもん」
女性同士の
「別に良いんじゃない? 身体を触られるだけで、女性同士なら何も起きないじゃない」
何ならリアさんもホムンクルスだもの。たとえ異性と交わったとしても、子を成すことは無い。
「む。ひぃちゃんはわたしがリアさんとあんなことやこんなことをしても良いんだ?」
「……仲が良いことは良いことだと思うわ?」
「あっそ。ふんだ、ひぃちゃんはやっぱり軽い女なんだね!」
サクラさんにそっぽを向かれてしまった。……だって、サクラさんが誰と仲良くなるのもサクラさんの自由じゃない。私がとやかく言うのなんて、見当違いでしょう? だから、私と一番仲良くして欲しいなんて言えない。私を優先して欲しいなんて、言えない。それくらい、サクラさんが大切だから。
――私はもう、嫉妬なんてしないわ。
サクラさんとシズクさんの間にある繋がりに感じた嫌な気持ち。もう二度とあんな感情を抱かないようにしないと。……でも、やっぱりサクラさんに嫌われるのは嫌。
「だ、だけどこれだけは分かって? サクラさんが私の特別だってことは本当なの」
「……それって『メイドさんと同じくらい』?」
「もちろん! メイドさんと同じくらい、サクラさんのこと大好きよ? だから、気分を悪くさせたならごめんなさい。……嫌いにならないで?」
手綱を握ったまま、むくれているサクラさんに一生懸命言い
「……っぷふ。ごめんね、冗談だよ、ひぃちゃん」
「え、冗談……?」
「うん! 残念ながら、こんなことでわたしがひぃちゃんを……というか誰かを嫌いになることなんてありません!」
そう笑って、私を空いている左手で抱き寄せる。車輪が地面を踏む音に混じって聞こえてくるのは、サクラさんの柔らかな胸の奥にある心臓の音だ。トクトクトク。早い鼓動を刻む音に、私は耳を澄ませる。
「それに、ひぃちゃんがわたしと雫の仲に嫉妬してくれてること、知ってるもん」
運悪く、鳥車が小石を踏んで音を立てる。そのせいで、サクラさんの小さなつぶやきを聞きもらしてしまった。
「ごめんなさい、何か言った?」
「ううん、何でもない~!」
そう、それなら良いわ。サクラさんに体重を預けて、心地良い拍を刻む心臓の音を聞きながら。傾いた視界で周囲を警戒していた時だった。
鳥車から見てやや左前方。海とは反対側にある雑木林の近くにちょっとした人だかりがあることに気付いた。数は10人くらいかしら。全員が鎧や武器などの装備で身を固めて、何かを話し合っているみたい。
「揉め事かしら?」
「どしたの、ひぃちゃん」
頭上から訪ねて来るサクラさん。ひとまず彼女から身を離して、私は人だかりの方を指し示す。
「〈望遠〉っと。ほんとだ、多分、冒険者さん達だよね?
「ひとまず何があったのか、確認してみましょうか。……いいわね、メイドさん?」
「はい、問題ありません」
リアさんに授業をしながらも、やはり話を聞いていたらしいメイドさん。彼女の了承を得たところで、私たちは街道を逸れて冒険者らしき人々がいる場所に向かう。
近づくにつれて、私にも洞穴が確認できるようになる。入り口は高さ3m、横幅は5mくらいかしら。緩やかに下に向かって傾斜しているみたいで、その先は真っ暗で何も見えない。そんな洞穴を前に、男女8人が話し合っていた。
私たちが近づいてくる気配を察したのでしょう。
「こんにちは。私はスカーレット。この人はメイドさん。旅をしているの」
怪しまれないように自己紹介をしながら、何があったのかを聞いてみる。
「うわ、めっちゃ可愛い子来たな。えっと、初めまして。俺はシノヅカ・ショウマ。ファウラルって国に召喚された転移者だ」
私とメイドさんを交互に見て気さくに挨拶をしてくれたのは、ショウマさん。身長はメイドさんよりも頭1つ大きいくらいだから190㎝はあるんじゃない? 転移者ということだから、人間族でしょうね。
続いて、ショウマさんと同じ徒党の男性2人、女性1人も挨拶をしてくれる。
「僕はキィク。丸耳族で、今はショウマと一緒に冒険者をしてるんだ」
木の幹のような茶色い髪と毛並みをした、身長180㎝くらいのキィクさん。手斧を持っているから、近接系のスキルを持っているのかも。
「おいらはサハブ。見た通り長身族さぁ」
わざわざ屈んで挨拶をしてくれたのは、サハブさん。黒くて長い髪と、少し
最後に、ショウマさんの
「あ、えっと。初めまして、死滅神スカーレット様。ワタシはハルハル。魔法使いです」
少し赤っぽい髪色で、青っぽいローブを着たハルハルさんが自己紹介してくれる。彼女が言った魔法使いというのは、正確には職業では無いわ。魔法の研究をしている人が、誇りを込めて自分をそう呼ぶことがある。その名の通り魔法やスキルに精通していて、市中ではあまり見かけない魔法を使うことでも知られていた。
ハルハルさんが困惑しているのは、私の正体を知っていたからでしょう。
「え、死滅神様?! この女の子が?!」
「本当けぇ? 単なるお嬢様じゃないんだなぁ」
ハルハルさんの言葉を受けて、茶毛の丸耳族キィクさんと、長髪長身族のサハブさんも驚いた声を上げる。驚き、困惑、そして恐怖。色んな表情がない交ぜになった顔で、フォルテンシア生まれの3人は私を見ていた。
「あ、怖がらないで。今は何があったのか、聞きに来ただけなの」
「ひっ」「っと」
一歩踏み出した私に合わせて、ハルハルさんとキィクさんが一歩退く。……この感じ、久しぶりね。改めて自分が嫌われ者なのだと自覚させられる。危うく忘れてしまうところだったわ。
ただ、サハブさんとショウマさんは特段気にした様子もない。何をしていたのかを聞いた私に答えてくれたのは、転移者の好青年、ショウマさんだった。
「実は、ファウラルの冒険者ギルドから依頼があったんだ。この洞窟がダンジョンになってるって」
「だんじょん?」
「あー、ごめん。迷宮だ」
迷宮。魔素の濃度が高くて、内部の空間が歪んでしまった場所のことを言うわ。実は私たちも迷宮と言って良い場所を訪れている。それは、ちょっとだらしない“死滅神の従者”カーファさんが衛兵をしているエルラの町。魔素の濃度が高くて時間感覚が狂ってしまうあの場所も、広義で言えば迷宮という扱いになる。濃密な魔素によって生まれる、いびつな空間。フォルテンシアの目が届かないその場所を、迷宮と呼ぶはずだった。
「で、その迷宮を破壊してきて欲しいって依頼を受けたんだけど……」
端正な顔に気まずそうな表情を浮かべて、後ろを洞穴の方を振り返るショウマさん。その視線を私が追ってみると、もう1組、徒党を組んでいるらしい冒険者がいる。女性3人と、男性1人ね。
「どうやら、依頼がダブったみたいなんだ」
「ダブる……? えっと、他の人と依頼が被ったってことで合っているかしら?」
私の確認に、ショウマさんが頷く。なるほどね。つまり、ショウマさん達が依頼を受けて現地に赴いてみれば、別の町の冒険者ギルドにあった同じ依頼を受けた徒党と出くわした。そして、現在進行形でもめている。そういう話らしかった。
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