○平穏な暮らしを願って――

「ご主人様~! ご主人様~! どちらにおいでですか~?」


 可愛いメイドさんが、私を呼ぶ声がする。昼食が出来たようだ。今日は久しぶりに、神殿の広間にある執務机ではなく地下の薄暗い書斎にいた。調べものの内容はもちろん、ホムンクルスについてだ。記憶と職業ジョブの遺伝。その両方が出来ないか。その確率を上げるには。多くの文献を読み漁っては、自分の中で整理していく。


「おい、フェイ。メイドさんが探してるぞ?」


 言いながら書斎の入り口に姿を見せたのはサトウシンジだ。30年来の私の友人であり、召喚者。そして、私の実験のためにわざわざ生誕神に頼み込んで職業ジョブと言う名の呪いを受けた、変人でもある。出会った頃は10代の若者だったが、今やもう中年のおじさんだ。対する私はこの職業のろいのせいで、老いることは無い。最近になってひしひしと感じる周囲の人々の老いが、私の悩みの種だった。


「またジョブの研究か?」

「そうだ。可能なら私がずっと死滅神であれば良いからね」


 死滅神の必要性は理解している。もちろん、フォルテンシアに生きる生命を預かる者として、誇りも持っている。しかし、それと同じくらい、私はこの職業を忌み嫌っている。他者の生殺与奪の権利を有する。これほど傲慢で、責任の重い職業など無い。命を軽んじる変な輩にこの職業が渡れば、それこそ本物の魔王の誕生だ。


「何も知らない奴から見れば、強力なスキルを独り占めしようとしている狂人に見えるんだろうな」

「別にいい。私は大丈夫だ。人から憎まれることも、嫌われることも、慣れているからね」


 そう。私は慣れている。きちんと慣れることが出来ているはずだ。だから何を言われても傷つくことも無い。死滅神として、あらゆる負の感情は受け入れていかなければならない。


「悪意を向けられることに慣れている人間なんて居ないだろうよ?」


 苦笑して問いかけてくるシンジ。もしそうなら、きっと私はもう、人間じゃないのだろう。チキュウにおいて神は人間では無いと聞いたしね。


「ご、ご主人様ぁ……。シンジ様ぁ……」

「――ほら。俺たちの娘が呼んでいるぞ」


 いつもいる場所に居ない。置いていかれたのではないか。そう思っているだろうメイドさんの声が、徐々に湿り気を帯び始めている。これ以上メイドさんを放置して、泣かせてしまっては可哀そうだ。


「今、行くよ」


 私はひとまず本を読む手を止めて、シンジと共に地下の書斎を出る。と、ちょうど上階に続く階段から半泣きの状態のメイドさんが姿を見せた。私たちの顔を見ると弾けるように顔を輝かせて、


「ご主人様! シンジ様!」


 階段を駆け下りてくる。本当にあの子は、寂しがり屋だ。……あ、転んだ。大丈夫だろうか。怪我をしている様子は……なさそうだ。


「早く家族を造ってあげないと」

「そうだな。やっぱり侍女メイドには、いつでも笑顔でいて欲しいもんだ」


 フォルテンシア人の私と、チキュウ人のシンジ。意見が食い違うことも多いが、ただ一点。我が子の幸せを願う気持ちは、共通している。


「そう言えば、フィーアがお前の研究に興味を持っていたぞ?」

「そうか。あの人にはシンジもメイドさんも職業ジョブを決める時にお世話になったからな。とりあえず今度顔を見せに行こうか」


 立ち上がって、途中で子供っぽいと気づいたのだろう。つんと澄ました顔をする。それでも心なしか速足で私たちの所に歩いてくるメイドさん。彼女の努力と成長を眩しく思いながら、私たちも愛しい我が子のもとへと歩を進めるのだった。




 ふわふわとした雲から顔を出すような。そんな、曖昧な目覚めだった。重い瞼をゆっくりと開くと、私を見つめる紫色の瞳と目が合う。視界を覆うフィーアさん譲りだろう白い髪。甘ったるい砂糖菓子のような香り。


 ――フィーアさんって、誰だったかしら……?


 手を伸ばすほどに遠くなる夢の記憶に別れを告げて、私は目の前にいる人物へ目覚めの挨拶をする。


「おはよう、リアさん」

「はい、おはようございます、スカーレット様」


 随分長い間眠っていたような気がするわ。……って、あれ? 私、どうして眠っていたのかしら。確かリアさんとお買い物に出かけて。


「それから……そう、頭がくらくらして」


 多分、その後倒れてしまったのでしょう。私がここで眠っていた理由は分かった。問題は……。


「リアさん。1つ聞いて良いかしら?」

「はい」

「どうして、また、私もあなたも下着姿なの?」


 今、私はリアさんに押し倒されたような形になっているでしょう。しかも、また、半裸。その理由を尋ねてみたのだけど、リアさんは私に覆いかぶさったまま無表情で首を傾げている。うーん、可愛いのだけど、答えて欲しい。そんな私の意図を察したのかしら。


「サクラ様より、『ひぃちゃんを見ていて』と言われました」


 四つん這いになって私を見下ろしたまま、リアさんが少しズレた答えを返してくる。聞いているのはなぜこうしているのかでは無くて、なぜ半裸なのかなのだけど。

 でも、リアさんのことだ。きっと悪意はないでしょうし、ベッドの上ではかなり過剰なふれあいスキンシップを求めてくることも知っている。


「とりあえず、退いてくれる?」

「はい」


 リアさんが私の上から退いてベッドにぺたんと座るのを横目に、私も身を起こす。そこは変わらず、泊まっていた宿『シャーラウィ』の客室だ。と、私の枕元に置いてあった着替えの上で、ポトトが丸くなって眠っているのが見えた。


「ポトトもおはよう」

『……クルッ? ……クルールッル!』


 私の姿を見るなり飛び込んで来る可愛いポトトを受け止めて、羽毛と温かさを堪能する。ポトトを抱いたまま改めて部屋の窓を見て見ると、少し黄色く染まったジィエルの町が見える。デアの位置からして、もうすぐ夕食かしら。私がリアさんと買い出しに出かけたのが昼過ぎだから、3時間は眠っていたと見るべきね。


「メイドさんとサクラさんは?」

「買い物に行きました」


 ポトトをリアさんに渡して着替えを済ませた後、机に置いてあった軽食のサンドイッチを食べる。身体が少し重いのは、眠っていたせいかしら。寝起き特有のぽぅっとした頭のまま、ゆっくりと夕焼け色に染まって行くジィエルの町を見ていると、


「ただいま戻りました」「ただいま~」


 メイドさんとサクラさんが連れ立って帰ってきた。


「あら、お帰り。早速だけど、ごめんなさい。私、買い出しの途中で倒れたみたいで――」

「ひぃちゃん!」


 謝罪の途中で、サクラさんが持っていた袋をほっぽり出して私に突撃してくる。その勢いはヘズデックに襲われて目を覚ました時に引けを取らない。


「良かったぁ!」


 私を強く抱くサクラさんの肩と声は震えている。……また心配させてしまったのね。もう大丈夫だと伝えたくて、私はサクラさんの背中を優しく叩いてあげる。と、サクラさんの肩越しに見えたのはメイドさんだ。一瞬だけ安心したような笑顔を見せて駆け寄ろうとした後、結局いつものすまし顔に戻る。その一連の表情の変化には、どこか見覚えがあるような、無いような。どこで見たのだったかしら?


「こほん。お嬢様、もう夜ですよ? 随分お寝坊様ですね?」

「心配させてしまって、ごめんなさい。それと、心配してくれて、ありがとう」


 と、私が落ち着いていられたのはここまで。その後すぐに夕食となったのだけど……。


「私、3日も眠っていたの?!」

「え、狂人病にかかった?!」

「うそっ! 麺もコメも買い過ぎてるじゃない!」


 リアさんが話さなかった新事実がメイドさんとサクラさんの口から次々と出てくる。何より怖かったのは、理性を失った私が〈即死〉を使う可能性があったこと。私の意思に関わらずに人を殺すなんて、絶対にあってはならない。

 それだけじゃないわ。もし私が正常な判断を出来なくなれば、フォルテンシアに害をなす存在が世に蔓延はびこってしまう。対処しようにも、私が“死滅神”として生きている限り、新たな“死滅神”は生まれない。……だったら。


「メイドさん。次にもし同じようなことがあったら、どうにかして私を殺して」


 きっとメイドさんなら私を殺してくれる。……まぁ願わなくとも、殺そうとしてきそうだけれど。リアさんの記憶が戻らないことを祈るばかり――。


「ひぃちゃん。冗談でもそんなこと言わないで」


 私用にメイドさんが作ってくれた夕食のおかゆを口に運んでいると、サクラさんが少し怒ったように言ってきた。私の身を案じてくれるサクラさんの心意気はとても嬉しい。でも。


「冗談なんかじゃないわ。私が役目を果たせなくなったら、フォルテンシアに悪が栄えることになるもの」


 そんなこと、絶対にさせない。サクラさん。たとえあなたの願いでも、これだけは譲れないわ。

 茶色くて丸い目で私の目を見たサクラさん。お仕事モードかどうかを確認したのでしょう。そして、私がきちんと正気であることを理解する。そのうえで私が言っていることが理解できないから、サクラさんはうつむいてしまう。

 これが、フォルテンシアで生まれた私と、チキュウ生まれたサクラさんの間にある価値観の差。私のちっぽけな命よりも、大勢の人々が安心して暮らせる世界を保つことの方が、圧倒的に有意義でしょう。


「これは命令よ、メイドさん。私が正常な判断が出来ない状態が続くようだったら、ためらわずに殺して頂戴」

「……かしこまりました♪」


 頼れる私のメイドさんはいつもの調子で頷いて、夕食の魚を小さな口に運ぶのだった。

 そうして迎えた、翌日。私たちはジィエルの町を出る。進路は南。海岸線をずっと、ずぅっと1500㎞ほど行ったところにあるファウラルの町を目指す。その目的は、転移陣を修復できる技師さんがいるかもしれないから。


 ――転移陣の修復が、サクラさんをチキュウに帰す近道になると信じてるわ。


 ファウラルの町もそうだけど、無表情、無口なリアさんを加えた旅路がどうなるのか。期待と不安を胸に、私は鳥車の手綱を握る。


「結局、狂人病の感染経路は分からないままね」

「はい。もし今度、この中のどなたかが狂人病になることがあれば、いよいよ打つ手がありません」


 カルドス大陸に立ち込める狂人病の暗雲が果たしてこの先どうなるのか。人々の安らかな暮らしを願わずにはいられなかった。




―――――――――――――――――――

※いつもご覧いただいてありがとうございます。明日から5日間ほど、更新をお休みしようと思いますので、宜しくお願いします。また、ここまでの内容の感想や評価がもしありましたら、よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る