○side:S・S ジィエルにて1

『お嬢様が倒れられました』


 持たされていた翡翠色の石からそんなメイドさんの言葉が聞こえてきたのは、わたし、千本木桜せんぼんぎさくらがアメニティの買い出しに行っていた時だった。

 ひぃちゃんの……ホムンクルスの身体が弱いことはもう知っている。だけど、今朝まであんなに元気だったひぃちゃんが、それもなんの心当たりも無い状態で倒れたらしいことに、わたしの中には嫌な予感が立ち込めていた。


「はぁ、はぁ……。待っててね、ひぃちゃん!」


 メイドさんにとって唯一、フェイさん手がかりだったひぃちゃん。でも、シロさん……じゃない、リアさんの登場で唯一ではなくなった。しかも、いつ殺されてもおかしくなくて、殺されそうになったこともあるらしい。正直、ひぃちゃんとメイドさんの関係はわたしにも謎が多い。

 と言うより、メイドさんの考えがよく分からない。あれだけひぃちゃんに信頼されているのに、すげなくあしらう。主従の関係に徹しているのかと思ったら、時折、友達としてひぃちゃんと仲良くする。メイドさんがひぃちゃんを「レティ」と呼ぶときは、主従関係なく同じ目線で接している時だ。


「でも、ひぃちゃんを殺そうとしてる……?」


 もう、意味が分からない。そんなメイドさんを、誰よりも信頼しているひぃちゃんもまた、わたしからすれば変な子なんだけど。


「わたしも、頑張ってるんだけどなぁ……」


 メイドさんに芽生えた嫉妬心に首を振って、ホテルの階段を駆け上がる。エレベーターが無いなんて不便、なんて思っていたのは最初だけだった。フォルテンシアには〈ステータス〉がある。自分でもわかるくらい、地球にいた頃より体が軽い。エレベーターを作るコストとか、維持費とか、電力とか。その辺りのことを考えると、身一つで行動した方が何かと楽みたいだった。


「ひぃちゃん! 大丈夫?!」


 部屋について扉を開いたわたしが見たもの。それは、どこか既視感のある、す巻きにされた誰か……多分、ひぃちゃんの姿だった。


「えっと、ひぃちゃん? 大丈夫?」

「~~~~~~! ~~~~~~!」


 ベッドの上で何かを叫びながら、芋虫みたいにうねうねと身体をよじっている。そんなひぃちゃんをメイドさんとリアさんが離れた場所にある食卓から見ていた。……えっと、一体どういう状況?

 とりあえずひぃちゃんの状態を確認しようとベッドに近づくわたし。でも、


「離れてください、サクラ様!」


 と、メイドさんによって止められる。珍しく声を荒らげたメイドさんの様子にわたしが驚いていると、


「こほん。絶対に、お嬢様に近づかないでください」


 そう、いつものように優しく言い直す。それだけで、何か良くないことが起きているのだけは分かった。


「……メイドさん、何があったんですか?」


 シャンプーとか、保湿クリームとか。買ってきた物を置きながら、わたしも言われた通りひぃちゃんから距離を置いて、椅子の1つに腰掛ける。すぐにメイドさんが美味しい紅茶を淹れてくれて、わたしも気分と身体を落ち着けるのだった。

 5分後。メイドさんとリアさんの話をまとめると。


「リアさんと一緒に買い物に行ってたら、急にひぃちゃんが体調を崩した?」


 わたしの確認にリアさんが頷く。ひぃちゃんの様子がおかしいのは、簡単な計算を間違えたり、いつもより気が立っていたりして気付いていたらしい。でも、リアさんはその異変を指摘しなかった。……まぁ、無理だよね。まだわたし達と一緒に行動するようになって日が浅い。一応、パーティーのリーダーであるひぃちゃんに意見するなんて、出来ないとおもう。追い出されるかもしれないもん。


 ――わたしも、そうだったし。


「えっと、メイドさんはどうやってひぃちゃんの異変に気が付いたんですか?」


 わたしの記憶が正しいなら、メイドさんは旅に備えて食材の加工をしていたはず。この前のキリゲバ肉も、燻製くんせい干し肉にしてみたら意外とおいしかった。あの獣臭さが、ちょっとスパイシーな味付けとニンニクっぽい香りとよく合う。日持ちもするし、結構いいおやつになっている。

 他にも、野菜を酢とか塩で漬け込んだり、わたし達のためにドライフルーツを作ってくれたり。長い旅でもなるべく飽きが来ないように、いつもいろんなものを準備してくれている。


 ――しかも、ひぃちゃんと旅をするようになってから勉強したって言ってたんだよね。


 メイドさんと夜警をした時にそんな話の流れになった時があった。元々料理が出来る人だったんだろうけど、食材を長持ちさせる方法とか、保存用の加工方法とか、専門的なことも多かったんじゃないかな。それでも、ひぃちゃんを支えるためにわざわざ旅のための調理法を勉強するなんて、やっぱりメイドさんは真面目な人だと思う。それに、ひぃちゃんを想っていないとそんなことはできないはず。でも、ひぃちゃんを2回も殺そうとしたんだよね?


 ――やっぱりメイドさんって人が分からないっ!


 メイドさんがわざと隠してるから、多分、ひぃちゃんはメイドさんの努力を知らない。だけど、メイドさんの勤勉さを感じ取ってるのかも。だから信頼してて……って、めっちゃ考えが逸れてる。

 わたしは、なんでひぃちゃんの異変をメイドさんが気づいたのかって話に意識を戻す。


「職業衝動がありました。そうして駆けつけてみれば、ポトトの背中からお嬢様が落ちそうになっていた、というわけです」


 職業衝動かぁ……。わたしには絶対に理解できない、フォルテンシアの仕組み? みたいなやつだ。わたしからすると、いつもひぃちゃんとつながっていて、危ない時にすぐに駆け付けられるメイドさんの職業衝動はちょっとうらやましい。でも、ひぃちゃんが職業衝動に苦しめられていることも知ってる。したくもない殺しをさせられていることを知ってる。

 どんなことにもメリットとデメリットがある。それは、地球でもよく言われてたはずだった。


「それで、今回はどうして倒れたんですか? 見た感じ、魔素酔いでも風邪でもなさそうですけど……」


 うめき声を漏らしながら、ベッドの上で転がっているひぃちゃん。その姿は控えめに言って異常だ。


「異常……異常……。え、もしかして」

「お嬢様の状態を見ただけでお気づきになられるとは、さすが、サクラ様」


 馬鹿なわたしでも異常、つまり狂ったように暴れているひぃちゃんの姿と、ここ最近のジィエルの状況を知っていればすぐに理解できる。


「ひぃちゃん、もしかして、狂人病にかかったんですか?」


 わたしがたどり着いた結論にメイドさんはゆっくりと頷いた。

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