○今のを流すのは無理でしょう?!

 チョチョさんとの話し合いを終えてから、約束の期日――3日が経った。

 私たちは全員で固唾かたずを飲みながら、宿の部屋で待っている。私も、メイドさんも、サクラさんも。それぞれが正装をして、チョチョさん・ベオリタさん夫妻、そしてシロさんを迎える準備をしていた。


 ――約束の時間まで、あと5分も無いんじゃないかしら。


 もし、奥さんであるベオリタさんの狂人病が再発していたら、私たちはシロさんを引き渡してもらうことが出来ない。そう言う意味でも、ベオリタさんが無事であることを祈るしかない。


「本当に治っているのかしら……?」


 私は思わず不安を吐き出してしまう。確かにオオサカシュンのポーションは尋常じゃない回復力を持っている。だけど、病気まで根本的に治すことが出来るのか。それが分からない。


しゃくなことに、こればかりはあの外来者が持っていたポーションを信じるしかありません」


 そう言って私の肩を抱いてくれるのはメイドさんだ。彼女の話では、オオサカシュンのポーションは〈回復〉ではなく〈修復〉に近い能力を持っているんじゃないかということ。本来は無生物……例えばメイドさんが着ているメイド服なんかに施されているスキルよ。魔素を流すことで、物を少し前の状態に戻すことが出来る。

 問題は、その“少し前”の部分。もし〈修復〉と同じような効果だとするなら、2年以上前のベオリタさんの身体に戻ることは無いでしょう。


「ベオリタさんのためにも、お願い!」


 胸に手を当てて祈っていると、宿の扉が控えめに4度叩かれた。


「死滅神様が宿泊している部屋で間違いないか?」


 そう問いかけて来た声は、チョチョさんのものだ。私の目線に頷いたメイドさんが、入り口の扉を開く。そうして見えた宿の廊下には、短身族の男性チョチョさんと、角耳族の女性ベオリタさんの姿があった。


「約束を、果たしに来た」


 短く、そう言ったチョチョさん。その言葉と、隣に居るベオリタさんの元気そうな姿には、彼女が無事であるという意味が存分に込められていた。


「助けてくれてありがとうございます、死滅神様。約束通り、主人が買ったというこの子を引き渡し来ました」


 感謝の言葉と共にベオリタさんが示したのは、見覚えのある真っ白な髪と紫色の瞳を持つ美人さん。彼女とは、先日、黒キャルを捕まえた時に遭っている。その時に私が心の中でレイさんと呼んでいた白髪奴隷の少女こそ、シロさんだった。

 さて、ここで少し私の予想外していなかったことが起きる。夫婦の前に歩み出たシロさんは私を見て少し意外そうな顔をする。そうよね、こうして再び会うなんて、私も思っていなかったもの。


「久しぶりね」


 そんな私の挨拶に、無表情のままコクリと頷く。続いてシロさんが見たのは、扉を押さえていたメイドさんだ。その時、シロさんは大きく紫色の瞳を見開いて、出会ってから初めて分かりやすく表情を変えた。


「シロ様、どうかされましたか?」


 そうして問いかけるメイドさんの言葉を無視して、ゆっくりと歩き出したシロさん。彼女はやがて、静かにメイドさんに抱き着いた。そして、メイドさんの首に腕を回したかと思うと、ほんの少しだけ背伸びをして、


「ちゅー、しちゃった……」


 サクラさんが呆然と言ったように、それはもう熱烈な接吻をした。


「ちゅっ……ちゅぱぁ、んむっ……」


 一連の所作が滑らか過ぎて、私たちはもちろん、チョチョさんとベオリタさんも、メイドさんですらも何が起きたのか分かっていない様子。その間にもシロさんはメイドさんをし続ける。やがて、メイドさんの首に回していた右腕を滑るように動かしたシロさんは、メイドさんの豊かな胸を揉みしだき始めた。


「――っ?!」


 この時になってようやく、危機を察したメイドさんが動く。ステータス任せにシロさんの拘束を振りほどく。2人の唇が離れた時に響いたちゅぱっ、という音が妙になまめかしい。うっとりと、妙に大人びた目でメイドさんを見上げるシロさん。2人の間に、透明の糸が引いている。

 シロさん以外、誰もが呆然とする中、


「ひとまず、失礼します」


 メイドさんは瞬時に〈収納〉から縄を取り出すと、シロさんの手足を拘束する。次に布団を取り出してシロさんをす巻きにした後、ベッドの上に放り投げるのだった。


「……さて。それではお話の続きをいたしましょう」


 何食わぬ顔でメイドさんはそう言うけれど……。


「「いや、今のを流すのは無理でしょ(だよ)!」」


 わたしとサクラさんの声がきれいに重なった。


「今の、とは?」


 あれかしら。本当に理解できないことをされると人って何も感じないのかしら。……いいえ、メイドさんはきちんと何が起きたのかを理解しているわ。だって、


「とぼけないで! メイドさん、耳真っ赤じゃない?!」

「まさか。わたくしは『いつでもどこでも冷静で頼れる万能メイド』が売りなので。この程度のことで心乱れるわけがありません」

「すまし顔で言っているけれど、そんな売り文句初めて聞いたわ! 絶対に混乱しているじゃない!」


 さすがに騙されないわ。出会いがしらに接吻なんてされたら、誰であっても面食らうでしょう。むしろメイドさんが隠そうとする理由が分からない。


「え、待って、ほんとに待って。めっちゃ可愛い子が出て来たと思ったら、メイドさんにチューして……。ディープキスで、何なら胸も……なにごと?!」


 サクラさんなんて混乱の極致じゃない。唯一冷静なのは、ベッドの上で、シロさんが包まれた布団をつついているポトトくらいじゃないかしら。


「……失礼。油断しておりました」


 ついに折れたメイドさんが、口元をぬぐいながら悔しそうにぼやいている。まさかメイドさんが不意を突かれるなんてね。だけどそれくらい、シロさんの動きは無駄のない、洗練されたものだった。まるで、何度も何度も繰り返してきたみたいに。あるいは、そうさせられてきたみたいに。


「あの、死滅神様……?」


 シロさんが置かれていただろう過酷な環境に私が想いをせていると、ベオリタさんがおずおずといった様子で尋ねてきた。


「ああっ、ごめんなさい、ベオリタさん。えぇっと、狂人病の方は大丈夫そう?」

「はい、おかげさまで」


 そう笑うベオリタさんは、本当に元気そう。


「そう、お役に立てて良かったわ。私たちの方こそ、シロさんを連れて来てくれてありがとう」

「その子、シロって言うんですね。名前を聞いても無い、自分は奴隷だと言っていたので」

「そもそも話すことがほとんど無い奴だったからな」


 私のお礼に、ベオリタさん、チョチョさんの順でシロさんの様子を話してくれる。


「まさか出会いがしらにあんなことをするなんてな」


 布団に包まれたまま足先だけを出しているシロさんを見ながら、チョチョさんが言う。


「私もびっくりだわ。事情は後でシロさんに直接聞くとして……」


 私は改めてチョチョさんを見て見る。顔にはいくつかあざがあるのだけど、その理由に触れるべきなのかしら。間違いなく、横でニコニコと笑っているベオリタさんによるものでしょうけれど。……やっぱりやめておきましょう。

 私は家庭の事情には踏み込まないことにして、別のことを聞いてみる。


「実はベオリタさん達に聞きたいことがあったの」

「なんだ?」「なんでしょうか?」

「狂人病について何か知らない? 感染経路や、発生源なんかで知っていることがあれば、教えて欲しいわ」


 ここ最近、特にサクラさんには外出を控えてもらっている。どこから感染するか分からないし、チキュウ人である彼女への影響が分からないからだ。だけど、何をするにもお金はかかってしまうし、感染を恐れて引きこもってばかりじゃいられない。メイドさんにも頼んでいる事だけれど、少しずつでも良いから狂人病についての情報を集めて、生活を再構築しないといけなかった。


「狂人病について、ですか。そうですね――」


 そこから2時間くらいかけて、私、メイドさん、チョチョさん、ベオリタさんと話し込む。情報を貰う以上、見返りになるか分からないけれど、メイドさんのお菓子と紅茶を振る舞った。

 チョチョさん達と別れてから、今度はサクラさんを交えてして狂人病について話し合う。その間、悪いけれど、シロさんには布団の中で静かにしてもらうことになるのだった。……と言うより、身じろぎひとつしないけれど、生きているわよね? メイドさん、驚きのあまり窒息させていないわよね……?

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