○気持ち良くなってもらうから

 短身族のガラス職人であるチョチョさんと、彼の妻――角耳族のベオリタさんとの話し合いを終えた次の日の夜。


「んっ……! はぁっ、うぅ……んあっ!」

「お嬢様、もう少しです。あと少しで――届きます♪」


 メイドさんに励まされながら、私は全力でいきむ。配達をしている時と同じくらい汗をかいているから、額や頬に髪が引っ付いて鬱陶しい。


「……ふぅんっ! ぬぬぬぬ……っ」


 あ、やっぱりダメだわ。


「む、無理ぃ! きゅう……」

『クルッ!』


 私は腕の力を抜くと同時に、宿の床に敷いた布団の上に突っ伏す。同時に、腕立て伏せをしていた私の背中に乗っていたポトトが軽やかに地面に下り立った。

 今日も私はお風呂前の日課になりつつある鍛錬に勤しんでいた。今の目標は腹筋が3種類11回。腕立て伏せが11回。背筋を鍛える頭上げが16回。腰を下ろす『スクワット』が16回と、かかと上げが21回だった。

 腕立て伏せ以外はどうにか達成できたのだけど……。


「残念ですが、プリンはお預けですね。わたくしとサクラ様で美味しく頂きます♪」

「はぁ、はぁ……。あと1回が遠いわ……」


 メイドさんの余計な計らいで、全ての鍛錬の回数は目標回数に+1回されている。そのたった1回が、びっくりするくらい重くのしかかって来る。

 その代わりに、全部を達成したご褒美として、メイドさんお手製の『なめらかプリン』が待っている。牛乳をたっぷりと使った白いプリンは、通常のプリンとは違った舌触りとコク深さがある。メイドさんの策略によって1度だけ食べてしまった過去の私を恨むしかないわ。あんなに美味しい物を知ってしまったら、もう1度食べたくなってしまう。


「うぅっ……。私のなめらかプリン……」

「ひぃちゃんの分まで、美味しく頂きます」


 私がかいた汗で、運動用の敷布団はもうべちょべちょ。心地の悪い湿り気に包まれながら息を整える私を、膝を折ったサクラさんが頬杖をついて見下ろしていた。

 サクラさんの課題は、市販されている子供向けのフォルテンシアの常識問題を解くこと。100点満点の内80点でご褒美なのだけど、91点を叩き出して見事ご褒美を獲得していた。……羨ましい!

 負けん気と全身を使って布団から起き上がった私は、


「それじゃあ、お風呂に……は行けないんだったわね」


 いつものように浴場に行こうとして、諦める。中くらいの宿を取ったこともあって、宿『シャーラウィ』には大浴場が付いている。これまでは普通に使っていたのだけど、狂人病が密かに流行しつつあると分かった今、とりあえずは控えるべきだという話になっていた。


「今日からはユニットバスか~……」


 サクラさんが嘆いているけれど、こればっかりは仕方ない。幸い、今日はマッサージをする日。いい気分転換になるんじゃないかしら。


「今日は私がサクラさんとメイドさんをマッサージしてあげる」


 汗で濡れた布団をメイドさんに〈収納〉してもらって、マッサージ用の敷布団……えぇっと『マット』だったかしら? を用意してもらう。宿のベッドを汚すわけにもいかないし、いつもこうしてマットを敷いてマッサージを行なっていた。


「メイドさん。香油をお願いできる? レモンのやつが良いわ」

「かしこまりました」


 フィッカスで手に入れたレモンの種などから作られているさっぱりした香りの香油が、最近の私のお気に入り。いつも使っている『リントの実』の香油も良いのだけど、やっぱり新しい香りは新鮮な気持ちになれるから良いわよね。

 まずはメイドさんから。私が行なうマッサージの助手は、いつもポトトが務めてくれる。とは言ってもタオルを運んで来てもらうだけなのだけど。メイドさんが下半身の下着――ショーツだけになってもらって、


「じゃあまずは背中から。うつぶせになってくれる?」

「んふ♪ かしこまりました」


 マットに寝転んでもらう。背中にタオルをかけて、力を入れるためにメイドさんの腰に乗って、マッサージ開始よ。まずはお尻と太もも、そしてふくらはぎをやって行くわ。


「じゃあ、いくわ……」


 手のひらに香油を垂らす。そして、メイドさんの引き締まったお尻から足先にかけて、私は香油を塗り広げていく。すると、部屋には柑橘かんきつ類特有の甘さと爽やかさを持った香りが広がった。


「んっ……んっ……あっ」


 私が指と手を滑らせるたびに、メイドさんがくぐもった声を漏らす。意外かも知れないけれど、メイドさんはかなりのくすぐったがりさんでもある。私もそれなりに肌が敏感だけれど、ひょっとするとそれ以上かもしれない。少し耳や顔を赤くしながら必死で声を押し殺すメイドさんは、すごく可愛い。やる方もかなり疲れるマッサージだけど、メイドさんの新鮮な反応を楽しめるから私は結構好きだった。


 ――ぷにぷになのに、硬い……。


 触れることでわかるのは、メイドさんの柔らかなお尻や太ももの下にある筋肉ね。香油をつけた手のひらで押すと、ほんの少しの柔らかさと、張りのある筋肉の硬さが返って来る。まさに、私が求める理想の身体がここにある。


「レティ……っ。もう少し、ん、上の方をしても良いのですよ……♪」

「馬鹿言わないで。下着が汚れてしまうでしょう? それに、やるとしても足の付け根は自分でしなさい」


 くすぐったがりながらも冗談を言う余裕があるみたい。こういう時は……。


「足裏、行くわよ?」

「はい、来てください、レティ……んぁっ?!」


 メイドさんの弱点の1つである足裏を揉んであげる。小指の爪まで手入れの行き届いた足の指。その間に指を滑り込ませると、メイドさんの全身が強張る。足裏と、背中の筋、わきの下がメイドさんの最もくすぐったがる場所。この時ばかりは、メイドさんも枕をぎゅっと握って耐えることしか出来ない。

 ざっと5分くらいかしら。


「お疲れ様、メイドさん。下半身は終わりよ。どう、気持ち良かった?」

「ふぅ、ふぅ……。上手になりましたね? 最高です♪」

「そう、それなら良かった」


 下半身を終えると、今度は上半身。腰から背中、首裏にかけて香油を塗り広げる。くびれた細い腰に、うつ伏せに寝転んでいても分かる豊満な胸。白い肌はきめ細やかで、肩甲骨はまるで翼みたい。腰の丘を滑り下りると背骨を境に2つに割れた平野が現れる。そこから肩までの傾斜を上って行くと、白金色の髪とうなじが見えてくる。

 グッと体重をかけて指を滑らせると、やっぱりメイドさんは、


「んんっ」


 と、くすぐったそうに身をよじる。だけど――逃がさない。別に嗜虐しぎゃく趣味はないつもりだし、メイドさんを苦しめたいわけじゃないから、一気に終わらせてあげましょう。


「背骨近くのすじをするわ。こらえてね?」

「そ、そんな、レティ! 御無体ごむたいな――っ?!」


 演技をして余裕をかますメイドさんの背中の筋を、両手の親指を使って一気に攻める。硬くなった筋肉の山を、親指でかき分ける感じね。すると、


「……んっ! ……っ!」


 メイドさんは声にならない悲鳴を上げて枕を力強く抱いている。……背中、肩もそうだけどやっぱり、かなり凝っているわ。大きな筋肉だし、よくほぐさないと。何度も何度も背骨に沿ってすじをなぞるたびに、メイドさんが全身を硬直させる。


 ――私もここ背中の所、苦手なのよね。


 だから、メイドさんの今の苦しみも、筋肉がほぐれていく気持ち良さもよくわかる。ましてや私よりも上手なメイドさんがしてくれるんだもの。背中や鎖骨の下をマッサージされるときは、私も変な声を上げそうになるのを必死に堪えるしかない。

 そうこうしながら全身を30分近くかけてマッサージを終える頃には、私もメイドさんもヘトヘトになっていた。


「ふぅ。メイドさんは先にシャワーを浴びて来て?」

「はぁ……、はぁ……。か、かしこまりました……」


 マットに仰向けのまま、蕩け切った顔で荒く息を吐くメイドさん。……良かった。私でもちゃんと気持ち良く出来たみたい。

 助手のポトトが持ってきてくれたタオルで汗を拭いていると、『筋トレ』をしていたサクラさんがやって来る。


「終わった? って、ひぃちゃん、容赦ないね……」


 そう、サクラさんがマットの上でほぼ全裸でぐったりしているメイドさんを見ながら苦笑している。……何を他人事みたいに言っているのかしら。


「次はサクラさんの番よ。覚悟しておいてね? 絶対に気持ち良くなってもらうから」

「お、お手柔らかに……」


 そうして私はサクラさんへのマッサージも始める。メイドさん同様に背中側を終えると次は前。ポトトが持ってきてくれたタオルをサクラさんの形のいい胸にかけて、仰向けに寝てもらう。

 足を同じように時間をかけてほぐした後、次はお腹。サクラさんの肉付きの良い太ももに乗って、体重をかけて指を滑らせていく。

 サクラさんの弱点は、お腹だ。特に脇腹をマッサージする時は尋常じゃないくらいに身をよじらせる。それを無理やり押さえつけてマッサージするのだから、私の方もかなり疲れる。だけど、マッサージをした後・された後の心地よい疲れの中で眠るのは、まさに最高の一言に尽きる。もしそこに、眠る前のなめらかプリンがあった日には――。


「ひぃちゃん、もうダメ! お終い! これ以上は――」

「ごめんなさい、サクラさん。だけどもう少し我慢して?」

「あ、待って待って、ダメ……。~~~~~~~っ!」


 少しでも気持ち良くなってもらうために。ついでに、私自身のより良い眠りのために。今日も私はマッサージの技術を磨く――。

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