○レイさんとの出会い

 因縁の黒キャルを捕まえたのはいいものの、近くに居た人を巻き込んで転んでしまった私。キャルのせいで両手が塞がっているからろくに受け身も取れず、女性に全体重をかけてしまった。彼女の柔らかい身体のおかげで怪我は無かったけれど……。


「ご、ごめんなさい!」


 すぐに謝って立ち上がる。そして、片手で黒キャルの首根っこを掴んで、空いたもう片方の手で女性が起き上がるのを助けることにした。


「あ、えっと。本当にごめんなさい。私、この子を探していて……」


 手を差し伸べてみたけれど、女性はぺたんと地面に座ったまま私を見上げている。改めて見ると、やっぱりきれいな人。種族は人間族かしら。

 真っ白な髪に、紫色の瞳。少し垂れた目元は優しそうな印象を受ける。メイドさんに匹敵する体つきも含めて、女性型のホムンクルスである私すら虜にする美貌を持っている。だけど、キャルに話しかけていた時も、私ともつれて転んだときも、今も。彼女には一切の表情が無い。それこそ、人形みたいにね。

 そんな華やかな目鼻立ちとは対照的に、着ている服は簡素なものだ。無地の白いTシャツに、股下10㎝くらいのズボンだけ。でもそれが、女性の良さをさらに引き立てているようにも見えた。


 ――それにしても。


 なぜだか分からないけれど、彼女には見覚えがあるような気がする。どこか他人の気がしないというか……って今はそれどころじゃないわね。


「立てる? あなた、名前は? 私はスカーレット」


 ひとまず彼女を立たせて、自己紹介をする。そうして分かったのは、彼女の身長ね。私より少し高いくらいで、160㎝に届かない。サクラさんと同じくらいか、少し低い身長だった。女性というよりは、少女に近いのかしら。

 私の自己紹介に、だけど、その子は立ち尽くしたままだ。聞こえなかったのかしら。


「あなたの名前は? というより、前に私たち、どこかで会ったことないかしら?」


 再度問いかけた私に、女性は首を振る。名前を忘れたとか? 言いたくない場合もあるわよね。


「まあいいわ。ひとまず、もう一度謝らせて? ごめんなさい。少し冷静さを欠いていたみたい。良ければお詫びくらいはさせてもらうけれど?」


 今、私の右手には黒キャルが居る。つまり、10,000nの収入は確定した。お詫びくらいならできる。そんな私の言葉に、またしても少女は首を振る。必要ないということ、よね。……というよりこの感じ。ティティエさんと話している時と似ている。彼女と接している間に鍛えた“察する力”がこんなところで役に立つなんて。


「分かったわ。それじゃあこの子は預からせてもらうから」


 私は右手で捕まえている黒キャルを少女に示して、一応、連れて帰ることを確認しておく。何か話していたみたいだしね。

 黒キャルは不貞腐れたような顔で私を見た後、


『ナ゛ォ……』


 まるで少女に助けを求めるように鳴く。キャルの本能的に首根っこを掴まえると暴れなくなることは受付の人に聞いていたけれど、本当にされるがままね。あの反抗的な態度が嘘みたい。こうしていれば、可愛いのに。

 私と黒キャルの言葉(?)に少女が反応することは無い。無表情のまま紫色の瞳で私を見るだけだ。……あれね。ティティエさんと違って表情が無いから、何を考えているのかあまり分からないわ。とりあえず要件も済んだことだし、おいとまさせてもらいましょう。


「それじゃ。あなたはちょっと我慢してね……」

『ナ゛ァオ』


 ひとまず黒キャルを肩掛けカバンの中に押し込んで、私は通りを行き交う車の中から乗合馬車を探し始める。と、不意に。私の服の裾がそれはもう控えめに引かれた。

 見れば、さっきの白髪の女の子が私を引き留めている。


「えっと……?」


 何か言いたいことがあるのか。そう目線で問いかけて見ても、少女は紫色の瞳で私を見るばかり。……本当に、どうしようかしら。


「何か話してくれないと困ってしまうわ?」


 改めて白髪の少女に向き合ってみるけれど、私には苦笑することしか出来ない。名前も教えてもらっていないし、そもそも何も話さない。表情もないし。

 そう言えばこの子、何をしていたのかしら。荷物を持っているようにも見えないし、お財布なんかも見当たらない。〈収納〉を持っているのかも。なんて考えていると、


「……話しても、良いんですか?」


 ここにきて女の子が初めて声を発した。……なによ、話せるんじゃない。それに話しちゃダメなんて誰も言っていないはずなのだけど。


「ええ、発言を許可するわ。ひとまず名前を教えてもらえる?」

「名前は……ありません。今の主人からつけられていないので」


 発言に許可を求めたこと。何も持っていなくて、主人という言葉が出て来たことから、私は少女が置かれている状況にとある推測を立てる。それは――。


「――あなた、もしかして奴隷なの?」


 そう聞いてから、失礼だったかもと思い至る。身なりが貧相と言っているようにも聞こえるしね。私が謝ろうとするより先に、少女が口を開いた。


「ドレイ……。はい、今のドレイの名前はドレイなのかもしれません」


 白髪の少女は自分が『ドレイ』なのだと自己紹介する。役職を名前にする当たり。どこかの侍女メイドと同じ香りがするわ。だけどひとまず、彼女が奴隷だということは分かった。

 本当は何かしら名前をつけてあげたいけれど、この子には主人が居るみたいだし、私が首を突っ込むべきではないのでしょう。ひとまず彼女のことはメイドさんと一緒で、ドレイさん……いいえ、レイさんと呼びましょう。


「あなたはここで何を?」

「主人にしばらく散歩をしてくるように、と」


 こうして自由に出歩かせているということは、この子がそうしても大丈夫――とても従順な性格をしていることを表しているんじゃないかしら。実際、こうして話していても“らしさ”のようなものが一切見えてこない。ただただ無機質で、無感情な。まるで道具と話しているような気分になる。


 ――でも、それも、仕方のないことなのかも。


 こんなきれいな奴隷の子なら、引く手あまただったでしょう。それこそ、労働含めていろんなで奴隷として働いているはず。

 奴隷になる前、そして、奴隷になった後。私が想像することすら出来ない日々。


 ――それが、レイさんから名前も、心も、言葉も、表情も奪ったのかしら?


 でも不思議と、レイさんが不幸なようには見えない。少し痩せているけれど健康状態も良さそうだし、奴隷としてはかなり恵まれた位置にありそう。

 だけどやっぱり、レイさんが奴隷であることに変わりはない。迷惑をかけてしまったこともあるし、私はもう一度レイさんをお茶に誘う。


「良ければ近くのお店で一緒にお菓子でも食べない? この子と一緒に」


 そう言って私が触れたのは黒キャルが入ったカバンだ。恐らくこの子のことを思って、レイさんも私を引き留めたのだと思う。


 ――それに、なんだか放っておけないわ。


 なぜか親近感のあるレイさんに、私は興味があった。お散歩中らしいし、もし暇なんだったら。そう思って聞いてみると、


「スカーレット様が、望まれるのでしたら」


 あくまでも私の意向に従うと、レイさんは無表情のまま応じてくれる。本当に自主性が無い子ね。ここは私が引っ張ってあげないと。


「ええ! それじゃあ行きましょう? この子を探すときに、美味しそうなケーキのお店を見つけたの!」


 レイさんの手を引いて、私は目をつけていた甘味処に入る。2人分のケーキと紅茶を受け取って、席に着いた。


「甘くてふわふわで……美味しいわね!」

「はい」

「紅茶も。ケーキ似合う渋さ。お店のこだわりが見えるわ」

「はい」


 こんな感じで特段、会話が弾むことは無い。だけど、ケーキを食べた時、わずかに表情を緩めるレイさんを見られた。お詫びとしては満足してもらえたんじゃないかしら。どうして奴隷になってしまったのか。奴隷になる前はどんな名前だったのか。気になるけれど、好奇心のままに首を突っ込むなとメイドさんたちにいつも言われている。ここはグッと我慢ね。


「ご馳走様。そろそろ、行きましょうか」

「はい。ごちそうさまでした」


 奴隷である彼女を長く拘束するわけにもいかないし、私たちは30分くらいでお茶会を終えることにした。

 帰り際、最後に黒キャルとレイさんが触れ合う時間を作ってあげる。不思議なもので、レイさんと一緒に居ると、こう……心がふわっとする。黒キャルも同じみたいで、レイさんの胸に抱かれて控えめに撫でられても、気持ち良さそうに鳴くだけだった。


「それじゃあ、さようなら。お茶に付き合ってくれて、ありがとう」

「はい。こちらこそ、ありがとうございました、スカーレット様」


 しばらく黒キャルの毛並みを堪能してもらった後、私は黒キャルを回収する。また引っかかれて手に軽い切り傷が出来てしまったけれど、10,000nの前には安い怪我よ。


「それでは、失礼します」

「ええ、また会えると良いわね」


 ぺこりと頭を下げて去って行くレイさんの白い髪を見ていると、白関係でシロさんを思い出す。


「メイドさんの進捗の方はどうなっているのかしら?」


 夕暮れ。黒キャルが入ったカバンを手に、私は冒険者ギルドへ依頼完了の報告を済ませに行くのだった。

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