●ジィエルにて
○キャルの町
3月8日。予定より2日長引いて、食料事情がかなりひっ迫する中、私たちはついにカルドス大陸随一の港湾都市『ジィエル』に着いていた。
人間族の船長ヤズズさんに挨拶を済ませて船を下りた私たちを迎えたのは、濃密な潮の香りと温かな陽気。そして、見たことがない青さを返す、美しい海だった。
「すごい! 泳いでる魚まで見えるわ!」
桟橋から海を覗くと、色とりどりの小魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる姿が見える。魚たちの足元には不思議な色や形をした岩が植物のようにたくさん沈んでいた。後で聞いた話だと、フォルテンシアの言葉で『クーレー』、ニホン語だと『
色とりどりの岩の上を、それに負けないくらい色とりどりの魚が泳ぐ。いつまでも見ていられる光景だけれど、これでも私たちには急ぎの用があった。
――シロさんを探さないと。
立ち上がって視線を上げると、遠く左手に湾曲した白い砂浜が見えた。ジィエルの港は三日月……月初め3日目の、大部分が欠けたナールのような形をしている。私たちが今いるのは先端。小・中の船が寄港する、石造りの港だった。
鳥車に乗って入国の手続きを済ませる。基本的に積み荷には安全な物しか積んでいないのだけど、重さや量によって課税されることもある。今回は幸か不幸か食糧事情がひっ迫していたおかげで、特に何かお金がかかることは無かった。
「それじゃあ恒例の宿探しと職探しね」
ポトトが引く鳥車に揺られながら、ジィエルの中心地へと向かって行く。
道行く人の種族は様々だけど、全体的に黒っぽい肌の人が多い印象ね。建物は、潮風に強い頑丈な石材で造られているものが多い。だけど壁には砕いた
石畳の上をカラカラと音を立てながら進む鳥車。幌を全開にして、私がジィエルという町の雰囲気を全力で味わっていると、御者台に座るサクラさんが声を上げた。
「ひぃちゃんはどうする? わたしは冒険者業するつもりだけど」
働き口の話ね。ジィエルのような規模の町であれば、冒険者ギルドはほぼ間違いなく存在するでしょう。どうやらサクラさんは、いつものように、冒険者としてお金を稼ぐつもりみたい。
「私も、まずはギルドに寄ってみるわ。配達の仕事があれば、それを受けようかしら」
そう答えつつも、一瞬、狩猟系の依頼を受けようかと考える。今の私には〈瞬歩〉がある。これまで最大の課題だった機動力について、ある程度解決したと見て良いでしょう。だったら、短時間でお金を効率よく稼ぐことが出来る依頼もありなんじゃ――。
「良いですか、お嬢様。〈瞬歩〉があるからと言って、狩猟系の依頼を受けようなどとは思わないでくださいね?」
「はぅぁっ?!」
まさに今考えていたことを言い当てられて、変な声が出てしまった。私の考えなんてお見通しってこと? だとしたらこのメイド、ちょっと……いいえ、かなり怖いわ。
「その反応。まさか……」
「いいえ、違うわ。まさか狩猟系の依頼で効率よくお金を稼ごうだなんて、少しもこれっぽちも考えていない。本当よ?」
「良く回る口ですね? ……ともかく」
メイドさんは少しだけ表情に真剣さをにじませて、続ける。
「戦闘技術を教える際に、
あれは、確か、ティティエさんを迎えて赤竜を倒した後だったかしら。ブァルデス渓谷で焚き火をしていた時に、メイドさんと話したことね。
「ええ、ちゃんと覚えているわ」
「であれば、分かるでしょう? 決して〈瞬歩〉を使いこなせているとも言えない今のお嬢様は、間違いなく、“中途半端”です」
「うぅ……っ」
これでも一生懸命鍛えているつもりの私としては、心に来るものがある。
「メイドさん。さすがに言い方が……」
苦笑しながら私を擁護してくれたのは、サクラさんだ。メイドさんに
「……確かに、言葉がきつかったかもしれません。申し訳ありませんでした、お嬢様。ですが、くれぐれも、誤った自信を抱かぬよう、お願いします」
メイドさんの厳しい物言いは私の身を思ってくれているからこそ。代替品としてなのか、スカーレットとしてなのかは分からないけれど。
「メイドさんの言う通りね。分かったわ、無茶しない。狩猟系の依頼を受けるにしても、きちんと相談する」
私が了承の言葉を返したことで、メイドさんの表情も柔和なものに変わる。
「それから、ありがとう。心配してくれたのよね?」
「……当然です。
ほんの少しだけ間をおいて、メイドさんはいつもの言葉を返してくる。一瞬だけ見せたメイドさんの驚いたような顔は何かしら。聞いてみようかと思ったのだけど、
「あっ!」
突然鳥車を停めたサクラさんの驚いた声で機を逸してしまう。
「どうしたの? 何かあった?」
「見て、ひぃちゃん!」
私の問いに、御者台に座るサクラさんが路肩を指さしながら言った。何かあるのかしら? そんなことを考えながら、私は荷台から顔を出す。そこには、1匹の動物が居た。
尻尾を除いた体長は30㎝くらい。毛は黒くて短い毛足。小さな頭に細くてしなやかな体つき。丸くて大きな瞳は、素早く動く小動物や昆虫を正確に捉える。しかも、夜間でも物が良く見える〈
「猫だよ!」
サクラさんが猫と呼ぶ、フォルテンシア屈指の愛され動物――キャルだった。
「キャルね」
「猫だよ、猫! 可愛すぎ!」
「キャルね!」
「猫ちゃん、こっちおいで~」
「キ、ャ、ル、ッ!」
「あ、ひぃちゃんが怒った~」
私が目で
からかって来る友人のことはさておいて、私は改めてキャルを観察する。実は、私が直接キャルを目にするのは初めてだった。人に慣れているのでしょう。こうして私たちが近くで騒いでいても、キャルは逃げることなく寝ころんだままだ。目の上に眉毛のような白い模様があるのも、短い手や舌を一生懸命に使って毛づくろいをする姿は……。
「か、可愛い……っ!」
サクラさんへの些細な怒りなんか吹き飛ぶほどの魅力を持っていた。ひょっとして〈魅了〉のスキルを持っているんじゃ、なんて思うけれど、私たちホムンクルスには精神に作用するスキルが効かない。……つまり、純粋に、可愛いわ!
ちょうど鳥車が停まっていることもあって、私はひょいと荷台を下りてキャルのもとへ向かう。私が近づいても、キャルが逃げる様子はない。……こ、これなら!
「ちょっと触らせて――」
『ナ゛ァッ!』
「痛っ?! あ、ちょっと、待ちなさい!」
唐突に起き上がったキャルの鋭い爪が、撫でまわそうと伸ばした私の手の甲を軽く引き裂いた。しかも、黒キャルは謝ることも無く路地裏に走り去って行く。と思ったら、私の方を一度だけチラリと振り返って、
『ナァ♪』
と、挑発するように鳴いて今度こそ消えて行った。……死滅神に喧嘩を売るなんて、良い度胸ね。お望み通り、殺してやろうかしら?
「ど、ドンマイ、ひぃちゃん」
「まったく……。お嬢様、
沸々とこみ上げる怒り。だけど、ええ、そうね。悪いのは私。分かっているわ。分かっているけれど、せめてこれだけは言わせて。キャルなんて。キャルなんて……っ。
「全っ然、可愛くない!」
血がにじむ手を抱きながら、黒キャルが消えた路地裏に向けて私は叫ぶ。いいもの。私には最高に可愛いポトトが居る。キャルなんて、絶対に可愛がってやらないんだから。
「ふむ。愛くるしさがあり親近感もあるものの、近づけば手痛いしっぺ返しが待っている。気分屋で、寝ることが好き。加えて、黒毛ですか……」
「誰かさんにそっくりですね、メイドさん?」
「そこっ! 何か言った?!」
「いえ♪」「ううん」
見えなくなった小憎らしい黒キャルへのせめてもの仕返しとして、私は路地裏に向けて「フゥーッ!」と威嚇しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます