○揺れる船で

 寝苦しさしかないベルトをしなくなって、はや2日。今日ものんびり、あるいは退屈な1日が終わって、眠りについていた時だった。

 深夜。船がゆりかごのように揺れた。唐突に傾いた船体に、私も少しだけ覚醒する。けれど、心地よい揺れだと思いながら、再び意識を落とした。それが、命とりだったわけね。

 次に私が目覚めた理由は、浮遊感があったからだった。それもそのはず。私の身体はきちんと宙に浮いていて、視界の左端に自分が眠っていた上段のベッドが見えた。


「え?」


 自分がベッドから投げ出されたのだと気づいて素っ頓狂な声を上げたその瞬間にはもう、私は地面に向かって落ちていた。このまま、船の床板に身体を叩きつけられるのだろう。そう思っていたのだけど、待っていたのは思いのほか柔らかな地面だった。

 その理由は……。


「布団? ……あ」


 メイドさんが敷いてくれていた布団だった。おかげで、『体力』の減りも30程度で済んでいる。状態に特段何かが付記されることも無くて、端的に言えば、私は無事だった。

 先日、メイドさんが言っていたことを思い出しながら、彼女が言った通りになったと唇を1人噛みしめる。と、再び船が大きく傾いた。その角度は信じられないくらいにあって、それこそ転覆したんじゃないかと思うレベルだった。


「きゃぁっ! わぁっ!」


 傾きに合わせて布団の上を転がる私の身体。そして、1段目のベッドで眠っていたサクラさんが、私に向かって転がって来る。サクラさんもベルトをしていなかったみたい。結果――。


「「あいたっ!」」


 ――お互いに頭をぶつけて、悲鳴を上げる。


「何事?! って、わぁっ!」


 どうやら今起きたらしいサクラさんが、私に覆いかぶさったまま周囲を見回す。と、また船が揺れて私とサクラさんの上下が入れ替わる。


「まずいわ、サクラさん! ひとまず何かに詰まらないと!」


 混乱した頭で、私は捕まるものが無いかを探す。だけど、やっぱり冷静さをかいていたみたい。


「待って、ひぃちゃん。わたしを掴んでも意味ない――」


 サクラさんが言った直後、また船が揺れて2人も連れながら布団の上を転がる。その時にようやく、上になったサクラさんが私を抱いたまま、


「ほいやっ!」


 2段目のベッドに上がるための梯子を掴んだ。おかげで、船が傾いても転がるようなことは無くなった。2人して安堵の息を吐きながら、ベッドについていたベルトとメイドさんが敷いていた布団について納得することになるのだった。


「ほんと、メイドさんってスパルタだよね」


 四肢を付いた状態で私を抱くサクラさん。彼女はベルトを着けたまますやすやと眠っているメイドさんを見て、苦笑している。……よく見てサクラさん。メイドさんの口元が少し緩んでいるから、あれは起きている。絶対に、間違いなく、起きている! 自分の予想通り転がり回る主人を見て、楽しんでいるんだわ!


「メイドさん、朝になったら覚えていなさい!」


 とはいったものの、これも結局、私の落ち度なのよね。むしろ、こうなることを予想して対策してくれていた彼女には感謝するべきなのでしょう。そう頭では分かっているけれど、感情がどうしても追いつかない。


「これからどうしよっか……っとと」


 抱き合った状態のまま、サクラさんと話す。その間も船は大きく揺れていて、梯子を掴む片腕1本だけでサクラさんはえてくれている。


「悪いんだけど、サクラさんのベッドにお邪魔しても良いかしら。そこでベルトをして、朝までやり過ごしましょう」

「うん、了解。さすがにこの揺れの中で、上のベッドに戻るのは危ないもんね」


 左右交互に揺れる船の傾きのタイミングを見て、


「今だ!」


 サクラさんが私を抱いたまま自分のベッドに戻る。そして、すぐさま抱いていた私を解放すると、


「ひぃちゃん、お腹のとこのベルト!」

「ええ、了解! ――これを留め具に引っかけて!」


 足場が悪い中2人で協力してどうにかベルトを締めることに成功したのだった。


「ふぅ。これで一安心ね」

「メイドさんの言う通りになったの、悔しいな~」

「本当よ! 主人を思うなら、ちゃんと言って欲しいわね、メイドさん?!」


 起きていると分かっているから、私はあえて聞こえる声で言う。だけど、メイドさんは変わらずに寝たふりを続けている。……本当に、もうっ!

 1人でも少し窮屈なベッドに、2人で眠る。普通の体勢で眠ると肩がぶつかるから、2人で横になって眠ることに。サクラさんと協力しながら薄い掛け布団をかぶって、ようやく眠る態勢が整うのだった。


「こうしてひぃちゃんと寝るの、久しぶりかも……枕いる?」

「いいえ、大丈夫。ほら、布団にあったやつが転がって来たから。一緒に眠るのは……別荘以来かしら?」

「どうだろ。でもこの感じ、懐かしいかも」


 そう言って、サクラさんが私を抱き枕にしてくる。彼女の花のような甘い香りをこうして嗅ぐのは、やっぱり、別荘で風邪を引いた時以来じゃないかしら。優しい匂い。胸以外は華奢なメイドさんとはまた違った、少しだけ余分なお肉がある柔らかい身体。心臓の音。その全てが、私の気持ちを落ち着かせてくれる。


「ひぃちゃん、体温高いよね。逆に、メイドさんは結構低いかも」

「そう? 自分では分からないわ」


 確かにサクラさんの身体は少しひんやりに感じる。ということは、体温は私の方が高いのでしょう。メイドさんも、マッサージしてくれる手とかはひんやりしていて、気持ち良い。


「だけど、さすがに少しだけ暑いわ」

「そうかな~? わたしは良い感じかも」

「ふふっ。私たち、なかなか合わないわね?」

「そうだね~……」


 船が揺れるたび、部屋がキシキシと音を立てている。気づかなかったけれど、窓には大粒の雨と波が見えていて、船は嵐の中を進んでいるようだった。少し不安だけど、ベルトが付いていたことから考えて、これぐらいの揺れは想定されているのでしょう。


白鯨はくげい海のときは船ももっと大きかったし、何より流れが緩やかだったものね」

「うん~? 何の話~?」


 少し眠そうな声で、サクラさんが聞き返してくる。そう言えば、旅客船『ヴィエティ』に乗った時にはまだ、サクラさんが居なかったんだったわ。


「さては、わたしの知らない話か~? けるな~、このこの~」

「あははっ! サクラさん、くすぐったいわ」


 首と脇腹をくすぐって来るサクラさんの攻撃に、思わず身をよじる。


「サクラさんがチキュウに帰る時までに、もっとたくさん思い出を作りましょう」


そんな私の言葉に、少しの間を置いて「そうだね」と短く答えたサクラさん。抱き枕にされているせいで、その表情は分からない。だけど、


「……わたし、ちゃんとのかな?」


 そう続いた声は、ほんの少しだけ震えていた。良く分からないままフォルテンシアに呼ばれて、良く分からないままに霧煙るフェイリエントの森に放り出された。結局今も、サクラさんを召喚した人物も、その目的も分からないままだ。

 彼女から日常を奪った側に生きる者として、


「きっと……、いいえ、必ず帰してみせるわ」


 そう言わずにはいられない。根拠のない私の言葉に、それでも、優しいサクラさんは「うん」と言って、私を抱く力を強める。

 この時、私はサクラさんがチキュウに戻る方法があるのかどうか悩んでいるのだと思っていた。だけど、それが全くの的外れだったことが分かるのは、もう少し先の話ね。

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