○夕焼けに燃える世界で

 私が眠っていた間に、駆けつけた治安部隊さん達におおよそメイドさんたちが事態を説明してくれていた。キリゲバの死体を見たときの彼らの顔は傑作だったと、メイドさんが楽しそうに話していた。

 その後のフィッカスの治安部隊さんによる実況見分? が終わるまで、出航は出来ないみたい。ということで、私たちは少し早いお昼ご飯にすることにする。食材はもちろんキリゲバだった。


「ふぅ……。これで解体できたかしら」


 貴重な白い毛皮は丁寧に洗って干しておく。爪と牙は後で冒険者ギルドに持っていきましょう。


「翼は……ティティエさん、要る? キリゲバを倒した証になるんじゃない?」


 そんな私の提案に、ティティエさんは首を振る。


『牙、爪、ある。翼、邪魔』


 まぁ、そうよね。正直、私たちも持て余しているもの。キリゲバの翼はざっと5mくらいはある。鳥車の荷台に、ギリギリ収まるかどうかという大きさだもの。本当はメイドさんの〈収納〉に入れたいのだけど、こんなに目立つ翼がどこに行ったのかという話になると、メイドさんが〈収納〉を持っていることが露見してしまう恐れがある。


「……燃やそうかしら」


 半分冗談でそんなことを考えながら、視た目よりははるかに軽い翼を荷台に押し込む。

 そうして解体した後は、いよいよお肉ね! 肉食動物はどうしても臭みが強くなる。だから、基本的にアク取りを始めとした丁寧な下処理が求められることが多かった。


「キリゲバを食べる人なんて、そうそう居ないんじゃないかしら?」

「はい。キャルと同じ系統の動物なので、肉質も似ているかと思うのですが……」


 ぐつぐつ煮えたぎる鍋を覗き込みながら、私とメイドさんとで話す。今私たちが居る場所は、港に近い林の中。そこはメイドさんとサクラさんが鳥車とポトトを隠した場所だった。まばらに生える木々が程よい木陰を作ってくれる。加えて、潮風も適度に遮ってくれるから、火をおこすのに苦労もしなかった。


「キャルって猫だよね……? フォルテンシアでは猫食べるの?」


 ポトトの昼食を準備しているサクラさんが、離れた場所から聞いて来る。前に一度、記憶の中にあるキャルの絵をサクラさんに見せたことがある。その時、


『やっぱりひぃちゃんの絵の癖すごっ! けど、多分これ、そのまんま猫だよね』


 とサクラさんが言っていた。残念ながら、猫という生物はフォルテンシアには居ない。だけど、キャルが猫らしい。


「つまり、キャルが猫で、猫がキャルで……あれ?」


 1人で勝手に混乱していた私の代わりに、メイドさんがサクラさんの問いに答える。


「キャルについては、人によっては食べることもある、という程度です」


 多くの場合、キャルと小型のガルルは愛玩動物ペットとして飼育されることが多い。私がポトト肉を食べることを忌避するように、普段接している動物のお肉を食べることに抵抗がある人も多いみたいだった。


「……苦手でしたら、別の物を用意しましょうか?」

「あ、大丈夫です! 不味かったら別ですけど、きちんと頂きます」


 いつからか、サクラさんはそのあたりの線引きをしっかりするようになっていた。ビュッフェだとポトトのから揚げだって普通に食べていたしね。

 そうして話している間にも、キリゲバの肉からは少し緑っぽいアクがにじみ出てくる。肉質自体はベーコンでおなじみのポチャ肉に似ているのかしら。白っぽくて、所々に脂身がある。そんな普通の見た目なのに、煮ると全く美味しそうに見えないアクがにじみ出てくる。それに……。


「結構臭うわね」

「これでも、かなり香草と薬味を入れているのですが……」


 何というのかしら。湿った土のような、ヘドロが溜まった池のような。形容しがたいにおいが、香草たちの香りの奥から挨拶してくる。


「調理法を考えるためにも、ひとまず味見をしてみます」


 火が通っていることを確認したメイドさんが、手早く一口大に切り分ける。「お嬢様も」と勧められたこともあって、私も意を決してキリゲバのお肉を頂く。その味は……。


「やっぱり、少し臭うかしら。お肉自体の味は淡泊。印象としては少し歯ごたえのあるポチャ肉ね」

「喉とお腹の奥から絶え間なく襲って来るこの生臭さを、どのように調理するかですね……」

「一度、塩で漬けてみるのはどう? 肉の中にある臭みを外に出す。魚料理の時に使う調理法だってライザさんが言っていたわ」


 大量に残っているキリゲバ肉の生肉のいくつかを、メイドさんが塩漬けにしていく。その間に、私は引き続き鍋の面倒を見ておく。と、茶色い髪を揺らしながらサクラさんがポトトの餌やりから戻ってきた。


「食に対するひぃちゃん達の熱ってすごいよね」

「あら、サクラさん。ポトトのご飯は?」

「ちょっと野菜が高いから木の実でかさ増し。いつもと味が違うから、良く食べてくれてる~」


 サクラさんの言葉でポトトを見遣れば、ボウル入った野菜と木の実を勢いよく食べていた。


「ニホンだと臭みのあるお肉はどう処理するの? はいこれ、味見用ね」

「ありがと。う~ん、そもそもジビエ自体にあんまり馴染みなかったからな~……うわっ、くっさ! なにこれ?!」

「ティティエさんも、食べる?」


 ずっと鍋を見ていたティティエさんにも、キリゲバ肉をおすそ分けする。一口食べた彼女の反応は、意外と好印象そう。少なくとも、お代わりを所望するくらいには気に入ったみたい。


「ティティエさんはあれね。アイリスさんと同じ舌の持ち主ね」

「あ~、そうかも……」


 極端な味付けを好むアイリスさんと、味覚を同じくしているのかも。あるいは、全部が全部、美味しく感じるとかかしら。


「折角のティティエさんとの最後のご飯だから、美味しくしたいけどな~……」


 サクラさんが漏らした言葉で、私も思い出す。……もうすぐティティエさんとはお別れなのね。


「ティティエさん。もう少し、用心棒してくれない? 必要なら、お金だって払うから」


 そんな私の提案に対して、ティティエさんは煮ただけのキリゲバ肉を美味しそうにモグモグしながら私を見る。だけどすぐに水色の瞳を伏せてしばらく考える素振りを見せた後、首を振った。


『私、職業、果たす』


 私の足にもたれかかりながら、自分には“呪い師”の職業があると語る。


『あと、キリゲバ、単独、倒す!』


 気合を入れるように言って、またしてもキリゲバ肉を口の中に放り込んだ。

 ティティエさんにとって、今回のキリゲバ討伐は大人になった証にはならないみたい。あくまでも1人でキリゲバを倒せるようになることも、ティティエさんの目標らしかった。

 職業しめいを果たしたい。そう言われてしまうと、私も引き下がるしかないわね。


「そう。残念だけど、頑張ってね」

『私、大人、再会!』

「ええ、必ず。だから、無茶をして死んでしまったりしないでね?」


 そのお願いに、「ん!」と元気よく答えてくれる。その仕草はやっぱりあどけなくて、笑顔も可愛らしい。どうしてもティティエさんが年上に見えなくて、ついつい心配してしまう。

 と、不意にティティエさんが立ち上がった。そして、私の頭に小さな手を乗せると、


「約束だよ? また会おうね、スカーレット!」


 彼女にとって大切な“言葉”にして、言ってくれる。


「――っ! ええ、約束!」


 こうして、私はまた1つ、生きる理由を得た。いいえ、死ねない理由を得たと言うべきね。もう私の命は、私1人の物ではなくなってしまっている。私が死にたくないと思うようになったのは、いつからだったかしら。ポルタでへまをやらかして、窓から落ちたときは? ウルセウで赤竜を前にしたときは? ケーナさんとイチさんを相手にしたときは?

 きっと、はっきりした時期は無いでしょう。この死にたくないという思いを、私は大切にしないとね。きっと誰もが持っているこの想いを、死滅神である私は踏みにじっているのだから。

 自分が何を奪っているのか。私はそれを忘れてはならない。


「――お嬢様、皆様。ひとまず、試作品が1つ出来上がりました。昼食にいたしましょう!」


 でたキリゲバ肉をざく切りにして、果物と香辛料が効いたソースをかけた一品が私たちの前に並ぶ。それを一口食べた瞬間、あれ? 美味しいのかな? と思ってしまった自分が情けないわ。美味しいのはメイドさん特製のソースなだけで、キリゲバ肉は、


「まっずい!」


 その一言に尽きるわ。口に入れた瞬間も、飲み込んだ後も、独特の臭みが鼻の奥にへばりついてくる。

 死んでもなお私たちを苦しめるなんて、やっぱりキリゲバは強敵ね。だけどおあいにく様。私たちはアイリスさんの手料理で、舌も表情筋も根性も鍛えられているの。


「ん、ん!」


 それに、何より。ティティエさんが美味しそうに食べてくれているのだから、私としては何も問題は無かった。


 やがて、水平線に丸いデアの端っこが触れて、世界が橙色に染まる頃。私たちは出立の時を迎える。


「それじゃあ、またね。ティティエさん!」

「ん。メイドも、サクラも。ククルも。スカーレットのお世話、頑張って」


 ティティエさんの“言葉”に、3人も嬉しそうに笑う。


「はい、使命ですので」

「もちろんです!」

『クルッ!』


 鳥車を船の内部に積み込んでもらって、私たちは艦橋を伝って貨物船『クィクリー』に乗り込んだ。

 しばらくすると、船が汽笛を鳴らして出航する。甲板から手を振る私たちを、港の桟橋で静かに見上げるティティエさん。彼女は手じゃなくて青く美しい尻尾を振り返しながら私たちを見送ってくれる。

 夕焼けが世界を赤く燃やす中、短いながらも柔らかな水色の髪を潮風に揺らすティティエさん。遠ざかる私たちを見守るような彼女の優しい顔は間違いなく、大人の女性の顔だった。

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