○side:T・T

 拳を受け止めた右腕が痺れる。踏みしめた地面がきしむ音がする。久しぶりに感じる痛みに、思わず顔が引きつってしまう。

 だけど、私、ティティエ・タスティニアが退くわけにはいかない。大人になったことを証明して、私の職業ジョブにかけて、みんなを幸せにするために――。




 成長すれば他の追随を許さないほどの強さを誇る角族。でも、生まれたばかりの時は他の生物と同じく、弱い種族だ。しかも、長命なせいか、角族のレベルが上がる速度は驚くほどに遅い。そのおかげで〈ステータス〉という、フォルテンシアに生きる誰もが享受する身体能力向上の恩恵を、私たちはなかなか受け取ることが出来ない。

 幼少の頃の数年間だけ、私は両親と共に小さな村に滞在していた。


「ティ! 早くして!」


 そう言って私の遥か前方を走るのはラフラス。私と同じ4歳の丸耳族の女の子だった。彼女のレベルは9。対する私はまだレベル1。『筋力』も『敏捷』も『器用』も。レベルが上がらない私は、全部が初期値のままだった。

 フォルテンシアに置いて、原則、ステータスの差は絶対だ。『敏捷』の数値が相手より1低ければ、かけっこをしたって絶対に敵わない。もちろん、ステータスには記載されない地力の差で覆されることもある。だけど、どれだけ単純に計算しても、私の5倍以上『敏捷』があるラフラスに私が追い付けるはずも無かった。


「待って……、待ってよ、ラフ! ……あいたっ」

「ちょ、ティ?!」


 転んだ私を心配して、黒く長い髪を揺らして私の所に引き返してくるラフラス。


「ほんと、不器用なんだから。ほら、立てる?」

「えへへ……、ラフ、優しい!」

「そ、そんなことないし!」


 腕を組んでそっぽを向いたラフの短い黒毛の尻尾は、ブンブンと揺れていた。


「ラフ、喜んでる!」

「そんなことない! ばかティ!」


 口ではそう言いながらラフラスが私の手を離すことは無かった。たった1回。この一瞬転んだだけで、私の体力は残り8。もう一度転んでしまえば気絶して、最悪死んでしまう。それくらい、幼い角族はあっけなく死んでしまうものだった。

 だからだろう。両親も、友達も、村の皆も。びっくりするくらい私の面倒を見てくれる。それこそ、監視しているみたいに。もしくは、絶対に関わろうとはしない。貴重な角族である私に何かがあった時に、責任を追及されたくないから。そんな中、ラフラスだけは普通の同い年の子のように遊んでくれていた。

 レベルが2に上がったのは、半年後、私が5歳になった頃だった。世界が変わるとはこのことだろう。ステータスも『幸運』と『器用』を除いて、軽く100を超えてしまった。『敏捷』の値が20倍になったからと言って、20倍速く走ることが出来るわけじゃない。でも……。


「あはは! ラフ、こっちこっち!」

「ま、待ちなさいよ、ティ!」


 昨日まで追いつくことすらできなかったラフラスの背中が、たった1日で追い越せるようになってしまう。物事を考える速度も速くなって、見える世界も変わる。角族ほど、ステータスのありがたみを実感する種族も他に居なかった。

 そうして“世の中”が見えるようになってきた私が知ったこと。それは、親友のラフラスを取り巻いていた吐き気を催すほどの邪悪だった。どうやら、黒毛の耳族は存在自体が忌避されるらしい。私の知らないところでラフラスは両親に虐待され、村人からいじめられ、誰からも嫌悪されていた。


「あら、バレちゃったの?」

「いつから?! ねぇ、いつからなの、ラフ!」


 ある日、いつからこんなひどい仕打ちをされているのか聞いた私に、ラフラスは「ずっと」だと答えた。物心ついた時からずっと、同じような仕打ちを受けていたと言う。


「でも、大丈夫よ、ティ。心配しないで」

「そうは言うけど、ラフ! あなたには凶兆があるんだもん!」


 私の職業ジョブは“まじない師”だ。人々に訪れる吉凶を見て助言することが役割であり、使命だった。両親は私の力を、未来を見る力だとも言っていた。

 そして、この時、私がラフラスに見た凶兆は、真っ黒で、真っ暗な景色の中に流れる赤い液体だった。もちろん私は、職業衝動に従ってラフラス本人にそのことを伝えた。もしかすると死んでしまうかもしれない。そうでなくても、近いうちに良くないことが起きると。

 だけど、


「それがどうしたの?」

「……え?」


 ラフラスはいつもの無邪気な笑顔で笑った。


「これでも、『筋力』と『体力』はティよりも高いんだから! もう慣れちゃったし、平気よ!」

「違う! 違うよ、ラフ! このままじゃラフが死んじゃう!」

「大丈夫だって! それよりも、ほら! 今日はどこに行く?」


 どれだけ言葉を尽くしても、ラフラスは大丈夫だと笑う。私の心配などお構いなしで、“呪い師”の助言も無視をする。そんなラフラスに、だんだん腹が立ってきた私は、


「もういい! ラフなんて勝手に死んじゃえばいいんだ!」

「え、ちょっと、ティ! どこ行くのよ!」


 私に向かって手を伸ばすラフラスを置き去りにしてしまった。


 ――結果、その翌週、ラフラスに待っていた未来は両親の虐待による死だった。


 悲しい、残念だ、不幸だった。村の人たちが囁く。だけど、それはラフラスにではない。ラフラスを両親に対してだった。私以外、誰も、ラフラスをいたむことは無い。


 ――未来を見る私が「死ね」なんて言ってしまったから……?


 その頃には預言よげんとも言われるようになっていた私の“言葉”。その言葉が、ラフラスに最悪の未来をもたらしたのだとしたら。言葉を尽くしても、結局、ラフラスには届かなかった。ラフラスに訪れる凶兆を払うことが出来なかった。


 ――だったら、言葉はもういらない。


 幸い、どんな状況でも相手に吉凶を伝えられるよう、〈念話〉というスキルが私にはあった。それを使って最低限の単語を伝えることにする。私が何か余計な“言葉”を言うと、未来がそうなってしまう可能性があったから。ともすれば、吉凶を伝えることすらも余計なことかもしれない。特に凶兆については、言わないようにしよう。


 ――代わりに、私がその人を守れば良い。


 幸い、私は人族の中でも最強と言われる角族だった。誰よりも、何よりも強くなる資質を持っている。どんな凶兆も振り払えるくらい強くなれば、みんなが幸せになれる。フォルテンシアに生きる人々のためになる。

 私のレベルが上がってそうそう死ななくなったこともあって、両親は村を出て、私と一緒に世界を放浪することになった。来る敵全てを薙ぎ払う両親は、私の憧れだった。フォルテンシア最強生物の1体、キリゲバすらも追い払ってしまう。立派な角に手入れが行き届いた尻尾。まだ、丸い幼角ようかくと脱皮した皮が残る尻尾しかない私とは、何もかも比べられない。


『どうすれば、強くなる?』


 夕方、適当な洞窟で休憩しながら私は隣に座る角族の女性に尋ねる。


「大人になれば、かな」


 焚き火の世話をしながら、私の母親タスティニア・ラナイアが答える。角族の風習として、娘は母親の、息子は父親の名前を受け継ぐ決まりがあった。だから私は、ティティエ・タスティニア。母譲りの名前と青い鱗は、私の誇りでもあった。ついでに父親はハロ・ガロンという。白い鱗と角、髪の毛をしている。私が成長した今なお過保護で、少しうっとうしい。父は先ほど倒した青竜の素材を近くの町に売りに行っていた。


「ティティエは私以上に不器用だからな。焦るなよ?」


 そう言って母が頭を撫でてくるけど、私は未来を見て人を幸せにする“呪い師”だ。私自身が強くなることが、何よりも人々の幸せにつながる。もう二度と、ラフラスの時のようなことにならないように。


『どうすれば、大人?』

「そうだなぁ……。まずは落角らっかくしないと。それから、ちゃんと尻尾の手入れが出来るようにもならないとな」


 落角は、私の側頭部にある丸い幼角が落ちて、立派な角が生えてくることだ。それが角族にとって外見的に大人になった証になり、子供が生めるようになったことを示す。

 また、立派な角と手入れの行き届いた尻尾は立派な角族である証拠にもなる。母も、あの父でさえも、私が惚れ惚れするほど格好良い角と尻尾を持っている。


『ん、頑張る』


 外見的にも早く大人になりたくて、尻尾に残っていた脱皮皮だっぴがわを剥がす。そんな私の姿を見ながら話を続ける母。


「そう言えば、ハロちちおやが居たところだとキリゲバを倒せるようになったら一人前の大人と認められるらしい」


 語られたのは、強さの面で角族の大人であることを示す儀式的な行為についてだ。フォルテンシア最恐で、最強の生物を倒す。それはつまり、およそあらゆる凶兆から人々を守ることが出来るようになったことを示すのではないか。


「私、キリゲバ、倒す!」

「お、久しぶりにティの可愛い声が聞けて、お母さん嬉しいな」


 頭を撫でてくる母の手の中で、私はふんすっ、と鼻を鳴らして気合を入れた。

 それから40年くらいだろうか。落角したばかりの私は焦ってキリゲバに挑み、見事返り討ちあってしまった。悔しがる私に、両親が1人で旅をしながら強くなることを提案してきた。早く“大人”になりたかった私は、にべもなく両親の提案を受け入れたのだった。

 途中、“呪い師”として、吉兆は伝え、凶兆は出来る限り私の手で追い払う。そんなに日が続いたある日。私は、人生でたった1人の親友――ラフラスによく似た女の子と出会う。黒い髪に勝気な瞳と言動。しかし、その内面には優しさと気高さ、脆さを併せ持つ。

 彼女の名前は『スカーレット』。圧倒的な死の予感を纏った、生まれたての魔族の少女だった。

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