○キリゲバ
白い毛並みにしなやかな体つき。背中に鳥のような翼を生やしたフォルテンシア最恐の肉食動物、キリゲバ。その姿は
どうやら、
「ひ、ひぃちゃん。あの動物って……?」
真っ青な顔で私に聞いて来るサクラさん。次々に人を襲って、全身を赤く染めるキリゲバ。近くにある木箱や牛車のおかげで死体はほとんど見えないけれど、人の死に慣れていないサクラさんにとっては間違いなく強烈な光景でしょうね。
ひとまず、動物の名前がキリゲバであることと、闘獣のために用意されただろうことを伝える。
「いい、サクラさん。絶対に、立ち向かおうなんて思わないで」
「だ、だけど人が……! それにメイドさんも――」
「申し訳ございません、到着が遅くなりました」
いつの間にか、目の前にメイドさんが居た。
「船のオーナー様に頼み込んで、乗せて頂けるようです」
「交渉、ありがとう。だけど、今はキリゲバに対処するのが先よ。メイドさんは積み荷の中にキリゲバがいること、知っていたの?」
そんな私の問いかけに、メイドさんは首を振る。
「闘獣用の猛獣たちが積まれることは知っておりました。ですが、まさかキリゲバを捕獲していたとは……」
「ふふ。フィッカスの全てを知っているなんて言っていたのに、ね?」
「……申し訳ございません」
「そこで素直に謝られると、私がいじわるしているみたいになるじゃない!」
メイドさんのせいじゃないことなんて、最初から分かり切っている。情報を集めるのは危険と隣り合わせでしょう。そんな難しいことを、いつもやってくれているんだもの。メイドさんに感謝こそすれ、非難するなんて誰にもできないし、させないわ。
「船に乗ることが出来るようになったのは良いけれど、このままじゃ船まで壊されてしまうかもしれないわね」
「ですが、さすがにキリゲバを相手にするのは誰であっても危険が伴います。ひとまず、隠れてやり過ごすのが賢明かと」
「え?! あの人たちを見捨てるんですか、メイドさん?!」
今も逃げ惑う人々と私たちを交互に見ながら、サクラさんが抗議する。恐らく、キリゲバを追い払わないのか。襲われている人を助けないのか、と言いたいのでしょう。並みの動物……ヘズデックやオードブルだったら、助けに行っても良いかもしれない。だけど。
「今回ばかりは、キリゲバが立ち去るまでやり過ごしましょう、お嬢様」
「……ええ、メイドさんの言う通りね」
「賢明な判断、感謝します。――ポトト、小さくなりなさい」
『クル?』
私の同意を得たことを確認したメイドさんがポトトに小さくなるように言う。そうして、抱えられる大きさになったポトトと一緒に、ゆっくりと鳥車を後退させ始めた。
だけど、サクラさんはなおも食い下がる。
「で、でも! わたしとひぃちゃんじゃダメでも、メイドさん達なら……」
メイドさんとティティエさんなら対処できるのではないか。サクラさんはそう言いたいのでしょう。私も、2人ならあるいは対処できるのではと思う。けれど、少なくともメイドさんは静観を進言してきた。ということは、メイドさんが自分の手には負えないと判断したことを表している。
それに、私は、とある理由からティティエさんがキリゲバに敵わないだろうことを知っていた。
「ここは我慢して、サクラさん」
「……そんなに危険な動物なの?」
サクラさんの問いかけに、私は頷くことしかできない。サクラさんもそこでようやく食い下がるのをやめて、苦い顔をしながら鳥車を後退させる作業を手伝い始めた。
――ごめんなさい。
心の中でサクラさんに謝りながら、ティティエさんと並んで、遠く桟橋付近で暴れているキリゲバを見守る。
きっとサクラさんの考えは、人として正しいのでしょう。襲われている人を助ける。至極当然だわ。だけど、それはあくまでも人の視点での話。人が生きるために動物を狩るように、キリゲバも生きるために人や動物を殺す権利を持っている。
少なくとも死滅神である私は、生きようとして人を殺しているキリゲバを殺すわけにはいかない。例え、どれだけ目の前で命が潰えようともね。職業衝動が無いことが、キリゲバが悪でない何よりの証拠になる。これも、フォルテンシアにおける“命の営み”の1つでしかないと教えてくれる。
――だから、彼らを助けたいと思うのは私の傲慢よ、スカーレット。
目の前で繰り広げられる
その時、ふと、私の手を柔らかな感触が包んだ。
『スカーレット。助けたい?』
ティティエさんが〈念話〉で話しかけてくる。ここで私が頷けば、優しいティティエさんはキリゲバに立ち向かってしまうかもしれない。
「いいえ。私は死滅神なの。囚われていたキリゲバの怒りも当然だし、敵意はあっても悪意が無いことは明白。黙って見届けるのが
自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出る。だってこれは、私自身への言い訳なのだから。
本音を言えば、もちろん、私だってキリゲバを追い払いたい。だけど、残念ながら今の私にはその力がない。メイドさんとティティエさんならあるいは、と、私もサクラさんと同じで思ってしまう。だけど、主人であり、雇い主である私が軽々しく行って来てなんて言えるわけがない。さっきも言ったように、キリゲバを相手してとお願いするのは、死んで来てと言うのにも等しいのだから。
ぐっと拳を握りしめた私の手をティティエさんが優しく包む。そして、胸の高さまで持ち上げると、私と正面から向き合う形をとった。
『これ、凶兆。私、知ってた』
「きょうちょう……? こうなることが分かっていたということ?」
ティティエさんが優しい顔で頷く。その顔は普段のあどけない表情とは違って、間違いなく50年以上を生きる大人の顔だ。一転して表情を引き締めたティティエさんは、言葉を続ける。
『キリゲバ、放置。スカーレット……死ぬ』
このままジッとしていても、私が死んでしまう。そう、どこか確信じみた顔でティティエさんが言ってくる。そう言い切れる理由には、間違いなく“呪い師”の
そして、こうなることが分かっていたからこそ、ティティエさんは私たちに……いいえ、私について来てくれていたのね。
「……私は、どうすればいいの?」
今の私は、死を受け入れるわけにはいかない。まだサクラさんをチキュウに帰していないし、シロさんだって見つけていない。死滅神としても、つい最近、命と向き合えていなかった不甲斐なさを知ったばかりだ。こんな中途半端な状態で生を終えるのは嫌よ。私は自分の生存本能に従って、生きる道を模索する。
どうすれば生き残ることが出来るのか。そう尋ねた私に、ティティエさんが胸を張って、鼻をふんすっと鳴らす。そして、
『簡単。私、キリゲバ、倒す!』
尻尾を揺らして、そんなことをのたまった。とても、頼りになる申し出ね。
「でも――」
実は、ティティエさんがキリゲバと戦った話は旅の途中で何度も聞いていた。角族は普通、『
勇敢に、果敢に、キリゲバに立ち向かった時の話は、聞いているだけで元気が出る。だから私は何度もティティエさんにその時の話を聞かせて欲しいとねだった。だけど、私の知る限り……。
「――ティティエさん。キリゲバにやられそうになったんじゃなかったかしら?」
私の確認に、苦笑いを浮かべて頬をかくティティエさん。そう、私がいつも彼女から聞いていた話は、ティティエさんがキリゲバと戦って勝利した夢物語ではない。
勇敢にキリゲバに挑んだ末に敗走し、3ヶ月近く寝込む重傷を負ってもなお生き延びた。そんな、どこまでもやるせなくて血生臭い、現実の話だった。
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